「普通」になろうとして疲れた話。

自分で言うのもなんですが、
私は自分のことをいわゆる
変わり者だと認識しています。

しかし、自分が変わり者だと
いうのは、黙っていては気が
付かないものです。
他人と話したり、他人の言動を
見るなどして、自分と周囲を
比較しなければ、自分が変わって
いるかどうかなんて分かりませんよね。
私はこれまでの生活の中で家族や
学校の人たちと関わってきましたが、
その中で

「あ、自分は変わってるほうなんだな」

と自覚したわけです。

もちろん、今の私は変わっていると
いうことが悪であるなどとは思いません。

ですが、中学生の頃の私は、悪とまでは
いかなくても「普通と違うのは良くない」
と考えていました。

中学生頃は、誰でも自意識過剰に
なりうる時期だと思います。
周りの目が気になって萎縮すると
いうこともあるでしょう。
私の場合はそれがかなり顕著でした。

中学2年になったくらいの私は、
自分が「多数派」「普通」と
色々違うことを自覚すると同時に、
それではいけないと思い始めました。

具体的に言うと、持ち物のデザインとか、
ものの言い方とか。
とにかく色々と、全体的に
変わっている気がします。

自分が周りと違うことがすごく
辛くて、嫌でした。
そんな自分を変えたくて、周りの
「普通」とされる感覚を観察して
学んでは、それに近づくように努力
しました。

実際、中学卒業までは持続する
ことができました。(客観的に見ても
「普通」になれていたのかは
わかりませんが。)

ですが高校に入学してからは
謎の無気力に襲われました。
受験が終わったからというのも
ありますが、
「周りと合わせる」「多数派に
なる」
ということに疲れてしまいました。

なので高校からは特に普通になる
努力はしていません。というか、
気疲れのためにできませんでした。

これだけが原因ではないとは
思いますが、高校3年間、まじで
無気力でした。
もともと人見知りですが、
よりいっそう会話がおっくうになり、
コミュ力が低いどころの騒ぎでは
ありません。
高1の1年間は特に、クラスに1人も
友達と言える友達がいませんでした。

また中学の時のように「普通」を
演じて、「普通」に話すのが
疲れるから嫌になったのです。


今思えば、別に多数派になんて
なる必要は全くないし、
そうでなくても友達は作れます。

問題があるのは「普通」じゃない
からと言って馬鹿にしたり、
仲間はずれにしたりする人の方です。

疲れてまでやることではありません。



今現在はむしろ、自分の個性的な面を
大事にしたいという気持ちです。

個性があるから、「その人の」価値が
生まれるんじゃないか

という考え方に変わりました。

もちろん、「自分は多数派だ」と
思っている人を否定している
わけではありません。

ただ、「自分は周りと違うな」と
思っている人には、それで自信を
なくすことなく、自分を大切にして
欲しいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?