雑記

私はなんのために生きているのだろうと思う。カッコよく生きたかった、人から羨ましがられる、憧れられる人間になりたかった。

秀でたものが欲しかった。誰かに認められたかった。誰かって誰?誰でもいい。実感がほしかった。

褒められたこともあった。嬉しいけど、きっと他の人にも言ってるんだろうな、私が褒めて欲しそうな顔したから優しさだろうなと思ってきた。

どんどん素直さがなくなってきた。素直じゃないくせに素直なふりをして、サッパリした性格じゃないのにサバザバしてるフリして生きてきた。

悩んでると思われたくなかった。病んでるとおもわれるのは恥だと思ってきた。その思いは他人へも反映されていた。病んでるという人は、どうせ皆ファッションだと思ってた。心配してるフリしてそういう人は面倒くさいと思った。そう感じたら上手いこと、その人から離れることにしていた。

しかし、ある時、自分自身が1番病んでることに気づいてしまった。自分自身が1番面倒くさい人間だったんだと気づいた。助けを求めようと思ったけど、助けを誰に求めていいのか分からない、求め方も分からなかった。「助けて」と言ったら、自分が過去に他者に感じたように「面倒くさい」と突き飛ばされると思った。肝心な時にそばにいて欲しい存在が分からなかった。

自分が何をしたいのか分からない。死にたいのか生きたいのか。生きたいなら何か目的があるはずなのに私にはない。死にたいなら、手段を考えて行動するはずなのに、してない。怖い。本当に死にたい人は恐怖も未練もないはず。

ただ、産んで育ててくれた両親に申し訳ない。両親のことだけは毎日考える。考えれば考えるほど生きてることに申し訳なくなる。こんな子どもを産んだこと、恥ずかしいと思ってるだろうし、消したい事実だろう。人生の汚点だと思う。

父も母も真っ当に生きてて、深い愛情を注いでくれて、なんの障害もない人生を送らせてくれてたのにどうしてこんな生き方しかできなくなったのだろう。自分なんてどうでもいいと思ってるくせに、どうしてこんなに自分を守って引きこもってるんだろう。

誰も私のことなんて知らないし見てないし、誰の記憶からも去っていってるの分かってるのに、どうして人目につくのが怖いと思うんだろう。

どうでもいいと傷つくのがこわいがどうして共存しているんだろう。恥ずかしくてはずかしくて、醜い私を晒すのが怖くてたまらない。

自分という存在を消し去りたい 存在を無くしたい 自分を感じたくない 逃げてる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?