親子だからって分かり合わなくてもいい

親に本音で話すことが滅多に無い。「イチゴ味が好き」とか「寒い」とかは言える。でも、好きな映画や好きな曲の時点でもう言えるか怪しい。自分の人格や思考の部分を極力見せないように生活しているのだと思う。何故なら、私の人格や思考は親のそれとは全く違う、むしろ真逆みたいなものなので本音を出せばぶつかり合うからだ。しかも私のお家の場合ぶつかり合っても良い方向に進まない。異なる意見を交わしてぶつかりながらも互いに歩み寄るようなことが出来れば一番いいのだけれど、それが出来ないことはこの二十数年で大体分かったので、上手いやり方を見つけられずになんとなく衝突しない方を選んで過ごしている。

両親はというと、ある程度本音で話してくれているのだと思う。本音を出してくれること自体は嬉しい。でも、その本音を聞くと自分の意見との差に愕然として何も言いたくなくなってしまう。たとえば最近の例だと、体罰について。両親は口を揃えて「昔は悪さをすると殴られたもんだ。何もしてないのに間違って殴られるなんてこともあった。でも殴られても殴った大人が好きだったりしたもんだ。今はガキがろくでもないからちょっとでも叩いたりしたらすぐ訴えられるが、じゃあどうやって怒れっていうんだよ」みたいな話をしていたが、私は黙り込んでいた。私の考えでは、「何があっても子供を殴るべきではない。殴られた子供は怒られたことよりも殴られたことを忘れないから。殴らないと怒れないなら怒らなくていいと思う。言葉と自分の行動で諭すことができないのなら、人を教育しようだなんて思わなければいい」。おおまかに、こういう考え方だ。こういうかなり根本的な部分からして考え方が違うので、いちいち食い付いていては一緒に暮らせない。けれど今は、私が実家に住ませてもらっている身なので互いのなんとなくの平穏のために、言わない。言わないというより言えないのかもしれない。

小さな子供の頃はよくぶん殴られたりしていたので多分本音を言っていたのだと思う。ある程度感情も見せていたはずだ。10歳の時に自分でもう両親に本音も感情も一切見せない、と決めたのでそこから何も見せていないのは覚えている。ただ、大きくなってから2回だけ両親と本音で話す機会があった。1度目は就職を決める時。実家から出たい私は実家から出ることが必須条件の会社の内定を貰い、話し合いの時間をくださいとわざわざ前置いて、家族会議を開いた。家族会議の場で私は自立したいから家を出たいと話したが、両親から一人暮らしの許可は出なかった。それどころか…まあ色々あったんだけど色々あったので、私は家出した。2度目は家出してすぐ後。私が大学生の身分で家出した為、大学に両親が来た。とりあえずスクールカウンセラーを交えて皆で円満にお話しましょうみたいなことを言われて(そうじゃないと捜索願いを出すと親も言っている。大学からすればいい迷惑なので、「円満にお話」して私を家に返すのが楽だったのだと思う)話し合いの約束をしたが私は直前でそれを蹴った。話し合いの場に行かず、電話での話し合いを強行した。両親のことは当然ながら他の大人のことも信用していなかったので、会ったが最後無理矢理連れ戻される可能性を心配したからだ。両親は別室でカウンセラーと保健室の先生と4人、私は居所を言わず電話で「話し合い」をした。

「話し合い」は予想外にも唯一私が感情をモロに親にぶつけられる機会になった。母親はなんというかちょっと会話にならない感じだったので、父親とだけ電話で話した。父親は私に、平謝りだった。面食らった。「話し合い」のことは一応少し前に決まっていたのでここを責められたらこう返す、捜索願いを出されたらこうする、とか決めていた。それだけ敵視して徹底的に潰すつもりだった父親が、平謝り。最初は「ずっと家が嫌いだった、私はこの10年以上家から出たくて、それでも穏便に済ます為に就職という手段を使ったのにどうしてそれすらも許してくれないんだ」みたいな話をしたと思う。父親は尚も平謝りだった。たしか「お前は優しいからうんたらかんたら」とか「俺たちは楽しいつもりでいたけどうんたらかんたら」とか「就職の話し合いの時俺に助けを求めてたのに逃げてしまってごめん」とか言われた気がする。ずっと謝ってほしかった父親にこうも簡単に謝られたことで私の感情のダムは決壊してしまい、自分でも見たこと無いくらい滅茶苦茶泣きながら最後の方は「小さいとき叩いたでしょ。怒鳴ったでしょ。だから嫌い。帰らない」とか幼稚園みたいな語彙で父親を責めていた。父親に「今まで縛り付けてごめん。もうお前の好きなように生きていいよ」と言われ「話し合い」は終わったけれど今まで散々その「縛り付け」に苦しまされて憎んでいたのに好きにしろと言われた瞬間ちょっと寂しくなったのが不思議だった。この時父親に対する見方が少し変わった。この人も人間なんだな~みたいな、当たり前のことを思った気がする。

その「話し合い」から2年が経ち、奇妙にも両親と私は再び一緒に暮らしている。私が精神疾患になり入院して退院の条件が親元に帰ることだったからだ。自分で格好悪いなと思っている。壮大に家出してきたので、出来ることなら一人で生きていって親の老後に面倒見るくらいのつもりだった。それがまさか、たった2年で私が親に生活の面倒を見られているなんて…。格好悪いので早く仕事を始めて早く自立しようとしている。コケまくりだけど。

家出前と出戻りとの間に親と私の関係は変わった。親と私とか以前に、まず実家に戻ったら犬がいた。私が家出した瞬間飼ったらしい。その話を聞いたときは私ってやっぱり親にとってペットだったんだとか、この子が私の代理ワンか…とかドン引いてたけど、犬は可愛い。犬のおかげで家族が和やかでいられる所が大きい。実際私も親と意見が合わなすぎて聞きたくなくなってきたり母親と父親が不穏になってきたら犬を親に抱かせて放置する。すると犬がいい感じに事態を収束させてくれる。ごめん、犬。そんなお利口ワンがいるので母親はワンに夢中だ。昔は私に夢中だったけれどワンに夢中になったことで私のことはある程度適当になったので衝突しなくなった。父親はというと、私に激甘になった。ちゃん付けで呼ばれる。お菓子とか買ってくれる。ワンとよく間違えられる。情緒がよく分からないけれど父親とはちょっと仲良くなった。残念だけれどメンタルの出戻り娘ということで「多少頭がおかしくても仕方ない」みたいに捉えられている気もする。

過去の色々は過去の色々で無かったことにはならないし今だって全然考えが合わないし私は本音を言わないけれど、それでも案外家族関係は平穏だ。良い家族はお互いの意見を交わせてお互い理解し合おうとできる家族なんじゃないかな~~みたいな分からないなりの幻想みたいなものはあったけれど、「人と人と人と犬がいます。何を考えてるかはよく分かりません。それでもなんとなく一緒に生活しています」というカゾクもまあ、とりあえずはアリじゃないかなと思っている。それでも家族というものに対して見ないように封じ込めている部分はある。今回蓋を開けて見てみようかと思ったけれど、見えたが最後また親と対峙するとか家出するとかになってきそうなので、まずは仕事とか自分のことを落ち着かせた上で開けようかと思う。

こんな感じなので私は家族というものがよく分からない。親子はもっと分からない。

分からないけれど、なんとなく、親と分かり合えないことに辛さを感じている子供が多い気がする。逆もそうなのかな。だけど親子で分かり合えないのはそもそもがお互いを選んで一緒になったわけじゃないし当然っちゃ当然な気もする。親子ったって別の人間だ。それを血の繋がり故のなんとなく似ちゃうDNAとか赤ちゃんから見ているが故のなんとなくこの人のこと分かってる感が邪魔して普通分かるでしょみたいな感覚になってしまっている気がする。他人と他人まで言うと言い過ぎかもしれないけれど、そもそもが別々の人間と人間なので分かり合っても分かり合わなくてもいいし、分かり合いたいなら自分から言葉を尽くして歩み寄らないと上手くいかないんじゃないかと思う。

ところで私の父親は大人びた子供が嫌いだ。子供は子供らしくバカになって外で遊んでる、みたいのが好きだ。そんな父親が小学生の私に初めてくれたCD『無罪モラトリアム』。椎名林檎だ。大学の時に勧めた曲『シンナーに気を付けろ』。スネークマンショー。

ますます親子はよく分からない。

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