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3分小説「白鴉」#3 あんたは殺されるよ

小説「白鴉」は、リウとタフが登場する少年漫画「GABULI」とは異なる、もう一つの物語

#3 「移民街」


19年前、国家遺伝子研究所──
長い廊下を小走りに急ぐ白衣姿のセルマ。
彼女が向かっているのはヨゼフ博士の研究室で
それは突然の呼び出しだった。

ドアの前に立ち
大きく深呼吸してからノックする。

「入りたまえ」
「はい、失礼します……」

おずおずと部屋に入るセルマを迎える博士。

「緊張しなくていい。
実は君に見せたいものがあってね」

博士に案内されて奥へ。
そこでセルマが目にしたのは
保育器の中でうごめく生まれたての赤ん坊。

小説3話_挿絵1_1021

「女の子だよ。名前はミリアム。
この研究室で誕生したデザイナーベビーだ」



唖然としながら
目の前の小さな命に魅せられるセルマ。
赤ん坊はときどき手足を激しくばたつかせて
灰色の瞳で虚空を眺めている。

「セルマ、君に頼みたい任務がある。
今日からこの子の母親役を演じてくれないか」
「……えっ……」
「ミリアムの遺伝子には
太古の特別な記憶が刻まれている。
それを目覚めさせるよう大切に育ててほしい」
「この子を……私が……」


「もし引き受けられないというなら
君の手で赤ん坊を殺せ」



耳を疑うほどの衝撃的な指令。
うろたえるセルマに博士が解剖用メスを渡す。

「我々が創ろうとしている“白鴉”は
運命を味方につけられるから決して死なない。
つまり君に殺されるのならば
この子は所詮それまでだったということ」

赤ん坊を生かすか殺すか──
もちろんセルマに選択の余地はない。
ミリアムが運命を味方につけた最初の瞬間だ。


*   *   *


この世界で何が起きようと
誰が失われようと
太陽はいつもと変わらぬように
西の空へ沈んでいく。

ミリアムの意識が戻ったのは夕暮れ時で
自宅から逃走する際に車で助けてくれた少年が
ベッド脇で彼女を見守っていた。

「……やあ、気分はどう?
ここなら誰にも見つからないから安心しなよ」

少年はゼヴという名前で
今いるのは移民街の安宿だと教えてくれた。
ちょうど階下に耳の遠い老人が営む床屋があり
賑やかな民族音楽が漏れ聞こえてくる。

「キミのそばを離れるなって
張燕に言われたけど、ひとりになりたいなら
ボク外へ出てようか」

構わないと答えるミリアム。
この少年なら何となく信用できそうだし
ひとりで今日のことを思い返すのは辛すぎる。


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「ミリアム、やっと起きたのね」

「ほんと寝坊助なんだから。
グズグズしてると学校に遅刻するわよ」


「朝ご飯は食べた? キッチンのテーブルに
サンドイッチが置いてあるでしょ」



>>>


母親セルマと今朝交わした何気ない会話。
もう二度と戻らないなんて信じられないし
信じたくない。

ミリアムの心境を察したゼヴが
彼女に声をかけるべきかどうか迷っているとき
部屋のドアが不意に勢いよく開いた。

「……お、気がついたな」

現れたのは張燕で
身構えるミリアムに遠慮なく近づく。

「とりあえず無事で良かった。
助けてやった礼ならべつに要らねぇぜ」

張燕の無神経な言動に不機嫌に睨むミリアム。
ゼヴも呆れて口を挟む。

「今までどこ行ってたのさ」
「あー悪い。サングラス割れちまったから
新しいの探そうと思って」
「そんなものいつでも買えるじゃん!」

ミリアムの前で小競り合いをする張燕とゼヴ。
まるで子供同士のケンカだ。

「ところでお前ら腹減ってないか?」


*   *   *

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夜風に漂うスパイスの香り。
宿の裏手には無許可営業の屋台や露店が並び
どこか猥雑な活気に満ちている。

「ねえ……どこ行くの?」
「いいからオレについて来なって」

張燕に先導されるまま歩くミリアム。
途中で物乞いの男にしつこく声をかけられたが
ゼヴが追い払ってくれた。

やがてたどり着いたのは街角の簡易食堂。
中年夫婦が切り盛りする店で
さまざまな料理が大きな鉄鍋に盛られている。

「オッサン久しぶりだな」
「お、お前……」

張燕を見るなり慌てふためく店主。

「こんなとこで何してるんだ」
「何って、ただふらっと飯食いに来たんだよ」
「警察がお前を捜してるぞ」
「そんなのとっくの昔から知ってるさ」


「図書館司書の女性を殺して
その娘を誘拐したって本当なのか?」



咄嗟に顔を見合わせる張燕とミリアム。
ゼヴが代弁して当局による陰謀だと説明しても
店主は信じようとしない。

「とにかく厄介事に巻き込まれるのはご免だ。
さっさと帰ってくれ」
「じゃあデボラの居場所を教えろよ。
さっき家を訪ねたら、もぬけの殻だったぜ」
「デボラは身の危険を察知して隠れてる。
お前に教えるわけには……」

そこへ店主の妻が会話に割って入る。

「ローズ座にいるよ」
「……ば、バカ! 余計なこと言うな」
「今デボラから連絡があったの。
うちの料理を張燕に届けさせるようにって」


*   *   *


羊肉の串焼きと魚介のすり身揚げ
ひよこ豆のフムスに水餃子と辛味炒飯を携えて
寂れた地区にやって来る。


デボラとはいったい何者なのか?


ゼヴによれば
張燕と同じく当局にマークされている人物で
未来を予見する能力があるという。

「お前を会わせたいんだ。
そうすれば答えがわかるはずだからな」
「答えって……?」

それ以上は何も言わずどんどん歩く張燕。
不安を覚えるミリアムだが
とにかくただついて行くしかない。


*   *   *


かつてローズ座は労働者たちに娯楽を供する
移民街の象徴的な劇場だったが
今では野良猫の溜まり場になっていた。

封鎖された正面扉でなく裏の楽屋口から中へ。
埃っぽい階段を上った先
舞台袖のカーテン奥に人影が立っている。

「よおデボラ、元気だったか?」
「あんたこそ人の心配なんぞしてる場合かい」

そう言って姿を現したのは小柄な老女。
黒づくめの衣装に豊かな白髪をスカーフで包み
シェイクスピア劇に登場する魔女のようだ。

「夕飯忘れてないだろうね」
「ああ、持ってきた。オレたちの分も一緒に」
「もちろん全部あんたの奢りだよ」

やれやれというように肩をすくめる張燕。
ゼヴが愉快そうに笑う。


「ミリアムもいるんだろ?
あんたの声を聞かせてくれないかい」



いきなり名前を呼ばれて驚くミリアム。

「あの、初めまして……」
「もっとあたしのそばに来ておくれ」

デボラの求めにミリアムは素直に応じる。
そのとき初めて老女が盲目なのだと気づいた。


*   *   *


ロウソクを灯した食卓。
盲目の老女デボラを囲むように皆で座って
持ってきた料理を一緒に味わう。

「この劇場は夢の舞台だった。
当時あたしは踊り子の中でも花形でね。
毎晩のように通い詰める客が大勢いたもんさ」

デボラの若い頃の話を聞きながら
食事に手を伸ばすミリアム。
よく考えたら、今日彼女が口にしたのは
母親の手作りサンドイッチだけ。
たちまち抑えきれない食欲が暴れだす。

「……おい、大丈夫かよ……」

ものすごい勢いで食べ進めるミリアムを見て
思わず呆気にとられる張燕とゼヴ。


大丈夫じゃない。全然大丈夫なんかじゃない。
母親と日常生活とアイデンティティ。
すべて奪われた深い喪失感を
狂った食欲で埋めようとしているなんて。
そんな自分がたまらなく嫌になる──


ミリアムが気づいたとき
灰色の瞳から自然と涙が溢れていた。
張燕とゼヴは意味もなくオロオロするばかり。

「こっちにおいで」

デボラに言われて身を寄せるミリアム。
優しく頭を撫でられると
それだけで不思議と心が落ち着くのを感じる。


「あたしには視える。
ミリアム、あんたは大切なものを失った。
そしてこれからも失い続ける。
今日の死が明日の生を創り未来へ繋がるのさ。
それがあんたの背負う宿命なんだよ」



デボラの胸に顔を埋めて嗚咽するミリアム。
堪えていた感情が溢れて止まらない。


「やっぱりミリアムは
オレたちが探し求めてる“白鴉”なのか?」



張燕が神妙に尋ねて
間違いないとはっきり答えるデボラ。

「いいかい、よくお聞き。
“白鴉”を命懸けで守るのがあんたの務めなら
仲の悪い兄弟でも力を借りなきゃ果たせない。
そのことはあんたも十分わかってるはずだよ」
「……仲の悪い兄弟でも……」

デボラの言葉を反芻して考え込む張燕。
ミリアムには何のことかさっぱりわからないが
【白鴉】という単語は聞こえた。


「それから張燕
あんたはいつの日かミリアムに殺される」



*   *   *


夜更け過ぎに雨が降り始めた。

宿へ戻る道を歩きながら
デボラが語った予言について考えをめぐらす。

「あれって本当なのかな……」
「さあな。そのときが来ればわかるだろうさ」

ゼヴと張燕の会話に反応を示さず
自分の中に芽生えた葛藤と向き合うミリアム。


私が張燕を殺す──


それは避けられないとデボラは言った。
だが大きな救いにもなると。


死の果てに
どんな救いがあるというのだろう?



さらに別れ際デボラは
ミリアムに会ってメッセージを伝えるために
今まで生かされてきた気がすると呟いた。


「これであたしの役目は終わったようだね」


そのとき目の前を
黄色いレインコートを着た人影が横切った。
はっとして立ち止まるミリアム。

「……ん? どうかしたのか?」

ミリアムは咄嗟に駆けだした。

「お、おい、待て!」

張燕たちを置いて謎の人影を追いかける。
しかし夜の闇に溶け込んで見失ってしまった。


*   *   *


その頃、まだ劇場にいたデボラは
野良猫たちが一斉に騒ぐのを耳にして
ただならぬ異変を感じていた。

裏の楽屋口から階段を上ってくる足音が
だんだん近づいてくる。


「やっぱり来たね。あんたを待ってたんだ」


黄色いレインコートのフードを脱ぎ
漆黒の瞳で盲目の老女を見つめるミリアム。

デボラの両眼から血が流れ出て
やがて彼女は眠るように穏やかな死を迎えた。

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