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#05 ペルソナ/シナリオ法

最近思っていること。

口コミって、社会にとっていい事なんだろうか?
最初はめちゃくちゃ良いサービスだと思っていて。
グルメサイトの口コミとか、Googleマップの口コミとかってちゃんと見るし。
でも最近なんでもかんでも「口コミサービス」ができている感じがあって。
特に相互評価みたいな口コミサービスって、なんか相互監視社会の入り口みたいな感じがしてきて息苦しさを感じてしまう。
対等に評価されることって大事なことなんだと思うけど、なんか最近の世の中の風潮にすごく息苦しさを感じてしまう。

なんか、それって幸せな世界なのかな?
そんな世界線の国に、今後住んでいける人ってどれくらいいるんだろう。
緩やかに、サービス提供側が、人間の「ゆるさ」を奪うサービスばっかできている気がしている。

という事で「幸せ」と「こんなゆるい未来になって欲しい」という思考からサービスを起案してみた

結果?
そんなのダメに決まっているじゃないか😇笑

ここでいい感じのサービスを作れるやつは天才。
起業した方が良い、きっと。

全力で転べる幸せを噛み締めよう。
失敗を恐れている方がよくない。
ヒロアカの発明ちゃんみたいになるんだ、私は。

車からちょっとズラすってなんだろうな

「車のサービスを提案しない」というサービスを全力で聞いた私は、車をガン無視したサービスを作ろうとしたわけだけれども。
でもなんだろうな。
社会課題からアート思考で考えていく事の面白さと、難しさを感じて。
そして社会課題はなんでも良いわけではないんだという新たな事も知ることができて。
まあ、そりゃそうだって言われたらそりゃそうなんだけど。

便利は幸せではないのでは

便利って幸せなことではないのではないかって思っていて。斎藤工さんが昔、「レンタルビデオ屋の"あ"から順番に映画を見た」って有名な話があるのですが、今の自分達は少なくとも同じ体験はできないわけですよ。
なぜなら、AIは"あ"から順番に映画を見せてくれるなんてことはないわけで。
ジャンルとか、趣向とかのマッチ率で画面は構成されていて。
そんな狭い、自分が
何かを自分で意思決定できることって幸せなことなのではないかと思って。
某インフルエンサーも「考えることは、今後金持ちの道楽になる」って言っているのを見て。

なんだろうな。

考えることが増える世の中になったら良いなと思って。
自分の知見とか、知識とか、なんでなんで?って思う世の中にもっとなればいいのになって本当に思っていて。
そんな思想を、サービスにできたらいいのになって思っている。

最後に

昨日と今日(今日は別件な訳だが)人と"デザイン"について話す中で思うことがあって。UIは結構正解があると思っていて。UXは学問色が強くなると思っている。それは哲学的な思想とか宗教観みたいなものに近いと思っていて、人間を相手にするのこな訳だから、答えや正解を求めるべきではない。自分のアクションを答えや正解にしなきゃいけないものだと思っている。
例えるなら綿菓子みたいなイメージ。持てるようで持てなくて、ぎゅってしたら別のなにかになってしまう。それくらい、どうしようもなく儚く脆いもの。
それを「おもしろい」と思えるかどうかなんだろうなというのが、UXについての私の今の思想であり見解。
正直、方法論だとか手法だとかを学びに来たけれども、全然違ったと思っている。
それに早めに気づけた私はラッキーだけど、それに苦しんでいる人を目の前にして、私はどうしたら楽になれるのだろうなと考えている。

誰か宗教ひらいてくれないかな。そしたら私はそっと聖書をその人に渡して「信じるものは救われるよ」って言ってあげれるのになって思っている。

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