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メロスには政治がわからぬ。そして僕には不器用な人間がわからぬ。

さて今回初めて画像をつけてみました! なんかすっごいわかり難いが、こちらの台詞、ご存知だろうか。

ボールルームへようこそ という漫画の1コマ。

作者さんのTwitterから頑張って探してきたよ。そんなに頑張らなくてもすぐみつかったよ。

この台詞の前から繋げると、「あなたが羨む才能の持ち主たちにも、それぞれの地獄があるのよ」だ。

我が家ではジャンプと月マガは父親が買ってきていたので、アニメ化になったタイミングで家にあった部分だけチョロチョロっと読んだ。アニメは5話ぐらいまで見た。

殆ど"知らない"に近いこの漫画のこの台詞だけ、妙に記憶に残してもう3年ぐらい生きている。

ちなみにこのコマの為に台詞をそのままGoogle検索にかけたら、あの宇垣アナも似た様なことを言っているらしい。俺が使うのとは説得力が違うな。

🐧

さて、今回のタイトルの話に入ろうと思う。メロスのことはよく知らないので、メロスについて興味があった人には申し訳ない。ちょっと言いたかっただけだ。

文字通り、不器用がわからぬのだから、僕は器用な人間なのだ。それはもう、「器用貧乏過ぎて損ばっかりしてそう」と同情された経験すらある程度には。

先に言っておくが、僕は自分自身が器用であることをとても気に入っている。やってみれば何かと平均点ぐらいにはこなせるし、こなせるということは「自分が何をした結果、こうなったのかわからない」という状況には殆どならない。(勿論0%ではない)

このお陰で僕はこれまでの人生に多くの時間的な猶予を得たと思うし、それを自覚しているお陰でことごとく無駄にしてきたと思う。

そして高校生の頃には、自分と同じ様にできる人間はそんなに多くないということを理解した。

同じ様なタイミングで、何をするにしても突出した何かを持った人間は居て、決して1番にはなれないんだということも理解した。 まさに器用貧乏そのものだ。


そんな生活を何年も続けてきてしまうと、段々と手の抜き方が上手くなる。要領がよくなると言うのか。80でできる物を70で済ませてみたり、そのお陰で捻出した余裕を使って50で済む物を55で提出したら、賞賛を得られたりする。実際には-5のクオリティなのにも関わらず。

そう出来ない人間にも、数多く出会ってきた。「なんで出来ないんだろう」と思ったことが、ないわけじゃない。でも僕は、そういう不器用な人が好きだ。というよりは、好きになる人は多少なりとも不器用さを持っている場合が多かった。という方が正しいのだが。

ここまでこれを読んでくれてるあなたが、どちら側の人間なのかは僕にはわからない。共感してくれる人もいるかもしれないし、僕の生き方を羨む人も一定数いるだろう。学生なんかやってると特に。全教科で平均点を取れる方が、圧倒的に楽だったなと自分でも思うくらいだ。

でも、僕だって同じ様に羨ましいと思うのだ。

素直に、実直に、都度100を生み出そうと努力をする人が。

その先の達成感を、費やした時間の充実感を、僕が知ることは(僕にとっては)難しいのだ。

彼ら、彼女らが100を生み出す為に、その他の30を一手に引き受けることだって吝かではない。僕にできることと、その人ができることは違うと思っている。


僕には不器用な人間がわからぬ。何故1つのことにそこまで情熱を持てるのか、同じ失敗を繰り返してまで拘る理由は何なのか、僕にもそういう時がいつか来るのか、今の時点では何もかもがわからない。

でも、やりきった後の眩し過ぎる表情が好きだ。自分で納得し、自信に満ちた誰かの背中が好きだ。

だから僕は、不器用な人には自信を持って不器用でいて欲しいのだ。絵に描いた様な器用貧乏にとっては、素晴らしく尊敬できる対象になり得るのだと、ここで言いたい。

不器用な人間を見下す人も一定数いるだろう。同時に、僕みたいな人間もきっとどこかにいる。いて欲しいと僕は思う。


蛇足かもしれないが、努力できることも才能だなんて、ロクに努力もしてこなかった奴が言うのとは、なんとなくだけど一緒にして欲しくない。努力というものの必要性を未だに理解できない僕にとっては、その先の景色というのは純粋に、羨む程の希望なのだ。

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