豊満と肥満の違いから、食事とダイエットについて考える

豊満と肥満のちがいについて。

太った。
この半年で5.6キロ太りました。
同じような身長体重の人を見て、自分の体型の方が悪いと感じることも多く、服が決まらないように感じたり落ち込むことも多々。
ダイエットをしたい!痩せてやる!と意気込んだその数時間後には、コンビニやスーパーで買った菓子パンやスイーツをたいらげ後悔しています。
ただ、不思議なことにデパ地下や高級店のスイーツを買い込んだり、お店に食べに行って爆食いすることはないのです。

好きな食べ物は、ナッツ類。スポーツ全般が好きで、家に居続けることが苦痛なくらいのアウトドア。日課として、筋トレなども。
そんな文字だけ見ればどこから見ても健康的で、ダイエットとは無縁な人間が、日々痩せることにこだわり体型に不満と不安を持ち、食事の際にはカロリーにこだわる。

話は変わって、美食家と呼ばれる方々や料理人の方々は、スレンダースリム体型ではなくとも、だらしなさを感じる体ではない方が多いように思います。表情は生き生きし、作ることも食べることも愛しているのがよくわかる。
にも関わらず、取り立てて鍛えているわけでも、帳尻を合わせる生活をしているわけでもない。
ここではそのような状態を、豊満と呼ぶとします。

では、肥満とはどんなものか。
肥満と聞いて思い浮かんだ姿を挙げるとすれば、脂肪を感じさせるハリのない体、荒れた肌、不満がちな表情、乱れた生活、センスのないファッション、など。あまり良い印象ではないですね。
食に関しても、心を満たす食事というよりも、腹を満たすことを優先。言葉も「美味しい」というよりも、「うま」くらいでしょうか。
これを、肥満と呼ぶとします。

かなり抽象的な分け方にはなりますが、
豊満:食により心と身体を満たしている
肥満:食により腹と欲求を満たしている
両者とも食により何かしら満たしていることに変わりはありませんが、そこから先の消化=昇華が違うように思われます。

豊満:食は心と体を満たし、その外側に活力として溢れ出て行く
肥満:腹と欲求を満たしたものの、外に溢れるほどの活力エネルギーの勢いがないため体の中に溜まり込む=脂肪
つまり、肥満、はエネルギーの循環が悪いのです。
どうも、エネルギーの循環には運動のような物理的な刺激の他にも、感動や幸福感のような感情部分の働きも大きく関わっていると言えるのではないでしょうか。

たとえば、豊満な方の循環はこうです。
何を食べるか悩む、味や食感を感じ感動しながら食べる、食行動による幸福感を受けその他の行動へのエネルギー昇華が起こる。
では、肥満は?
どれだけ食べられるかを悩む、ウマイが美味しいではない、食行動による満腹感を受けその他の行動が億劫になり、エネルギーは行き場を失う。

ウマイのだが美味しいではない、というのは非常に感覚的な表現ですが、よくいうところの「質と量」の話だと思っていただけば良いでしょう。
量や早さ、手軽さ、などに重きをおいた食は、本当に食べたいものではない場合が多くありませんか?
言い方を変えれば、目の前の選択肢の中で最も「食べたいものに近いもの」なのです。
食は、人間の3大欲求。模倣品では本質的に満足は出来ないということです。
模倣品からももちろん幸福感は生まれますが、1に満たない小数点はどれだけ掛け合わせても、どんどん小さくなってしまうのと同じ。
0.9の満足度の食は、そのときだけの代替であればあと0.1満たすだけで済むのに、
不足を補おうと0.9を大量に用意してしまった途端、その量が多く期間が長ければ長いほど
0.9 × 0.9 × 0.9 × .....
少しずつ足りない部分が増えていくという矛盾が生じるということに。

例題
①トシヨロイヅカのケーキブッフェ
ショートケーキ(1.5) × パンナコッタ(1.8) × モンブラン(2.2)
=5.94

②スーパーの半額ケーキ
ロールケーキ(0.9) × チーズケーキ(0.9) × シベリア(0.9) × モンブラン(0.9) × バナナロール(0.9) × 時間的早さ1.0
=0.59049

いくら個数が多くとも、時間の速さをかけ合わせても、欠けたもの同士の掛け合わせは、満足度の低下しか導かないということです。

豊満とは、1.0の満足にさらにどれだけ大きな数字を掛け合わせるかに力をかけた結果のうち、目に見える形の満足の貯蓄の一つ。
豊満と肥満では、満足の貯蓄においては貧富の差がとても大きな状態なのではないでしょうか。

では一つ、ここでダイエットという観点から肥満について考えてみます。
体を絞る、スレンダーにするということは、今の体を作り上げている食行動を変えるということです。そこは何の疑いもなく正しいです。
ダイエットといえば、食事制限、がメインですね。あとは、運動。

まず食事制限について考えます。
単純に食事の量を減らす、内容をダイエット仕様のものにする。消費カロリーという観点では正しくみえますが、これが食行動での満足度貯金という観点では異なります。
太る、ということはまず前提に「食べすぎた(たくさん食べてしまった、食べるのが好きだった)」という食に満足を求めていた背景があります。
食に満足を求めていた人が痩せるために、食の満足度を下げるとどうなるか。1.0を下回った食事の積み重ね=肥満へとじわじわ近づくということになります。
結果がでないからと続けたり、さらに満足度を下げれば、坂道を下り落ちるように沼へ。

では、運動は?
食事を変えずに運動を楽しむ場合は、1.0を切る掛け合わせがないので幸福度は下がりません。ただ、痩せるという目的の達成には時間がかかるかもしれません。
もし、これで少しでも運動の強度をあげた結果辛いと感じて仕舞えば、小数点の掛け合わせが生じるため幸福度の総数が下がります。(≒リバウンドの可能性)

痩せる、ということは「食行動(質、量どちらでも)により活力エネルギーを得ていた人」が減っていく幸福度の合計数に対してどう対処するかの頭脳戦ということです。
その最も順当な方法が、供給量の減少を上回って、幸福感を上げていくということ。

ここで先の、豊満と肥満を再度挙げます。
端的に
豊満は実を追いかけ本質的な欲求を満たし続ける幸福度富裕層。
肥満は質の代わりに量などで飢えを凌ぐ幸福度貧困層。
幸福度は、食行動に満足度(食の質)かけ合わせて1.0以上になることが「豊満」絶対条件。

掛け合わせは、一つ一つの満足度が1を超えなければダメ。
掛け合わせでなく数値を上げるには、単数の数値が高いものを選ぶしかない。

若干の飛躍があることには目をつむりつつ、
豊満とは、食により心と体どちらも余剰がある状態。
肥満とは、食により満たされない心の満足を体で無理やり満たした余剰の状態。
ダイエットとは、
豊満の状態から全体量は変えず、心の満足を増やし身体の余剰を下げていくこと。
人間の食行動は3大欲求に基づいたもののため、欲求そのものを減らすことは不可能なのです。下ることはできず、上げ止めを知らず、できることはその内訳の比率をいじること。

結論。
痩せたければ、量を減らしていることに気づかぬほどに質を高めること。
満足しないとわかりながら食べる低カロリーかさ増し食品を腹一杯ではなく、新潟魚沼産のコシヒカリを大切にひと粒ひと粒味わって少量楽しみなさい。

そういうことなのではないか、
これが私が、摂食障害を経て、8キロ痩せ、9キロ太り、8キロ痩せ、5キロ太り、さらに6キロ弱太り、体と代謝がボコボコになった結果見出した結論です。

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