(雑文)ある八月の「おっ」

 4年前の八月。東京国立近代美術館へ「吉増剛造」展を観に行きました。六月に一度訪れていたものの、諸事情あり駆け足での鑑賞だったので再訪したのでした。

 会場の入り口では吉増さんのサイン会が開かれていました。そんな事があるとは全く知らずに訪れた私。「これも何かの縁」と展示鑑賞前にミュージアムショップへ駆け込み、展覧会カタログを買い、列に並びました。

 サイン待ちの列はそう長くはないものの、吉増さんは一人一人とじっくりお話されているようで進みはゆったり。 吉増さんの横には学芸員(担当学芸員の保坂健二朗さんと思われる)も座っていて吉増さんとの記念撮影を希望するお客さんの撮影係をしていました。撮影希望者が多いのか少し疲れた様子でしたが動きは俊敏、気前の良い方という印象でした。 

 その様子を遠目にぼんやり眺めながら 「吉増さんとどんな話をしよう」 と考える私。けれどもこれといった話題は浮かばず。その内に、自分の番が回って来てしまいました。

 前のお客さんが立ち去り前に出る私。一旦下を向いていた吉増さんの顔がぬっ、とこちらを向きました。目があうと吉増さんは小さく「おっ」と声を発し、それからにこりと笑って下さいました。

 「展示はどうでしたか」と吉増さん。「六月に一度来ていて、また来ました。今日はこれから拝見します。」と私。「それじゃ急いで書かないと。 この二ヶ月間であなた自身にも変化のあった事でしょう。 以前とはちがった見え方をすると思います。 ぜひ何も考えずに楽しんで下さい。」 そういうとカタログの奥付にさらさらと名前入りのサインを描いて下さいました。最後に握手をし私はその場を去りました。

 最初の「おっ」という何気ない一言から、悪戯げな笑顔、カタログに書かれたサインの文字、がっちりと交わした握手。一挙一動が初めて会う自分を包容してくれるような暖かみのあるやりとりでした。3分にも満たない出来事ながら、今でもその時の事をふと思い返す事があるのは、社交辞令や丁寧なファンサービスに収まらない「全身詩人」としての詩表現となっていたからではないかと思います。なんて綴ると情緒的すぎるかも知れませんが。

  そのあとは閉館の間際まで展覧会を堪能しました。吉増さんの助言通り何も考えずに。普段は欠かさず持ち歩いていたメモ帳もこの日はカバンの中でお留守番。ゆえに今となっては展覧会の感想を理路整然と振り返る事はできません。ですが思い返すたびにじんわりと好奇心を暖めてくれるような滋味のある体験であった事は確かです。

(この文章は2018年に書き記した文章を大幅に改訂しました。)

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