見出し画像

触れられないのなら画面越しと変わらない【ゲイ談】

銭湯や温泉やサウナなどで男の裸を見るのが楽しみだけど、見るだけじゃやっぱり満足できない。
できることならその肌を触ってみたいし、それ以上のこともやりたい。
でも、現実じゃそんなドラマのようなことなんて起こらないし、自分がされたときにイケメンだからといって受け入れるかどうかはわからない。
男やセックスに飢えているわけでもなく、いざその時になると躊躇してしまう性質の自分からすれば、出会った男と触れ合うまで発展することはありそうにないな、と最近思い始めた。

見るだけでそれ以上のことができないと、欲求不満だけが残る。
良いなと思ってもそれ以上手出しができないのなら、もういっそ見ないほうが楽なんじゃないか。
他人の裸を意識せず、他人から見られていることも意識しなければ、不満を抱えることもなくなる。

触れられる現物がそこにあるのに、ただ見ることしかできないのはもはや生殺しだ。
ただ見るだけならスマホの画面越しに写真を見たほうが、まだじっくりと時間をかけて観察することができる。
現実でじっと見ていたらそれこそ怪しまれるし、私はゲイですと言っているようなものだ。


ここ数年自分のことを最優先して生きることにしたことで、いろいろと考えが変わってきている部分もある。
男の全裸に対する考えも少しずつ変わっているのかもしれない。
もちろん写真より現物のほうがいい。
肌の質感や体温やフェロモンで、そこに存在していると感じることができる。
でもそれだけじゃ満足できない。
現実に目の前にあるのなら、触ってみないと気がすまないじゃない?
触れないのなら写真でもいいじゃん、って思うのだ。


インターネットが全世界を繋げるようになって、SNSで世界中の人が自分のことを発信し、簡単にアクセスすることができる。
自分の身近にいる男、自分の国にいる男しか見れなかったものが、今や世界の麗しいイケメンを、しかも裸まで見られる。
とてもいい世の中になった。

いい男がたくさん見られるようになると、普通の男じゃ物足りなくなる。
もちろんイケメンなら別だけど、雰囲気イケメン以下は淘汰される厳しい世の中になったとも言える。
もちろんそこに私も入るので人のことは言えない。
自分がモテない部類に入っていることくらい重々承知だ。
とはいえ私の好みの話をするのは自由だ。

つまり何が言いたいかというと、裸の男を見ても触れられないなら意味がない。
触れられないなら写真をじっくり堪能したほうがまだマシだ。
じゃあ発展場に行けばいいじゃないかという話になるだろうけど、なんとなく発展場がそそられない。
自分が触れたい相手は他の人に触れられたくない。
少なくとも自分が触れている間は他の人に邪魔されたくない。
自分が堪能できる空間で、相手を感じたい。

私だけに見せてほしい。
私は性格的に捕食者なんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?