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天道是か非か、それとも

(このnoteは、幕張から自宅への帰り道に書いている。あいも変わらずスマートフォンで打っているので、改行や変換が変なところはご寛恕頂きたい)

2024年5月24日。幕張にいた。今日は午後は仕事を入れないでくれ、とさんざんお願いしたのに、どうしてもとなった仕事。しかも「え?」「ハ?」と思うような予想外のことが立て続けに起きて、ドタバタになる。この仕事は本当にプライベートをすぐ潰してくるが、今日だけは、潰されるわけにはいかない。都内にいた場所から幕張に向けて最短ルートを検索。電車2つ飛ばしてタクシー1メーター乗った方が早いところは乗ったりしてまで、間に合わせた。

17時開幕なのに駅に着いたのは16時37分。しかし今回は同じ場を訪れて3年目。慣れたもので、これまた最短ルートを早足で歩き、5分とかからずに到着。会場に、入った。(ここを読んでいる仕事関連の各位が案外多いらしいので、伝えておく。5月末に「ここだけは無理です」と言った場所は本当に無理なので、ふだんいくらでも仕事を受ける僕でもそこは受けられないことを分かってほしい)

さて3年目となったのは、このショウ。
かの人が手がける「ICE STORY」については僕はショウと呼ぶことはしない。あれは「ICE STORY」としか言えない総合藝術だからだ。

https://note.com/no_answer_butq/n/n2bf54cd6dda2

単純に「楽しかった〜!」ということなどできない、心に重く深く残り、考え続けることを余儀なくさせる「ICE STORY」。それに対して、このショウは、ショウの中のショウ。「楽しかった〜!」ということができる。心の底から。

1年目は、初めて見た。あまりの衝撃に、ここはずっと訪れ続けようと決めた。

2年目は、覚悟を受け止めて、さらに人生史上最大級の「贈り物」も受け取ってから見た。

そして、3年目。このあいだの1年は、あまりに酷い事が幾重にも起きた。怒りを感じて来た。

思えば、ICE STORYの第2章となった「再祈」の物語に触れてから、しばらく時が空いていた。応募しても当選しなかったことや、仕事が立て込んだこともあって、この3年で10度以上足を運んできた「かの人」の場を、半年の間、見ることが出来ずにいた。その間に、同業とされることは許せない、「ゴミ」と言われても仕方ないほどの非道いゴシップの乱立があって、そちらにばかり反応させられてきてしまっていた。一言で言えば「怒り」だ。

だけどいま、半年ぶりにかの人が出演するその場に参加して思うのは、怒りとは全く別の感情である。それはもちろん、かの人(と、世界一のショウを名乗ることに何の違和感もないほど最高の仲間たち)の見せてくれるものに圧倒されたゆえでもあるのだけど、今日はこれまでの10数度とはちょっと違う感情を抱いている。

そのことを記したいと思って筆を執った。ちょっと回りくどい話から始めることを許してほしい。

―――それは、きょうからきっかり180年前のこと。
1844年5月24日、アメリカ、ワシントンとボルチモアの間で世界初の電信サービスが開通した。

最初に送られたメッセージは、聖書から取られた言葉 "What hath God wrought" (神がもたらせしもの)だった。パトロンの政治家の娘が選んだというこの言葉を、発明した本人はどう捉えていただろうか?

発明者の名はサミュエル・フィンリー・ブルース・モールス。

モールス信号のモールス。もともと画家だったが、早馬で知らされた妻の危篤に間に合わず、情報伝達のスピードを上げたい一心で電信を開発した。妻の死から17年目のことだった。

彼は、カソリックへの異常なまでの反抗でも知られる。発明を讃えたローマ教皇の謁見を受けることになった際、いやいやながら出席したばかりか、教皇の前で帽子すら取ろうとせず、衛兵に帽子をはたき落とされたと言う。

愛妻を奪われてその冥福を祈るのではなく、発明をすると言うくらい人間本位の彼。パトロンの娘ではなくもし彼自身が最初の文言を決めていたならどんな言葉だっただろうか。それはもしかして、危篤の妻に伝えたい言葉だったのでは無いだろうか。

そのさらに、2000年前。紀元前1世紀に中国で書かれた、世界一の名著と言ってもおかしくない歴史書がある。司馬遷の『史記』だ。

自分が生きた時代までの歴史を、決して皇帝や王だからといって媚びることなく己の目で分析して描いた司馬遷。その白眉は、「列伝」だ。皇帝や王たちは「本紀」というところに記されるが、帝王ではない、しかし歴史のなかでこの人たちがいたことは刻まねばならないと思って記されたのが「列伝」。司馬遷は全130巻のうち、過半数の70巻をこれに割いた。漫画『キングダム』を読んでいる人なら知っている「呂不韋」などの宰相や「廉頗」「蒙恬」と言った武将、はたまた「刺客列伝 荊軻」など暗殺者に至るまで、読むとのめり込むエピソード満載の列伝だが、その最初を飾るのは、伯夷・叔斉という人物。王族だが王位を継がず、山に籠っていた2人。呂不韋や蒙恬に比べるとずいぶん地味だが、この伯夷・叔斉が列伝の最初を飾ったのには理由がある。伯夷・叔斉の人生を語るエピソードの最後に、司馬遷が書いた言葉が、この列伝、ひいては史記という書物、さらにひいては歴史そのものへの大きなメッセージとなっているのだ。その言葉とは、これだ。

天道是邪非邪

司馬遷『史記』伯夷叔斉列伝

山に籠っていた伯夷・叔斉は、自身の出身の王朝が滅ぼされた際、次の王朝に仕えることをよしとせず、飢えて死ぬ。このことを踏まえて、司馬遷は憤る。「天の道は常に善人に味方する、というのに、なぜ伯夷叔斉はそんな酷い目に遭わなくてはならなかったのか。人の命を奪い、苦しめる盗賊が天寿を幸せに全うしたりするなかで、なぜ善人が餓死をするのか?現実の世はなんとおかしなものだ」そして述べる。「天道是邪非邪」―――「天の道は、正しいのか、そうでないのか」と。

モールスの話と司馬遷の話を書いたのは、彼らが、「天」を疑った人だからだ。モールスの時代でもまだ宗教の力は根強く、神を信じる人は多く、天の差配には従うしかない、と考えるものがほとんどだった。この考えはいまだに根強い。災害や疫病が起こるたびに「天罰」などという言葉が横行し、人間なんてちっぽけで何もできない、と言い張る輩がぞろぞろと現れる。
―――しかし、しかしだ。すでに司馬遷の時代から、「天道是か非か」天の道がたとえあるとしても、それが正しいわけではないのではないか?と疑う視線があった。モールスは、神の啓示を待っていたら大切な人の死に目にも会えないから発明をした。天に任せることなく、人のできる限りを尽くさんとした。

前置きがほんとうに長くなった。考えた順番にしか書けないのは電車の中の乱筆ゆえお許しいただきたい。でも言語化できたように思う。僕がきょう、3度目となるショウを見て感じたのは、このこと、「天に任せることなく、人のできる限りを尽くすこと」だった。ものすごく乱暴な言い方をすると、かの人について、「この人は、神に選ばれた天才ではなく、人だ。人として、この高みに達した」と感じたのだ。実はそう感じるのではないか、ということは予感もしていた。だからショウの前日にこんなこともつぶやいた。

「天才」と言われた回数なら世界一かもしれないひとについてこんなことを書くのは畏れ多い。けれど、この予感は間違いではなかったと思う。このあとは、ショウのことに絞って書く。明日からも続くショウだから、ネタバレを避ける意味でも、有料にすることを許してほしい。

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