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言葉の意味の「当たり前」を考え直す

年度もかわり新生活が始まってもがいている中でちょっとした隙間を見つけては、日頃考えているどうでもよいことを遺すことをしています。
どうも僕です。

お久しぶりにこちらで書かせていただくということで、勝手を思い出しながら書いております。

久しぶりに人とコミュニケーションを取るときは近況報告から入るべきであると多分どこかで話したことがあるはず(ありません)なので、最近あったことを少し。

新しい環境で出会う人間がどんな人なのかってわくわくすることは、この時期によくあることです。新しい職場に着て一週間と少し経ったところですがそこで出会った人 -僕の唯一の同期になります- が本当に今まで関わったことがない、様々な経験をしていらっしゃる人間だったので、これから関わっていくことがとっても楽しみです。もう少し関わってまとめることができたらこのノートにでも書いてやろうと思います。

さてさて近況報告も終わったところでそろそろ本題に入りましょう。

最近考えている事はずばり「名前がついている関係の縛りについて」です。

ずばりと言ったものの、非常に抽象的なタイトルになってしまった感は否めないですが、それは見逃してください。ざっくり言ったら恋人関係のことですが、それ以外のことにも言えそうなのでこんな感じのタイトルになりました。

https://note.com/no_ven_lo/n/n93012cfc862f

前々回の記事で紹介した通り、現在僕には恋人がいます。大学の3つ下の後輩で、そろそろ交際を始めてから2ヶ月半ほどが過ぎようとしています。しかしながら、昨今のコロナ禍で年末も実家に帰ることも叶わなかったので、1ヶ月半前から恋人は実家に帰省しており、その間2、3回ほど電話ををしただけで、それ以外ほとんどSNSによる連絡をとっていません。

このようなつきあい方をしていることを友人に伝えると「それって恋人(同士の)つきあいって言えるのだろうか」という指摘を受けます。そうして、恋人付き合いにおいて決められているやらなければいけないことがあるのか、と思いました。

それでは「『恋人』らしい関係」とは一体なんなのでしょうか。「恋人とでなければできないことの範囲の認識」がどのように形成されるのか、ということから考えていって、僕なりの架設を提示したいと思います。

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「恋人とのつきあい方」は、そのペアの数と同じだけあると仮定しましょう。そして「恋人とでなければできないことの範囲の認識」は ー人によって多少の認識の相違があるにせよー 大体決まっているように感じます。

僕が思うに、その恋人とでなければできないことの範囲の認識が分かれるところは2パターンあります。一つは身体接触をするかどうか、もう一つは粘膜の接触を伴うかどうかというところです。

これらの定義の生成のプロセスとしては、マスメディア・ソーシャルメディアの発達、またそのツールによる諸々の問題の提言、それを日頃のコミュニケーションによる行為の確認・制度化によって、その定義は厳密化されていきます。各種ハラスメント等人間関係についての立ち居振る舞いが以前より制限されるようになった世の中において、人々はきっとこの二つの段階(また、それぞれの認識の寛容度のようなもの)によって恋人とできることの範囲を決定しているのだと思います。

これによって「恋人」と「友人」やその他の関係性との違いを区別することに成功したとしましょう。

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この「恋人」の言葉の定義を巡る問題から「名前がつけられている関係の縛り」がどのように生成されるのか、ということが少しずつ見えてきたような気がします。

つまり恋人とのでなければできないことの範囲、すなわち「恋人関係における常識」は、マスメディア等による情報、またそれらに影響を受けたモノ同士による相互コミュニケーションによって生成されます。

こうして私たちは人間関係の制限を表象する「言葉」また「表象される行動」によって、その意味の範囲を限定しています。

これらを理解している人々は数多くいると思われますが、ここで一つ考えなければならない問題があります。

私たちはその「友人関係」を壊さないためにしばしば相手の関係性の認識を「普段からコミュニケーションをとっているから、それを肯定しているから」と言う理由で、自分と関係が近しい人物たちが同じ考え方を持っていると誤認識することがあります。

突然認識の話に飛びましたが、つまり「名前がついている関係の縛りについて認識」は受け取った情報の差異、また受け取る側の性格・生育してきた環境によって大きく異なるということです。

この価値観をすりあわせることはなかなか難しいですが、その作業をすることによって上手く生きるためのヒントを得られるかも知れません。

議論がとっちらかってますが、これは僕が大切にしていたい心のメモ書きです。けど誰かにとってももしかしたら共感できる部分があるかもしれなので残しておきます。

また次の文章でお会いしましょう。それでは。

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