『トドメノフミ』が予言する「暗黒の三日間」と「終わりの日」
2010年頃、ネット上に『トドメノフミ』なる怪文書が出回ったという。教派神道系の大本・日月神示の流れを汲む艮の金神(国常立尊)による最後のご神示とのことだ。
この「艮(うしとら)の金神」だが、その起源を遡ると、元は平安時代の陰陽師たちによって崇拝されていた神なのである。だが、祟り神として恐れられていたため、時の朝廷によって東北地方(丑寅の方角)に「鬼」として封印されたという。
この神の正体は一体何であろうか。陰陽師と言えば安倍晴明が有名であるが、この師匠に当たるのが「賀茂忠行」である。賀茂氏とは元々出雲系の一族ではあったが、4世紀に入って渡来してきた秦氏と融合したため、秦氏の一族と考えていいだろう。
東方キリスト教徒であった秦氏が信奉していた神・・すなわち、艮の金神の正体とは「旧約の神・ヤハウェ」なのだ。この宇宙、ならびに地球を造った創造主である。そう、主イエス大師が「父」と呼んだ神なのである。
さて、「トドメノフミ」であるが、発信元不明のご神示とのことだ。だが、内容を精査してみたところ、極めて信憑性が高い神示であることが分かった。
個人的に気になった神示を要約してみたので、次に挙げてみたい。
・艮の金神の世に現れた
・これから国祖・国常立尊が直々に裁きを行う
・人の世の終わりが近い
・人の世が終わる頃、九分九厘までが狐憑きになっている
・聖母マリアが血の涙を流した、その時機が到来した
・利他愛の者は天国行き、自己愛に偏った者は地獄行き
・地震が起こるまで、経済バブルは続く(再びバブルがはじける)
・ハルマゲドンが起こる
・大峠では金品、物、住居、人など、全てが無に帰する(一からやり直し)
・大峠は日本から始まる
・キリスト再臨の謎が解ける
・ヨハネは黒、キリストは白
・意富加牟豆美(オオカムヅミ)が発動した(日月神示でも予言された救世主。てんし様のことか)
・あらゆる宗教を一つの法に統一する
・悪が根絶やしにされる
・大峠の後に訪れる神の王国は、二元性が統合された世界
・この神示がとどめ(最後)となる
このように内容は多岐に渡るが、全体的に鑑みても、やはり大本・日月神示の流れを汲んでいると考えて良さそうだ。
かつて大本の出口王仁三郎氏は、教祖の出口ナオ氏と共に、これから日本に現れる救世主の「予型(よけい)」を演じたと言われるが、その美濃か尾張に現れると予言した救世主については書かれてないようである。
王仁三郎氏自身、死の直前に「私は偽物である」と遺言を残したことから、やはり偽救世主の出現を予言したと考えられる。よって、この偽救世主コンビをどこかで見かけたら、文字通り「身の終わり」となるそうなので、終末は近いと考えていいだろう。
さて次に、大本・日月神示の予言にはなかった神示をご紹介しよう。
「天に異変が起こり、大地に異変が起こる。日、月、地、一直線に結ばれん、その日、その時天空に巨大な黒ぞ顕(あら)われん。真っ黒、黒の大太陽、人なる世界の天空に顕われ出たりたその時は、畏(かしこ)み慎(つつし)み拝おろがめよ。大地も黒ぞと申すぞよ、上下黒の挟み撃ち、逃げ失せる事はできんぞよ、これまで人類汚したる、海、山、大地、空とても、黒なる世界の中に入り、大洗霊を仰(あお)ぐのぞ。」
空一面に「黒い太陽」が現れ、地上が真っ暗闇に覆われることが予言されている。ホピ族の有名な終末予言「東から黒い太陽が昇る時、ホピは雲母の家に向かい、世界は滅びに向かう」を彷彿とさせる予言だ。
世にいう「暗黒の三日間」の到来が予言されているのである。この「暗黒の三日間」の到来については、これまで大予言者のノストラダムスはじめ、主にキリスト教系の神父が予言してきたことで知られている。
「第四の天使がラッパを吹いた。すると、太陽の三分の一、月の三分の一、星という星の三分の一が損なわれたので、それぞれ三分の一が暗くなって、昼はその光の三分の一を失い、夜も同じようになった。」
(『新約聖書』「ヨハネの黙示録・第9章」)
次の神示も見てほしい。
「”恐怖時代”と申された、重ね重ねて申された、その恐ろしき、その時節、いよいよ来たると申すぞよ。紅白の梅ぞそこここ咲くならば、人によりてはその空気、その霊気なる、そのクウ、キ。毒ガスなりぞと申すぞよ。改心いたして下されよ。改心いたして下されよ。」
「暗黒の三日間」をもたらす「黒い太陽」は異次元から現れ出るのであるが、この太陽から「毒ガス」と呼ばれている我々の人体にも影響を及ぼすようなエネルギーが、地上に降り注がれることになるだろう。これにより、未成熟な魂は「マイナスの影響」を受けて気狂い状態に陥り、成熟した魂は「プラスの影響」を受けて神人へと進化することになる。
「第五の天使がラッパを吹いた。すると、一つの星が天から地上へ落ちて来るのが見えた。・・太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出て来た。・・いなごは、・・額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。殺してはいけないが、五か月の間、苦しめることは許されたのである。・・この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。」
(『新約聖書』「ヨハネの黙示録・第9章」)
「額に神の刻印」とあるのは、むろん「聖霊を宿した人々」の暗示である。ハートに聖霊を宿すことができれば、自ずと「第3の目」と言われるアジュナー・チャクラも開かれ、次第に直感力が増してくることだろう。
次の神示も見てほしい。
「神はハイカラ申すぞよ、ポールシフトと申す事、地軸の異変と申す事、人なる肉身に起こるぞと、この度、初めて明かすぞよ。上から下まで一直線、人の身の内一直線、ポールシフトとあいなりて、上に行く者、落ちる者、この時来たれば誰なりと、その目でシカリとわかるぞよ。」
ここで「肉身に起こるポールシフト」と言われているのは、「全人類強制クンダリニー覚醒」が起こることを示唆しているのである。クンダリニーとは、人体の会陰部に存在する物理的な生命エネルギー(性エネルギー)である。古来より、しばしば「上昇する蛇」として形容されてきた歴史がある。
『旧約聖書』において「蛇」は、エデンの園だアダムとイヴを堕落の道へとそそのかした「サタン」の化身として描かれてきた歴史があるのは、諸君もご存知の通りだろう。
さて、次の「一厘」について説かれた神示も気になるところである。
「旨(むね)に一厘有る無しで、分れ行くぞと申すぞよ。」
「神信心の者達を上から下まで吟味して、一厘宿りし者のみを、針穴通して(天の御国へ)連れ帰る。」
「紅一輪(べにいちりん)は悪の花、悪に隠れし神一厘、これまで悪ぞと説いてきた、悪ぞ悪ぞと説いてきた、紅一輪ぞ悪の花。」
もうお分かりだろう。
そう、悪の中に隠してきた「一厘」とは、クンダリニー覚醒後に誕生する「ハートに宿る真我」を示唆しているのである。「真我」については、次回のブログで詳しく考察してみたいと思う。なお、このクンダリニーは女性性のエネルギーであるため、インドでは古来より「聖母カーリー」として信奉されてきた歴史がある。
しばしば血に飢えたおどろおどろしい神として描かれるが、そのパワーは絶大で、この聖母カーリーが長い眠りから目覚めた暁には、我々が持つエゴ、世俗的欲望、カルマ、憑依霊などは瞬殺してくれることだろう。ちなみに、カーリーの足で踏まれているのは、夫神のシヴァ神である。「女は強し」といったところか。。
なお、このシヴァ神であるが、一般的には「破壊神」とされるが、ヒマラヤのカイラス山に鎮座しておられる「ヨーガの神」でもある。額に「第3の目」を持ち、サハスラーラ・チャクラで聖母カーリーの到着をお待ちになっている神である。
かつて出口王仁三郎氏は、その著書『霊界物語』の中で、富士山を「シナイ山(天教山)」と呼び、厳霊(ヨハネの御霊)の聖地と定めた。一方、信州の松代に鎮座する皆神山を「ヒマラヤ山(地教山)」と呼び、瑞霊(イエスの御霊)の聖地と定めた。(松代は「ミロクの世」の後に来る「松の代」の到来を暗示)
今でも、この皆神山の山頂に鎮座する皆神神社には、日月神示の関係者が建てた「天地カゴメ宮」の石碑が立っているのだが、そこには国常立尊と諏訪大神(ヤハウェ)によるご神示として「新しい大神様の受肉体が下生された」ことが刻まれているのだ・・・
さて、話を元に戻そう。
最後に「暗黒の三日間」から「終わりの日」までのロードマップを考察してみたい。トドメノフミには次のようにある。
「ギリギリ午(うま)の秋までと申して来たるその日まで、改心いたしてくだしゃんせ。午は肥えよが肥えまいが、秋には天空跳ね上がる。突如の事ぞと申すぞよ。空を行く午、行かぬ午、喰うに事欠く午も出る。哀れ、青菜の跳ね上がる前触れなりぞと申すぞよ。」
「午で開いて旨く治める艮の金神の世となりたぞよ。」
「午が天空舞うなれば、喰い物の値も跳ね上がり、青菜、根菜、米までが天空高々舞い上がる。」
「午(うま)年、青菜跳ね上がり未(ひつじ)に米は当りだす、 それが合図の時なりと明けの烏(からす)が鳴いたれば、辛酉(かのとと り)まであとわずか、飛んで火に入る夏虫とミロクの民は真っ二つ、きっちり、すっきり立分れ、彼岸の岸ぞ舟が行く。」
午年をタイムリミットの年として位置付けていることが分かる。そして、辛酉の年に「終わりの日」を迎えるとの予言である。現在(2024年)以降、次に訪れる辛酉の年は2041年であり、その直近の午年は2038年である。(以下「新世界より」)
常識的に考えれば、2038年の秋に「暗黒の三日間」を迎えるはずだ。だが、現在(2024年)から直近の午年に当たる2026年にタイムリミットを迎える可能性もあると考えている。昨今、既に「青菜跳ね上がり」、すなわちインフレが始まっているためである。
この年には「天空跳ね上がり」とあるように、5次元化に成功した14万4000人の「キリスト者(神人)」を救うための「空中携挙」があるはずだ。この時、主イエス大師によって直々に携挙されることになるだろう。しかし実際には、UFOによって携挙されることになるはずだ。神人だけが、そのUFOを見ることができるのである。
これが「再臨の主イエス・キリストが雲に乗って現れる」という聖書予言の真意である。
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子(主イエス大師)が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
(『新約聖書』「マルコによる福音書・第13章」)
さて、「終わりの日」を迎えた後はどうなるのであろうか。次の神示を見てみたい。
「遥はるか下界のそこここに、業火燃ゆると申すぞよ。哀れ人の世燃え尽くす、霊火なりぞと申すぞよ。」
空中携挙された人から見た地上世界は、地獄の業火に包まれるのである。『聖書』で予言された「裁きの日」、すなわち「神による怒りの鉄槌」が始まるのである。
次の神示は、その後の予言である。
「紅白の梅咲き揃うは午の春、桃はその後と申すぞよ。」
午年の空中携挙の後は、「桃」の時機の到来が予言されている。「桃」とは「桃源郷」、すなわち「神の王国」を表している。この神の王国は、発動した「桃の神」すなわち「オオカムヅミ(大賀茂)」によって統治されることが暗示されているのだ。
なお、『聖書』では終末に「患難の7年」の到来が予言されているが、「終わりの日」を迎える2041年から逆算して7年前、すなわち2034年頃から患難期が始まっている可能性が高い。「患難の7年」とは、エゼキエル戦争終結後に反キリストと呼ばれる世界的独裁者の獣が、イスラエルや各国の指導者たちと「契約」を締結している期間を指す。
『聖書』の予言によると、この獣は大淫婦バビロン(今のイラク)から登場することが記されている。イスラエルとの契約3年半が過ぎた頃、獣とその軍隊は突如として豹変し、世界中に「裁き」の旗の下、軍隊を進軍させるのである。さらにはエルサレムの「大三神殿」に乗り込むことになるだろう。
このユダヤ人にとっての悲願であった「第三神殿」は、獣によって踏みにじられ、獣はそこで「現人神宣言」をするのである。その時までに、既に獣は世界中の指導者たちと「平和」の名の下に契約を結んでおり、全世界の民は、獣への崇拝を強制せれるのである。
全世界が闇に包まれたまさにその時、(エルサレムから見て)東の方向から起こる「救世の光」によって、獣は敗北するのである。その後、エルサレム郊外のオリーブ山に主イエス大師が降臨され、大地震が起こし、あるいは天空から「火の雨」を振らせ、獣とその軍隊を壊滅させることになるだろう。
その後、地上世界は地獄の業火に包まれることになる。その火の中で、全ての反キリスト者たる偽善者たちはもだえ苦しみ、息絶えるであろう。
さらに息絶えた後も、灼熱地獄と化した3次元の地球に「ゴースト」として、「最後の審判」の日が来るまで永遠に留まり続けるのである。
なお、この時、携挙に預かることができなくても、主イエス・キリストへの信仰の篤い者であれば、心配は無用である。その者たちは死後に「陰府(よみ)」へと移され、そこで「神の王国」に入るためのセカンドチャンスが与えられるからだ。
一方、主イエス大師と空中携挙された14万4000人の「キリストの花嫁」たちは、「新エルサレム」の住人として5次元化した地球へ降臨することになるだろう。
新エルサレムとは、『聖書』によって予言された、救世主イエス・キリストが王として君臨する「神の王国」のことである。この地で、主イエス大師と「キリストの花嫁」たちは、「神の至福」を享受するのである。
「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。
『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。』」
(『新約聖書』「ヨハネの黙示録・第21章」)
この「新エルサレム」は地球のどこに降り立つのであろうか。あるいは「失われた古代イスラエル10支族」の秦氏の末裔が多数存在する、ここ日本なのかもしれない。
「主はわたしたちにこう命じておられるからです。 『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」
(『新約聖書』「使徒言行録・第13章」)
主イエス大師が弟子たちにこのように命じたのは、「地の果て」まで離散した古代イスラエル民族に、福音を届けるためだったのである。
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