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わたしとイタリアの縁

大学生の頃

交換留学の広告を発見して、行ってみたいなと思ったのもあった。

その時は親から『大学卒業してからは?』と言われて

まぁ、それでもいいのかな…と思って応募はしなかった。

それと同じくらいの時に、イタリアンレストランでのアルバイトを始めた。

ほんとは、3ヶ月くらいで辞める予定だったのだけど…気がつくと留学する直前までいた笑

というのも、ハワイに行くためのお小遣い稼ぎだったから
長く居るつもりはさらさらなかった。

家から近くて、学校終わりに夜遅くなっても入れて
美味しいご飯付きで食費も浮くしラッキーじゃない?くらいな感じ。

全国チェーンとかじゃなく、都内2店舗だけでおしゃれな雰囲気も自分的にポイント高かった。

その母体の会社は
会長がイタリアに関することでその界隈では
割と知られていて、定期的にイタリアからシェフがきてイベントをやっていた。

それもまた良い刺激だった。

『次、言語学ぶならイタリア語がいい。ここに居る誰よりも話せるようになろう。ジュエリーもさらに学ぼう』

そんなふうに思うようになって、結局ハワイ旅行行ってからもバイトし続けてた。

留学する時にどこの語学学校がいいかなー?と悩んでたところ
会社ではイタリア語教室も持っていて、その学校がイタリアにもあった。

で、そのままスライドで入学決めてビザも申請した記憶が…

とは言っても当時はなかなか留学のビザも申請面倒くさかったような。

一年以上行くって決めてたから、ジュエリーの専門学校と合わせてたかな。

今思えば、イタリアに行く道筋はできてたと思う。

トントンと進んで行った。

『あ〜…難しいかな、いくの』
と思った時もあったけど

なんだかんだ流れるように進んで行ったのを覚えてる。

本当に、導かれるように。

あの時、あの時期に行ったから出会った人たちがたくさんいて

それは帰国してからも変わらずに続いてる。

帰国してからもイタリアに関わる仕事に就けてるのは
自分の中で『何でもいいからイタリアと繋がっていたい』って気持ちが強かったからかな。

残って仕事を探したかったけど、その当時はなかなか難しくて。

でも、それも自然の流れ。

良かったと思う。日本でも沢山のイタリア繋がりが出来たから。

何かとイタリアは身近だったのかな。
実家に帰る途中には観光スポットにもなってる教会があって、クリスチャンではないけど小さい頃から行ってた。

母がそのお店で買ってくれたメダイは今でも大事なお守り。

前世というものが存在するならば、わたしは確実にイタリアのフィレンツェに居たんじゃないかな?

毎日あの風景を見ながら学校に行くのが好きだった。
あの、石畳み。
ずーっと昔からある建物たち。
百合の紋章。

観光の人たちが通らない静かな道を通ってミケランジェロ広場にいくのが好きだった。



また、必ずフィレンツェに行くよ。




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