三重県立美術館「果てなきスペイン美術―拓かれる表現の地平」展に行った記ー1

外出していたとは昨日の更新のとおりだが、行先は津市。三重県立美術館。藤田嗣治の絵のような曇りの日にてこてこと行ってきたわけだ。

津に入るのは生まれてこの方はじめてだった。駅前くらいしか見ていないけれども、小山(おやま)が折り重なっていて細かな凹凸、坂道が多い印象だ。とかく見通しが悪かったが歩きにくいというほどではない、気楽なアップダウンで住宅街をゆく。
なんせ、駅から徒歩5分ほどに県立美術館がある。わたしはあちこちの美術館にわりあい行っているほうだと思うが、こんなに素敵な立地は他に思い当たらない。せいぜいのとこ20分から歩かされる。それかバスか。(それでかえって辺りを見ないうちに着いてしまったとも言う)

さてはじめての三重県立美術館の印象だが、いまだ新鮮に振り返るほどに良かったのだ。
そこには地方の箱モノの美術館……と当初あなどっていたところからのギャップもあったのかもしれないが、それだけではない特別な驚き……言い換えればwonderではなくserendipity、ということになるか。なにか思ってもみなかったきらきらしたもの、見つけものという感がある。

館は住宅街のなかの道から折れて駐車場を過ぎて、すこし登っていった先に見えた。公園や寺、墓地が隣り合いながら互いには見えない、自然に囲まれた土地にある。すこし隠れているうえに、現代的な彫刻がつぎつぎと立ちはだかり翻弄される。
あとで知ったのだけれども、ここは柳原義達から寄贈を受け、かれの作品が幾つも飾られており記念館も併設されていた。その関係だろうか。

そうして館内に入ると、二階建てながら天井は高く、中庭に面した窓が広く採られて明るかった。

展示は企画展と常設展、柳原義達記念館で焼物彫刻の小規模な企画を見た。

総じて、コレクションの質が高くキュレーションが行き届いているのだろう――とても繊細目の詰まった、穏やかな統一感が感じられ、それは知的な布置によるものだろうけれども、しかし専門を究めて初心者を追い払うようなものではなくて、かえって間口を広げて誘い込むような工夫があった。その一方で寄り添い過ぎずに、作品に土足で上がりこむような一線を超えた真似はなくて、あくまで個々の作品や作家を尊重しているように見えた。

ものすごいいい作品があるとか、ものすごい珍しい、貴重なものがあるとかでもない。ピカソやモネがあるうえでそう言ってしまうのもおかしなところだが、彼らとていわゆる当たりのものではない気がする。それでもそれが上振れも下振れもせず、悪目立ちしていない。自然に一連の流れ、その展示室の空気に溶け込んでいるのだ。こうした雰囲気をもっともよく感じさせるのが、国立西洋美術館の常設展(後半)や大原美術館だと思うが、こちらが格式や伝統といったものをテーマにある程度の重厚さを付与しているのに対し、三重県立美術館はもう少し気楽だ。
一方で、妙な言い方だがほどよく洗練がない。知的に研ぎ澄まされた欧米の現代美術寄りの絵画もあれば、バタ臭い20世紀の日本の洋画もあり、ことに常設展のモネやルノワールの並ぶ同じ壁面に、須田國太郎が煤けた茶色で描いた日本の農村風景がある。その地に足のつけっぷりにはユーモラスとおおらかさがある。

(むろん須田とて、進んだ西洋美術に対照せらるる遅れた追従者の日本の洋画家……と言いたいのではなくて、かなり高度に日本の風景画を再構築しようとした、多層的な作家だと思うが……とろれつの回らない注釈を入れようと思ったけれどもそれ自体が眠くなってきたことの証左なので、また明日。

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