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第三十八候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)

ともがらと互いの幸を祈り合う真夏の陽高い昼ひなか 西村二架

蝉の寿命は短い。

短い?

それでは私たちはどうなのか。

わたしは、ひとのいのちも夏のかげろうや蝉の翅(はね)のように薄ぼんやりとしたものだと思う。

今は在るが、一瞬後、明日、1週間後、1年後、同じように在るかはわからない。

わたしはある時、死のかげろうと向かい合い、先延ばしにし続けた問いを迫られた。どう生き、どう死ぬかという。

世界が、わたしのこの身体の生存を区切るときに向けて、どうするのか。わたしは顔を上げ眼を向け、人生で達成するべき目標の及第点を下げることに決めた。「一度でも友人に、あなたが居てよかったと言ってもらえれば、それでわたしの人生の目的は達成される」と。

わたしは既に達成している。もう十分、納得している。そうすると、後は余りだ。あと一度でも二度でも同じことができれば、僥倖である。

かげろうの立つ晩夏に、同じくらい揺らぎ霞みを含んだひとの生というものを想う。時の光に照らされるわたしの生のかげろうが、少しずつ言葉に、指先に、音色に、滲むのだろう。





参考文献・資料:
山下 景子, 『二十四節気と七十二候の季節手帖』, 成美堂出版, 2013年. https://www.seibidoshuppan.co.jp/product/9784415314846

(初秋、立秋・次候、第三十八候 寒蝉鳴(ひぐらしなく))

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