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GAME IS "NEVER" OVER 〜「イエロー・ジャケット/アイスクリーム」感想

木村浪漫(2024)『イエロー・ジャケット/アイスクリーム』早川書房.

 この小説で僕が最も胸ときめかせたのは、学園塔中央棟の二十階フロアに敷き詰められたゲーム筐体のコレクションという記述だった。

 究極のゲームセンター、一生かかっても遊び尽くせない遺産的ゲームのアドバタイズデモ大合奏────2000年代に経験したレトロゲームブームとその当時の30〜40代からのお下がりめいたゲーセン信仰は、もとをたどれば現実逃避(ある人は「現実離陸」とも呼ぶが)の一環だ。

 親子間コミュニケーションの破綻から目をそらし、学校内コミュニティの崩壊に耳をふさいで「被扶養者、なれど孤独」という疎外感に溺れる日々。

 著者の体験とはズレるのだけれど、僕は紛れもなく借りた図書のページの間にしか居どころのなかった元子供であり、自分自身の存在価値とその意義に常に疑問を投げかけながら20代の末を迎えたのだから、この本に通底する「現実ゲームは続く」という語に、否やもなく首肯する。

 憂うにしろ喜ぶにしろ、現実は続く。暗いにしろ明るいにしろ、未来は1フレーム秒の先に続いている。

 コントローラを握るも手放すも、この手次第。指次第。

 僕はただ「なんとなく」そのコントローラを握りながら生きてしまえた。
 そうではなかった子供たち、元子供たちを想うと、目を閉じて祈る気持ちがわき上がる。

「なんとなく」、僕はSFが好きだった。

 ドラえもんは言うに及ばず、星新一のショートショートや小島秀夫監督作品の大人びた苦味に背伸びした。

 冲方丁の記号を凝らした文体にあこがれた。

 伊藤計劃の「虐殺器官」が今でも好きだ。

 サイバーパンクの歴史も知らず、それを今でも「ニンジャスレイヤーっぽい」としか形容できない、不届きな種類の人間だけど。

 だが、少なくとも僕にとってのSFはモノクロ様の世界を瞬間色めかせる痛み止めとしての効果を求めたのであって、SF思考がどうとか地球環境問題がどうのといった領域には達しない。

 ただ、伊藤計劃が「虐殺器官」や「セカイ、蛮族、ぼく。」に込めた暴力衝動とそれを抑制するテクノロジーないし自己卑下による矮小化に、Web上の考察記事からああでもないこうでもないと理屈をこねながらも、強く共感を寄せてきた。

 自分語りばかりしてきたが、待ち侘びた伊藤計劃トリビュート3はきっとこれなのだと、思った。

 このボーイ・ミーツ・AIガールのものがたりに、真なるエンディングがあることを願って筆を置く。

 ハッピーハレルヤハレーション。この曲どこで買えますか(編注:架空の曲です)。

(了)

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