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三重県立美術館「果てなきスペイン美術―拓かれる表現の地平」展に行った記ー2

去る日曜日に三重県立美術館に行った。そこでのおおまかな印象記は一昨日に書いた。今日はより具体的な、詳細な展覧会の内実について書く、つもり。

表題の「果てなきスペイン美術」ということで。
しょうみのところどのあたりが果てなきなのかはわからなかったけれども――セクションはモチーフや技法などで細分化されていて、そのように数え上げていくことが果てなさを感じさせるのかもしれないが、各セクションの内実は必ずしもその切り分け方に沿うものではなかったように感じる。つまり章立てとそれを説明するキャプションからなる結構と、個々の作品の特徴(クセ)や嗜好は一致していたか? 過不足はないか? 否……というわけで――模糊とした後味がないわけではないが……、

しかし十二分に面白かったのだ。なんやねんというところ。

結論を先走るようだけれども、ひとえに作品の個性が強く、ときにはキュレーションの目をかいくぐってでもわたしに刺さってきたということだろうか。そしてそれは、セクション立てやキャプションには回収されない、どうしても放言になってしまうが、まだ日本語に定着しない表現領域においてのものなのだろう。
先に述べたとおり、この美術館のキュレーションは非常に手際がよく、控え目なだけでなくあしらいもよく、存在感のないところに巧妙に足元に線を引いているような黒子に徹したものを感じる。それはひとえに弁えが効いているのだ。
悪口ではないのよ。俳諧連歌の脇句のようなもので、いまだかたちにならない作品のありようを、バレーボールのレシーブのようにして、われわれの目に見えるように浮き上がらせ、トスのように心地よい座標へ押し上げる。そうした、受けの妙技が効いている。
そうした意味で、今展覧会はスペイン美術と日本の博物館学のコラボレーションと言えるのかもしれない。



今回の出展作品は、スペイン芸術である前に、すべて三重県立美術館と長崎県美術館の収蔵品からのセレクションであるらしい。
三重県立美術館は92年から県とバレンシア州の提携が図られた縁で、長崎県美術館は渡西した外交官による須磨コレクションの寄贈を受けて、両館とも日本において珍しくスペイン美術のコレクションが充実しているとのこと。
それはつまりわたしたちが日常目にすることのできる範囲に、そもそもスペイン美術が珍しいことと繋がっている。まさにこの繋がりから、今展覧会は物珍しい遠くの島の宝箱のような様相を持つ。
じじつ、ピカソやゴヤ、ムリーリョといった美術史上の大家を含んでいるとしても、総じてすこし西洋美術の規格から外れたような、独自の土壌を感じさせた。

わかりやすいところでモデスト・ウルジェイ「共同墓地のある風景」か。横長の画面に枯草の点々と茂る荒野が横たわり、中心に夕陽を背にして蜃気楼のように遠く、しかし重たさをもって墓地の門と取り囲む塀が座している。こうした神秘性を排した、ただただ寂しい地平線の表現は他では見られないものだ。おりよくわたしはフアン・ラモーンの「プラテーロとわたし」(岩波文庫)を読んでいたところで、こうした荒野の風景には既視感があった。

あるいは、同セクション(現実なるものへの視線:此岸に立つ)からホセ・グティエレス・ソラーナ「軽業師たち」など。
同作家の「アスファルト作業員」同様に、両大戦間(後)の日本画壇でもよく見るモチーフだ。労働者と道化師。どちらも社会の低層を生きる社会集団だが、この作家において描かれたところ、明るさや剽軽さだけではない、本質としての生命の放縦さ……獣のような力強さを持っている。

そうした異邦としてのスペイン、なにか力を持って当地の芸術家たちを捉えて離さず、それが作品のうえにあらわれてはいるけれども、まだ言語化しづらいわからなさとしてのスペインが、わたしたちを鷲掴みにする。そして「1 宗教―神秘なるものへの志向」「2 現実なるものへの視線」「3 場と空間」「4 光と影」「5 伝統と革新」というセクションのもとに、展覧会はそれにかたちを与えていこうとする。……しかし、書き出してみてあらためて思ったけれどもだいぶ大づかみな分け方だ。

この章立てがわかりにくいとは思わなかったけれども、やはりそこからなおもはみ出してしまう、各作家の個性の強さ、そしてまだ捉えきれない、存在しない網目のなかにいるような、そこを通してこちらを見つめているような爛爛と猛々しい生命力のようなものがまだあった。
長崎県美術館のコレクションにもそうとう興味が湧いた。これはいい指針を得た。

最後に。ビセンス・ビアプラナ「トリプティク」(1989)という、絵画? 半立体? 作品がよかった。三幅対とはすこし違うが、左・中・右の三点からなる作品で、炭を思わせる漆黒の地に、左には空へのぼる魂のような白線が上部へ、右には空から落ちた星のような白線が下部へ、真ん中は、よく見れば海と大地のような水平方向の層が分かれている。なんとなく、祈りと崇拝、ゆきて戻るものとその地平を感じさせる、神秘的な作品だった。

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