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恋とか愛とか

先日、バレンタイン直前ということでハマッチャではまるっと恋愛をテーマにした。
みんながそれぞれに恋愛の光と影を話してくれたのでわしも遠慮せずに過去のことを話したり、自分の価値観を伝えたりした。
恋愛は義務じゃないけどやっぱりみんな何かしら思うことはあるし考えることがある。
楽しい経験だけじゃなくつらい経験も率直に話しつつ、なんだかんだ誰かとの繋がりって大事なことなのかもしれないなと思いながら耳を傾けていた。
たぶん不定期開催します。これは。
わし自身あいりきにずっと携わる中で価値観や考え方がけっこう変わったし
ファシリテーターはあまり自分の話をする機会がないので
フィードバックすることであいりきに興味を持つ人が増えてくれるかもしれない。
クドいようですがあいりきは恋愛礼賛主義でも恋愛至上主義でもありませんので誤解なきよう。

そんな話をした夜は何となく話したことを反芻する。
いわゆる破局というやつが実に23年前でちょっとビビったし、
その割にはけっこう鮮明に覚えていることもあって、
記憶力がいいってのも時に考え物。
前にも綴ったような気がするけどわしは思い出が単体ではなくて特に音楽と紐づいていることが多いから
Spotify先生にプレイリストをお任せすると不意打ちされたりする。
この日もそうだった。やれやれ…。

恋愛における綺麗な別れというものが存在するのか分からないけれど
お互いに笑顔のままで憎むことなく、むしろ幸せを切に願うようなお別れを経験したこともあれば、
殺意と憎悪が湧いた別れもあった。
なぜか(なぜだ⁉)勘違いされているのだけど、わしは恋愛経験豊富というわけではないから一つひとつを部分的とは言え鮮明に覚えているのかもしれない。
たださすがにもう顔は全く思い出せない。
その代わり声や肌の感触は生々しいくらい覚えていたりする我ながらちょっと気持ち悪い…
まぁそういう感じの記憶だからもし無言で目の前に立っていたら全く気付かないと思う。
でも見事に全員わしの呼び方が違ったから声よりもそっちで気づくだろうな。

記憶というのは何かとセットになっているとより鮮明に残るという話を聞いたことがある。
わしはそれがさっきも書いた通り音楽。
余談だけど学生時代、暗記は音楽とセットだったから思い出せない時に頭の中で音楽を流すと思い出していた(ここのギターソロ…ポーツマス条約!的な)
とはいえ恋愛だけで切り取ってみると遠距離恋愛だったり年の差一回りと、
もともとインパクト強めということも影響しているかもしれない。
なぜか傷つけたことは鮮明に覚えているのに傷ついたことはコロッと忘れているのが良くも悪くも謎だ。

わしくらいの年代の人は(昭和50年代生まれ)
ヒットしたドラマの多くはラブストーリーだったし
ヒットした音楽もラブソングが多かったと思う。
だからよく分からないままに恋愛はキラキラした誰もが憧れるものだと刷り込まれていた気がする。
当たり前のように誰もが異性を好きになり交際して性交渉して結婚する。
だから中学生のころは周りも含め何となく恋愛しなきゃいけないような気がしていたし、
もはや人に恋をしているのか恋に恋をしているのか分からないまま過ごしていた。
だからだろうな、修学旅行の夜とかに
「ここだけの秘密だけどお前、誰が好き?」
みたいな話になって、
つい何となく誰かの名前を言ったら全然ここだけの話じゃなくて見事に機密漏洩。
何も始まってないのに拒絶されるという謎めいた経験がある。
ま…つまるところ彼女がいることよりも単純に異性と身体的な接触がしたかっただけだと思う。

その後、強制収容所みたいな男子校に進み全く異性との接触がないまま体罰で不登校になり、
編入した定時制でさっき書いたとおり紆余曲折の七転八倒。
で、まぁ卒業するころにはすっかり人間不信のパンクス少年になっていた。
だからその数週間後にカミさんと出会った時は大いに困ったもんである。

あれから23年。
100%カミさん一筋だったかと言われたら正直、ブレたことはある。
我ながら不届きものだと思うけれど、人との接点が少なかったことが影響していると思う。
だからといってそれを「仕方がない」で済ませるつもりはない。
ブレながら「どうしてカミさんはわしといてくれるのか」を常に考える習慣がついてその振れ幅が小さくなっていったと今は思う。
そのために物事の基準をいったんカミさんにしてみるとか色々と考えていくうちに支えあうとか助け合うということがだんだんわかってきた。
もちろん未だにわからないことは多々あって、それがまた面白いから一緒にいられるんだと思う(カミさんもそうであってほしい…)

結局のところ恋とか愛に正解があるわけじゃない。
わしら夫婦の感覚は他の人には分からないし当てはまらない。
そもそも論じるようなことでもないし語るのは野暮だなと思う。
その一方で日本人は無頓着というか「愛=恋愛」という感覚が強いし
自分を愛するということとナルシシズムがごっちゃになっていて自分のことは大嫌いなのに他人を好きになろうとしていたりする。
口に出すことはしないけれど、さすがにちょっとキツいんじゃないかなぁと思っていることはよくある。
だって自分の嫌いなところを相手からズバーンと指摘されたらしんどいでしょう?
自分のことが大嫌いだったら全否定されるような感覚になっちゃうんじゃないかしら?
せっかく褒めてもらっても素直に受け止められない。
謙遜は美徳みたいな文化だけど度を越した謙遜は人を遠ざけることに繋がると思う。
それってもったいないというか、相手に対して失礼になるんじゃないかなぁと。
褒めても否定、注意すると凹むってなるとわしなら何も言わなくなる。
それじゃあ他人と長く一緒にいることは難しい。いや短くても難しい。
繰り返しになるけど自信満々でいる必要はないけど
6割くらいは自分を好きでいてほしいなぁと思う。
んで、どっちでもないと嫌いが2割ずつくらいだといい感じかもしれない(6:4で考えるのもわしはキツい)
とか言いつつもやっぱり論じることは空虚だなと思う自分もいて結局はひとりひとりが考え続けるしかないんだろうなぁ…
いやぁしんどいですなぁ…ぜ~んぜんキラキラしてない。

でもね、わしがあいりきを通して学んだことの一つとして
「愛は人を殺せる」があるのでやっぱり一度はちゃんと考えてほしいと思います。
痴情のモツレのことじゃなくて(それもあるけど)
テロルや戦争も愛だったりするから立場が変われば愛というのはけっこうデンジャラスなもんだと思っている。

わしの口癖の1つに
「恋愛とか性の話を居酒屋のツマミにするな」
がある。
マジで大切なことなんだからシラフできちんと考えてそれぞれの価値観を知ることが大切だと思う。
飲みに行くのはそのあとでいい。
特に愛は日本人の感覚だとしっくり来てないのでちゃんと考えることから始めてほしい。
郷土愛とか動物愛とか色々あるんだから。

ハマッチャで開催していたあいりきトライアルで
「I love you」を日本語でどう翻訳するか悩んだキリシタンたちは
「御大切に(ごたいせつ)」
と飜訳したというエピソードを紹介した。
なんだか日本人ならではの言葉で素敵だなぁと思う。
たぶん人の数だけ解釈は生まれる。
それが大切なんだと思う。
わしはカミさんを愛してるし両親も愛している。
Rock'nRollも愛していればぬいぐるみも愛している。
三面怪人ダダのことも愛しているし宮崎県のことも愛してる。
もちろん布袋さんのことも愛してるしカバのことも愛している。
愛について考えると自分の周りに愛はたくさん存在していることに気づくかもしれない。
「誰かと恋をして愛を育む」というのは義務でもなんでもない。
そんなことは自由でいい。好きにしたらよろし。
ただ愛=恋愛という固定観念は手放してもいいんじゃないかなぁと思う。
そしてハマッチャの仲間から「推しも愛」という名言が飛び出したことでさらに多くの愛に気づくことができた。
おかげで「愛の伝道師」としてさらに精進できる気がしている(うさん臭い?)

ってーなところでまた近いうちに…
相変わらず長いアタクシの文章に目を通していただきありがとうございました。
ほいではアディオース!

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