見出し画像

全国ピアスタッフの集いを終えて

先日、福岡市で開催された
「第10回全国ピアスタッフの集い」
僕はチームあいりきの一人として今年最後の遠征をしてきた。
今年4度目の福岡県。
なんと羽田空港を除けば都内より福岡県のほうが足を運んでいたことになる。
縁もゆかりもない土地だったのにあいりきのおかげでずいぶんしっかりとした縁が生まれて九州という土地が僕にとってますます心地よい場所になっている。
とはいえ…
正直、最初は不安のほうが大きかった。
まずは考えたくないけどコロナ。
まだ大きな学会やイベントは軒並みオンラインを選んでいる中でハイブリッド開催、しかも12月。
おそらくまた増えているだろうなと思われる時期なので話が決まった段階では素直に喜べなかった。

次に旅費だ。
金額が跳ね上がる時期ではないけれどものすごく安い時期でもない。
宿代を浮かすために弾丸日帰りができるほどタフでもない。
今の生活で旅費を捻出するのはかなり難しくて頭を抱えていた。
抱えたところで解決しないけど。

それでも僕は行くことができた。
そのために動いてくれたのがnoteがきっかけで繋がった大先生マダオさんだった。

マダオさんが日本ピアスタッフ協会の方に紹介したところトントン拍子で分科会の話が決まり、さらには実行委員となり極めつけは総合司会に抜擢されるという八面六臂の活躍だったのだけど、
僕の現状と必要性を伝えてくれたことで旅費を確保してくれるというグランドスラムを成し遂げてくれたのである。
なかなかここまで動いてくれる方はいない。
というより初めてだった。
いつだって立ちはだかる旅費という問題で数々の大会を見送ってきた経験があるので本当にありがたかった。

とはいえ不安は残るし先方も業務と並行して企画をしているので告知などのプロモーションが遅れに遅れていたこともあり直前まで行くかどうか迷っていた。

何よりも僕はピアサポーターだけどピアスタッフではない。
実は横須賀で第5回が開催されたときも分科会に演者として参加したことがあるのだけど、
その時はピアスタッフだった。
なので今回はどこか気後れしてしまう部分があった。
それに僕個人としては障害者総合支援法による現状の支援におけるピアスタッフの位置づけが
「コ・精神保健福祉士」みたいな感じがしていて疑問を感じている。
もちろん広義で言えばピアスタッフもピアサポーターなのだけど現状は雇用の有無で判断するため分断を生んでいるとも感じている。

そういう個人としての葛藤もありカミさんにはずいぶん愚痴ったし相談にも乗ってもらった。
あいりきの責任者でもある蔭山さんにも何度かメールで話を聞いてもらった。

そんな僕が腹を括ったのは直前に聞いた参加者の数だった。
予想以上に少なかったのだ。
リカバリーフォーラムは完全にオンラインだったから比較はできないけど、にしても…な数字だった。

人によっては参加を見送る要素にもなる動員。
けれど逆に燃え上がる人間もいる。
日頃から「プレッシャーは大好物、逆境を楽しめ!」を
スローガンにしている僕はまさに後者。
あいりきを選んでくれた人には楽しい時間を。
選ばなかった人には後悔を届けてやるぜー!と腹を括ったわけだ。

こうして感情の紆余曲折を経て降り立った福岡空港。
あいりきが北九州だったので福岡空港に降り立つのは実に30年ぶり。
ちなみに飛び立つのは3か月ぶり。
にしても…寒いですね。
あいりきのときは仲間と一緒だったから1人ぽつねんで余計に寒く感じたのかもしれない。
少し遅れて到着したのでホテルに直行してコンビニ飯。
中心街から少し離れていたので誘惑もなく淡々と夜は更けていった。
ちなみにコンビニのレンジが壊れていてホテルにも置いてなかったので夕食は冷え切った大盛りのミートソースパスタでした…
せ…切ない。

こうして迎えた当日。
僕は早起きをしてドトールで朝食とカフェインを摂取しようとホテルを早めに出た。
が、ドトールまだ開いてなかった…。
昔の僕ならここで軽くテンション下がっていた展開だけど今の僕は違う。
冷めたミートソース、朝飯抜き。
これで厄除けは済んだなと頭が切り替わるようになった。
「万事うまくいくな」
そう確信して僕は地下鉄に乗り込んだ。
ちなみにこれはかつてパチプロで身につけたカンみたいなもので根拠はない。
カンってのはそんなもんです。
根拠なんてなくたって良いんです。

会場となる西南学院大学がある西新の階段を上がると福岡タワーがデデーンと遠くから見下ろしていた。
「なんね、きさん…」と威圧されているような気がしつつも大学に向かい、inゼリーでブドウ糖を摂取。
さぁさぁ!あとは始まるのを待つばかり。

当初は分科会参加者にあいりきを体験してもらう形で考えていたのですが
オンデマンド用のカメラが入るので急遽、内容を変えて4年間の活動報告や精神障害者の恋愛と結婚の体験談をマダオさんと私から。
支援者から見た恋愛支援の必要性などをあいりきファシリの泰三さんと蔭山さん、横山さんから話してもらいつつ全体としてはゆるっとしたトークショーみたいな感じに。
みんなであいりきの持つ雰囲気やゆったりさを伝えた…つもりです。
参加者との質疑応答ではとても素敵な言葉が溢れてきたりピアスタッフが多いからこそ地域生活の充実、希望する生き方の実現のために必要だという声が上がったりとたくさんの笑顔に出会うことができました。
すごいです、福岡。

病院や福祉事業所では未だに恋愛禁止、連絡先交換禁止と職員の仕事を増やすなみたいな権利侵害が続いていますがピアスタッフの多い福岡市ならその問題も解決できる気がしました。

午後のシンポジウムでも語られていたピアスタッフがいて当たり前の福岡市という異色の土地。

とても先駆的だと思う。
東京や横浜よりだいぶ進んでいます。
支援者側からピアスタッフの必要性を強く感じることは本当に貴重だし、
当事者としてもありがたい話です。
全国の支援者に見習ってほしいくらい。
いや、見習わずにどうする。

お昼ごはんどうしようかなと思っていたらお弁当とお茶をいただくことができて本当にありがたかったです。
こうして何やかんやありつつ、夕方に無事クロージングを迎え僕の最後の遠征は幕を閉じた。
カッチョ良く言うとあいりきファイナル公演オーラス迎えました!という感じ。

そしてみんな別々の場所に帰っていく。
僕も福岡空港から夜のフライトで戻るのだけど…
「ちょっとくらい観光してーよー!」という衝動が高まり福岡タワーまで行ってみることにした。

さすがに憧れの海の中道までは行けないけれど、せめて玄界灘は見ておきたい。
それに福岡タワー周辺は1994年公開の
「ゴジラvsスペースゴジラ」の最終決戦地ということもありゴジラファンとしては聖地巡礼みたいなことがしたかったのだ。

しかし…
高い建物というのは目立つから近く見えるけど実際に行ってみると思いの外、遠いことがある。
それは福岡タワーも例外ではなく。
さらに玄界灘から吹きつけてくる北風に押し返されながら進むという何かの試練みたいになってしまった。
それでも観光がしたいという意地を貫いて僕は玄界灘にたどり着いた。
よく太平洋は青、日本海は緑と言われるけど本当に緑系の独特の色合いで良い景色だった。
恐ろしく寒かったけど。
「福岡タワーがあれだから…スペースゴジラはこの辺…ってことはゴジラはあっちでモゲラがあの辺…」という脳内再現もできた。
が…これ以上、風に当たってるとコロナじゃないにせよ風邪を引きそうだったので来た道を凍えながら戻ることにした。
この辺りはサザエさん通りと名前がついていてあちこちに銅像が立っているのも印象的だった。
いつもなら持ち歩いている三面怪人ダダと写真を撮るけど、
そんな余裕がなくなるくらい寒かった…。
ようやく駅まで戻り福岡空港へ。
宮崎によりたい気持ちをググっとこらえつつ
カミさんからの司令である「博多通りもん」と「もち吉のいなりもち」を買って、ようやく僕は一息つくことができた。

いやぁものすごく疲れた。
けれど本当に行って良かったと思っています。
日本ピアスタッフ協会の皆さんをはじめ参加していた皆さん、
何よりも大先生マダオさんに心から感謝しています。
本当にありがとうございました。

いつかまたお会いしましょう。
そのときは心置きなく外食できるといいな…
大濠公園にも行きたかったし。
うむ、心残りがあるので必ずまた行きます。

ってなわけで「第10回ピアスタッフの集い」お疲れ様でした。

感謝と愛をこめて。
アディオース!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?