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千里の道より最寄りのコンビニ4/病歴と自傷

いえーい!(いえーい!)
鬱だぜ!!(うつだぜー!!)
と、コールアンドレスポンスしたくなるくらい鬱である。
アッパー系鬱。

前々回、さも続きもののように終わったが、別に続きではない。
病歴というと何とも仰々しいが、単に私が今までどんな状態にあったのかを書くだけだ。ざっくりは1回目に書いたし、確か。

小学生高学年の時も朝起きられないことはあったが、明確には中学2年生の時に自律神経失調症と起立性機能障害になった。
高校にあがった頃から睡眠障害も加わり、なんか精神的にも不安定になり、学校も寝てるか休んでるかだった気がする。
二十代半ばくらいまで、酷くなったり通えたりまた酷くなって入院したり、いろいろあって、ある程度落ち着いたのが三十歳前くらいだったような気がする。もうおぼろげだ。
原因は心理士さんとのカウンセリングで明らかにはなっているので、それについても追々書ければ書く。大きく分けると、学校や先生と合わない、家族との関係、この二つに分かれる。あとは自分の中のことが少しという按配だ。

そんなこんなで、今までの人生で何十回何百回と死にたいとか消えたいとか思い、今日も何百回目だよという鬱々とした気持ちになっている。
年若い時は親に絡んだりもしたし、叫んだり、壁を蹴ったりした。今はしていない。
昔から私の鬱々は自分を痛めつけることで逃避したり、回避したりしようとする。
それは今も変わらないんだということに、この間のカウンセリングで気付いた。
「年末に暴食して太っちゃいました。死にたいです♪」みたいなことを言ったら、心理士さんが「身体を痛めつけている」という表現を使った。
それで、「ああ、私は今も自傷行為をしているんだな」と改めて認識した。

もう十代か二十代かもわからない頃には、腕を切ることもしていた。腕に跡が残ると半袖が着れないので、腿をぶん殴ったりもした。ちなみに、腕の跡は3,4年くらいですっかり消えた。
ODもした。でも臆病なので、デパス10錠とかだった。
ひとを殴ったり、ぬいぐるみやクッションを殴ったりは、好きじゃないし、そもそもできない。自分を殴ることの方が安全に衝動を吐き出せる。

気付いてほしいからやっている人もいると思うし、私にその気持ちがないわけではないけれど、人の知らないところで自分が傷付いていく作業というのが、鬱々として病んでいる時はとても好きだ。凍えて部屋の隅に打ち捨てられている自分というのが、ゴミのようで安心する。
誰かにそう扱われたいというわけではないと思う。幸いなことに、そう扱ってくる人は身内や友達にはいない。だから、私が自分をそう扱うのかはわからない。
隅っこに放られて、誰も見向きしないゴミになっていたい。

無価値でありたい、というのは、無価値である、というわけではない。
難しいもので、私は私のことが心底嫌いではないし、無能だとも思っていないし、大切にしている一面もある。
赤の他人から「896号はほんと何もできないんだね」と言われたら、「おぅテメェおもて出ろや」と心の中でチンピラがメンチを切るくらいには自分が好きだ。
そうだとしても、部屋の隅で息をしているのかわからないくらいに、蹲っていたい。今は。少なくとも。

仕事の面談とか、カウンセリングとか診察とか、いろいろな場面で「自分を大切にしなさい」という話をされた。
もっともだと思う。
自分を本当に大切にできるのは、自分だけだ。
でも、大切にしたくない時があるのも事実だ。
そんなことを考えながら、今日も胃にものを突っ込んでいる。

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