掛け替えのないものを得た3年間
おはようございます。
オッさんでございます。
今日は、前回も少しだけお話しした、高校時代に入っていたラグビー部での話です。
私は、体が大きく力も人並みよりはあったため、もともとラグビーはしていないにもかかわらず、ラグビーのスポーツ推薦で高校に入学することができました。
中学時代は柔道部に所属し、そこそこの成績も残していたことから、「ラグビーって何かまったくわからないけど、とにかくいい高校に勉強しないでいけるなら好都合だ。」と浅い考えで進学しました。
当然、室内競技と室外協議では必要になる筋肉もスタミナも全然違うため、ほかの選手たちがウォーミングアップをしている横で、膝に手をつき息切れしている私という構図が出来上がりました。
そんな私を見て、ある選手が「なんでお前ここにいるの?」と尋ねてきました。
途端に、私は恥ずかしくなりました。
他の選手達は、みんな真面目に花園(高校ラグビー全国大会の略称)を目指してその高校に入学してきたのに、その横で碌に走れもしない私がいたら不快になるのは当然です。
まして、スポーツ推薦をもらって入学してきたのなら、なおさら・・・
最初は、後悔しました。
自分には場違いなところに来てしまったとも思いました。
しかし、すでに入学してしまった私には、もう逃げ道はありません。
周りからの視線と、無言の圧力に心が折れそうになりましたが、その時に、小学生時代のことを思い出しました。
今ここで屈してしまったら、また小学生時代と同じになってしまう。
それだけは、嫌だ。
もう二度と、あんな思いはしたくないと心から思いました。
不思議なもので、自分の中でか気持ちが固まると、自然と行動も変わっていきました。
まず、今の自分にできることと、できない事を区別するようになりました。
できることは、さらに習熟させ、できないことは小さな目標を立て、達成できるたびに自分で自分を褒めるようになりました。
例え、周りから見れば、できて当たり前なことや、全然できていないように見えることでも、自分が決めた目標を達成出来たら、よくやったと自分に言い聞かせていました。
そんなことを続けていくうちに、2年生の秋、公式戦の控え選手に選ばれることができました。
その時の気持ちは、とても複雑なものでした。
何も感じなかったような、胸から何かあふれてくるような、どこか現実味のない思いでした。
3年生になり、今までやってきたことが報われ、公式戦の先発メンバーに定着できるようになり、県の選抜メンバーにも選出されることができました。
このお陰で、やっと私は、自分に自信を持つことができるようになりました。
しかし、高校時代最後の試合、私は開始20分ほどで膝の靭帯を断裂する怪我を負い、3年間の青春に幕を閉じました。
原因は、私の膝めがけて、相手選手が全体重を乗せて、思いっきり飛び込んできたからでした。
仲間に肩を貸してもらい、ベンチに下がっている途中、痛みもありましたが、それ以上の悔しさと情けなさで涙が止まりませんでした。
試合は2点という僅差で敗北しました。
この高校時代の経験から、私は多くのことを学びました。
厳しい状況にあるときは、まず自分にできることと、できないことを区別し小さい目標を少しずつでもいいから達成していくこと。
どんなに小さな目標でも達成したら自分で自分を褒めてあげること。
周りの評価ではなく、自分で自分の評価をつけてあげること。
人の成功例をまねしたからといって、自分も成功できるとは限らないこと。
勝利(成功)した時よりも、敗北(失敗)した時のほうが学びがあること。
自己管理ができていないと、大切な時に全てが台無しになってしまうこと。
優勝を目指している中での一回戦敗退なら、その試合に意味はあるが、最初から準優勝を目指して準優勝しているのであれば、それまでの試合に意味なんて皆無であること。
コミュニケーションは、他の何よりも大切であるということ。
最終的には、自分で行動しない限り、成功なんてないこと。
今になって思えば、社会人にとっての基本的なことも学んでいたような気がします。
私の高校時代の思い出は、決してハッピーエンドではありませんでしたが、掛け替えのないものを得ることができました。
改めて、当時のどうしようもなかった私を見出してくださり、私を導いてくださった監督やコーチに対して、心から感謝申し上げます。
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