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(制作の中で)かいほう

シェルブールの雨傘

相変わらずがっつりとした制作は落ち着いている日々。相対的に来年の展示に向けた、さらさらっとしたスケッチを描く割合が増えています。

私の場合、がっつり描いて"解放"する時間がとれない日々が続くと、なんだかくしゃくしゃした気持ちになってしまいます。

がっつり描くのは、自分の中を潜って潜って...その末に、出口が見えてきて心がちょっぴり軽くなる感じ(出口の先にはまた、道が続いているので決して終点ではありません)。

一方さらさらっと描くのは、あっちへふらり、こっちへふらり。規則も終点らしい終点もなく、広い空間を当てどなく歩き回る感じ。


がっつり描いた末にたどり着くのは"解放"感、さらさらっと描き連ねた時の気持ちは"開放"感なのかな、なんて私は思います。


解放:からだや心の束縛や制限を取り除いて自由にすること。

開放:制限をなくして出入りを自由にさせること。


いずれもMACの辞書(大辞泉)からの引用です。この解放開放のニュアンスの差は、スケッチと本制作の肌感覚の差に近いです。

がっつり描く事で得られる"解放"感をほかのことで代替するのは難しいです(できないからくしゃくしゃするわけで)。ですので、スケッチばかり描いても、がっつり描きたいなという気持ちは依然湧いてきます。

それでも、日々の隙間にさらさらっと描き散らすと気持ちが"開放"はされます。すると風通しも良くなり、気持ちがよどむ事は減りました。代わりにうずうずした気持ちは湧いてくるものの、それはすこぶる健全な証。むしろ大歓迎です。


心が快方に向かう解法は一つではないのだと懐抱した、という快報でした。ついつい安易な言葉遊びでしめたくなるのですが、これでは台無し。壊崩です。

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