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甘美な不幸を召し上がれ

----他人の口は塞げない。
1度耳に入った情報は自然と忘れるまで誰かの頭に残り続ける。
だからこそ人は、秘密を誰にも口外してはならない。
秘密の共有は、己を破滅に向かわせる呪いの方法だ。----

女の口から糸が出ている。1本、2本、3本。
数えればキリが無いほどの無数の糸は対面に座る女の耳に吸い込まれていく。
粘着質なその糸は、さながら蜘蛛の糸。
平然な顔をして、2人の女は糸を互いに交換しあっているように見えた。
やがて、その糸は女達の間で大きな繭を作り複雑に固くそこに鎮座する。

繭は、噛み砕いて言うなら「噂話」だろう。
真実かどうかも分からない他人の秘密を他人が共有していく。
人が増えれば繭も大きく成長する。
さながらそれは糸電話のように繋がって徐々に周りに拡散されていく。
なんと滑稽で、どうして美しいのだろう。

他人の不幸は蜜の味なんて、誰が作った言葉だろう。
現代風に言うなら、マウントを取るに近いのかもしれない。
自分より劣っている他者を見て優越感に浸る事はSNSを開けばそこかしこに存在している。
バズりたくて、誰かの作品を盗作している者。
事実を大袈裟に表現して賞賛を得る者。
自撮りを載せて、褒められる事を待ち望んでいる者。
私は、それらのマウントを見ながら指をスクロールしていく。
私が見たいモノはこれじゃない。

お気に入りに登録してあるユーザーページに飛んでみる。
今日はどんな事を呟いたのだろうか。

「死にたい」
「旦那が浮気してた」
「相手は仲の良かった高校の時の同級生」

目に飛び込んだ言葉に、胸が弾んだ。
1週間前までは旦那との惚気話ばかり呟いて他者からお似合いの夫婦、理想の夫婦だと賞賛されていたのに。
私の勘は当たったのだ。
やたら、旦那を自慢する女の呟きはいつか不幸のドン底に落とされる事を。
だってそうでしょう?本当に幸せだと胸を張れるなら、一々晩御飯の写真を載せたりしない。旦那がどれだけ良い男かなんて書いたりしない。
不安だからそうさせるんでしょう?
私、こんなに頑張ってるってアピールしないと誰にも褒められないんでしょう?
旦那を良く書けば書くほど、狙う女が増えるのにわざわざ書いているのは貴女にとって、旦那はブランドと同じ。
高スペックの旦那が友達と浮気だなんて最高のバッドエンド。

身体中から込み上げてくる愉悦。
やっぱり君は私のお気に入り登録から抜け出せないね。
もっと呟いて。今君が感じてる悲しみをもっと共有して。
その度に私は、心から笑顔になれるの。

「蜜那、入るよー」

「勝手に部屋に入ってこないでよ」

扉が開く音と同時に声を掛けてきたのは2歳年下の弟だ。
コイツはいつも突然部屋に来て私の漫画を借りていく。

「てか、ニヤニヤして何見てたの?」

「SNS。信じてた友達に不倫されたんだって。笑えるよねぇー」

「それ見てニヤニヤするとか趣味悪いな。今更だけど」

そう言いながら、弟が手に取る漫画は不倫をテーマにした今話題の漫画。
似た者同士でしょ。

「他人の不幸は蜜の味っていい言葉だよね」

「蜜那にぴったりの言葉だな」

「褒めてくれてありがとう」

「全然褒めてねぇから。ま、じゃあこれ借りてくわ」

そう言って弟が部屋から出ていく。
減らず口ばかり叩くけど、別に嫌いじゃない。
弟とはきっと、趣味が合う。
この間、会社の後輩の彼女を寝とってやったと自慢された時に確信した。
弟は自分の手で他人を不幸にして悦に浸るタイプ。
私は、自分の手は汚さずSNSでただ不幸を見つめるだけで満足するタイプ。
狂ってるなんて、分かってる。
でも、止められない。

私は幸せな女じゃない。
27歳になっても、彼氏は居ないし実家暮らしで親に甘えている。
平凡で普通の日常がたまらなく退屈なだけ。
でも、世の中にはその平凡で普通の日常すら送れないような人間がごまんといる。
そんな人よりは幸せだと思っている。
下を見ればキリがない。でも上を見れば僻むだけ。
どちらが悦に浸れるかなんて答えは出ているの。

私の勤める会社で、こないだ上司の不倫が社内にバレた時、最高に爆笑した。
女子社員はバレる前から噂話に花を咲かせていたから、時間の問題だと思っていたけれど意外に早くてちょっとガッカリ。
秘密の関係なら、誰にも教えちゃ駄目なのに。
女の方が我慢出来なかったみたいで、SNSに上司とのデート写真を載せてしまったらしい。
それが原因で奥さんにバレたと聞いた。
馬鹿らしい話だけど、私にとってはご褒美だったわ。
ありがとう、ゾクゾクさせてくれて。

私の呟きは日々の愚痴と幸福そうにしている他者への攻撃的なリプライのみ。
世の中全員が、貴方を褒めるなんてありえないの。
私は醜い自分をSNSという小さくて、でも広大な世界に閉じ込める。
会社の人は私の本当の姿を知らない。
噂話にも適当に相槌を打つだけで拡散もしないから、きっとつまらない人間に思われてる。でもその裏で、私はほくそ笑むの。
今噂話をしている貴女も、いつか地獄を見るって思っているから。
お喋りな女のSNSは弱点だらけなのよ。
個人情報を垂れ流してマウントを取っている。きっと鍵は付けてない。
付けているとしたら、それは裏垢。
表ではいい子を演じていて、裏ではなんて今の世の中では当たり前に行われているから怖いわよね。

私は幸せを探している。
他人の不幸を見つけながら本当の幸せにいつか辿り着けないかとどこかで思っている。
私が幸せになる前に他人が幸せになるなんて許されない。
私は愚かな人間である自覚はあるのよ。
こんな人間に幸せなんて訪れないことも分かっている。
だから、こんな事になったのは神様からの罰かもしれない。

何気ない毎日、いつもの会社からの帰り道。
スマホに視線を落として歩いている私の視界と口元を後ろから誰かに塞がれた。
見えぬ恐怖と、誰かの息遣い。
意識はゆっくりと、奈落の底に落とされる。

記憶を辿る。ゆっくりと、ここまでの情報を精査する。
私の退屈な日常は、私の意思に関係なく崩されたようだ。
目を開ければ、そこは誰かの部屋なのか。
見覚えのない天井が視界に広がる。
病院だったのなら、どれだけ良かったか。
視線だけゆっくり左右に流せば生活感のある本棚やカーテンが見える。
私は途端に怖くなり、体を動かそうとしたがどうやらロープのようなモノで縛られているようだ。
両腕は頭の上で固定されており、足は左右に開かれて縛られている。
吐き気にも似た感情が心を支配する。
誘拐された?拉致監禁?
今までニュースで流れて聞くことしか無かった単語が心と頭を支配する。
一体何故私が?誰に?想像出来ないこの状況に自然と涙が溢れてくる。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
カーテンは重くかかっていて外の景色は遮断されている。
外の光が入らず、目に映るはどこにでもあるような家庭用の電灯。
心が叫ばずにはいられない。
口を塞がれているわけではないから、口から叫べば良いのに不思議と声が出ない。
恐怖に直面すると、声が出ないのは本当だったのか。
誰かの呟きで、痴漢されて声が出せなくて怖かったという内容を見た時、嘘だと思った。恥ずかしさが勝って言えなかっただけだろうと。
嘲笑い、馬鹿にしていた自分がまさか同じ目に合うなんて。
絞り出そうとしても出ない。
逆に声を出せば犯人がやってきて、殺しにくるのではないか。
脳裏によぎる最悪の事態に叫ぶという行為を諦めた。
この状況では助けなんて来るはずもないのだから。


「やあ。目覚めたみたいだね。お待たせ」

思考を止めてただ天井を見つめていた私に久しぶりの情報が耳から伝達された。
低音の声色は一瞬で体を強ばらせた。
男性が部屋に入ってくる。
それから、私の顔を覗き込んできたのだ。

「あ...向福さ..ん?」

「名前覚えてくれてたんだ。嬉しいな。あ、そうか。俺有名人だもんね」

その顔に見覚えがあった。
向福  与  (こうふく  あたえ)
会社の上司で、不倫がバレたその人だ。
何故、向福さんが私を監禁したのだろう。
答えはすぐに教えてくれた。

「何で?って顔してるね。教えてあげるよ。不向(ふこう)さんだけが俺の味方だったよね」

「み...味方?」

知っている人という材料が私に声を戻してくれた。それでもか細く小さな声しか出せないけれど。

「そう。不倫がバレて社内で有名人な俺は色んな人に噂されてさ。ノイローゼになるよね。皆俺の顔を見ると視線は反らす癖にそのお喋りなお口は止まらないんだから」

向福はイライラした顔で私を見下ろす。
SNSに写真を上げるような馬鹿な女を捕まえてしまったとか、あの後妻から離婚を切り出されて慰謝料を請求されて散々だったとか、物凄く早口で向福は私に説明をする。
自業自得でしょって、いつもの私なら言っただろう。
この状況では、黙って聴く事が最前の道。
けれど、私は向福の味方などしていない。
それだけが心に引っかかっている。

「不向さんは、社内で唯一俺の話をしてなかった。誰に何を言われても頷くだけで俺の悪口も言わなかったし噂も流さなかった。賢い女だと思った。そしたらさ。不思議と思ったんだ。不向さんを幸せに。幸福に出来るのは俺じゃないか?ってね」

「え..」

「今まで気にしてなかったけど、お互い苗字に向って字が入ってるでしょ?俺と結婚したら不向さんは向福さんになれる。こんなおかしな苗字好きじゃなかったけど、幸福を与える男、向福  与  って最高な名前だって思えたんだよ。君のお陰でね」

私はその説明を聴いて背筋がゾッとした。
勝手な解釈で、ヒーロー気取りなこの男の思考回路が怖いと思った。
狂ってる。私も狂ってるけど、この男は更にその上をいっている気がする。

「君の幸せは僕が決める。与えてあげる。会社には長期休暇を申請しておいたよ。家族にも実は前からお付き合いさせて頂いてましたって挨拶もしてきた。誰も君の心配はしていない。弟くんは驚いていたけど、説明したら姉貴を宜しくお願いしますだってさ」

嘘でしょ。そんな嘘、信じるわけない。
私に彼氏がずっと居ない事は弟だって知っていたし、それを信じるわけなんかない。
幸せを与える?ふざけるな。
私の幸せは私が決める。
あんたと幸せになるわけない。
助けて...私の退屈な日常を返して...。

「俺達はこれから幸せになる。本当はSNSに投稿して、2人の幸せを祝福されたいけれど、馬鹿な女の二の舞みたいな事はしない。蜜那、俺の愛する女。2人だけの世界で生きていこう。何も心配いらないよ。全て俺が管理するからね」

他者の不幸を願った私は、幸せを手に入れるどころか誰よりもドン底に堕ちた。
得体の知れない狂った上司に捕まって、戻ることを許されない平穏で平凡な日常を奪われたのだ。

他人の不幸は蜜の味。
私のこの状況を誰かに呟けば、きっと私は最上級においしい果実になるのだろうね。

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登場したキャラクター紹介

不向 蜜那(フコウ ミツナ)
アダ名はみっちゃん。
27歳  独身
家族は弟と両親
年の差は2歳
SNSで見かける他人の不幸が大好き
それを見るだけで自分はまだ幸せな方だと思えてホッとする人間。
不幸蜜那自身は幸せな人生だとは思っていない。その為SNSに投稿されるモノは愚痴と他人への攻撃的なリプライのみで構成されている。

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