西村二架 Nika Nishimura (Kazuki.N)

精神保健福祉士、文筆家、翻訳家 関心|哲学(主な関心は「死、孤独への恐れに人はどう対処しているのか」)、音楽、詩文   楽器|チェロ、ギター 下鴨ロンド|哲学読書会、休む人のためのカフェ、下鴨ロンドの本棚 2025/01/19文学フリマ大阪参加 (撮影:渡邉耕希)

西村二架 Nika Nishimura (Kazuki.N)

精神保健福祉士、文筆家、翻訳家 関心|哲学(主な関心は「死、孤独への恐れに人はどう対処しているのか」)、音楽、詩文   楽器|チェロ、ギター 下鴨ロンド|哲学読書会、休む人のためのカフェ、下鴨ロンドの本棚 2025/01/19文学フリマ大阪参加 (撮影:渡邉耕希)

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“休む人のためのカフェ”の紹介記事が公開されました。

昨年から、関西を中心に活動している「任意団体あわひ」さんの活動に参加させてもらっています。 あわひでは「社会に間の選択肢を創り、 一人ひとりの心に、ゆとりと安心を届ける」をテーマに、ラジオやカフェ、畑などの活動をされており、今回、カフェの活動についてまとめた記事が公開されました。私は、京都担当としてご紹介いただいてます。(ちなみに、代表の方と私の苗字がたまたま同じなのですが、代表は西村征輝さんという方です) ちなみに、あわひのラジオ「あいだの生き方ラジオ」の第44回にもお

    • 人間性を二極化することへの批判_『愛するということ』から考える

      第5回テーマ:人間性を二極化することへの批判人間性は、ともすると男女に二極化されがちである。現代においてその様相は多少弱まったとはいえ、男性らしさを過剰に主張するバックラッシュ的な反動も日本を含むいくつかの国で見られる。1956年に著されたフロムのこの著作も、男性的性欲(リビドー)を中心に据えるようなフロイトの論から一歩語り進んでいるとはいえ、人間性を単純に二極化して論じているように見える。 「常識、当たり前を疑う」ことが仕事の一部である哲学者たちの多くが、ことジェンダーの

      • 愛そのものの性質と実践_『愛するということ』から考える

        第4回テーマ:愛そのものの性質と実践「愛」という言葉を考えたとき、何を思い浮かべるだろうか。「特定の個人に対する恋愛的感情」を思い浮かべる人もいるだろうし、「特定の個人に対する執着的感情」を思い浮かべる人もいると思う。愛に対するこうした理解は、ドラマや映画といった娯楽が示す恋愛的「愛」の姿を反映していると考えられる。しかし、上記したような特定個人に対する恋愛的・執着的感情はしばしば交換経済的な様相を呈する(例えば、私がこれだけ愛しているのだから、その分返ってこなければおかしい

        • 尊重とは、相手が唯一無二であると知ること_『愛するということ』から考える

          第3回テーマ:尊重とは、相手が唯一無二であると知ること「他者を尊重しましょう」という言葉は近年よく用いられる。確かに大切なことだ。だが、「人を尊重する」とはどういうことなのか? 尊重とは、相手の存在そのものを価値あるものと知覚し、そのように扱おうとする姿勢といえよう。尊重という態度は決して、恐怖や畏怖から腫れものに触るように接する態度ではない。軽蔑や嘲笑の反語でもない。また、相手に価値があると「認める」態度でもない。相手の意思、こころ、権利、生、現在の在り方すべてに、価値が

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        • 『愛するということ』から考える
          5本
        • 七十二候にまつわるエッセイ
          40本
        • 詩、散文
          14本
        • ワイン備忘録
          3本
        • 生きるためのファンタジー読書会
          1本
        • 哲学読書会記録
          2本

        記事

          愛する前にまず自分自身を目的とする_『愛するということ』から考える

          第2回テーマ:愛する前にまず自分自身を目的とするフロムは愛することそのものについて語る前に、人類がこれまで利用してきた孤立の解消法について述べていく。 それらは過去から現在へと、祝祭的興奮状態(お祭り、乱痴気騒ぎ)から酒や麻薬、セックスへの依存、集団への同調へと語り進められていく。 現代において主に見られる消極的な孤立の解消法は「集団への同調」であると考えられるが、これはもちろん十分ではない。孤立から来る不安に対して、集団への同一化という形で対処しても十分に孤立を癒すこと

          愛する前にまず自分自身を目的とする_『愛するということ』から考える

          いかに孤立を克服するか_『愛するということ』から考える

          エーリッヒ・フロム『愛するということ』("The Art of Loving", Erich Seligmann Fromm)について理解を深めるため、「『愛するということ』から考える」というマガジンを作り、細かくテーマを立てつつ考察を行っていく。 この試みの中で哲学的思索の射程を伸ばして、下鴨ロンドでの自主哲学読書会においても、日常の生活においても、自分自身を含んだひとびととの対話・関わりに活かせると良いなと思う。 『愛するということ』は1956年初版ということもあり、

          いかに孤立を克服するか_『愛するということ』から考える

          第四十九候 鴻雁来 (こうがんきたる)

          雁(かり)が飛ぶ。この地に風を連れてくる。 鳥は風に乗り、風を運ぶ。私たちもまた、眼を向け、手を伸ばし、足を持ち上げ、風を纏い、風を運ぶ。 私たちが日常、居間を歩く、和室に座る、布団に寝転ぶ。その全てに物理的、精神的な動きが伴う。動きは風を纏う。私たちは風を導く。そうすることで、風がこの家を、私たち自身をも爽やいでいく。 秋の空に背を押され、わたしは心を景色に向ける。秋の色を見、ほころび、逍遥(しょうよう)する。 わたしが歩く。親愛なる場所へ。風を纏い、風を運んでいく

          第四十九候 鴻雁来 (こうがんきたる)

          第四十八候 水始涸(みずはじめてかるる)

          10月のこの頃、真鴨や軽鴨といった馴染み深い鴨だけでなく、鈴鴨や川秋沙(カワアイサ)、巫女秋沙(ミコアイサ)といった種類の鴨も渡ってくる。鈴鴨や秋沙(アイサ)の多くは、真鴨や軽鴨と違い、白と黒のモノトーン調の色合いをしている。京都の鴨川も、これまで以上に鴨たちで賑わうのだろう。 渡り鳥のイメージがある鴨だが、鴨はみんながみんな渡るわけでもない。真鴨は春に北に帰り、軽鴨は春に北に帰らない*。真鴨は秋にやってきて、軽鴨はそれを待ち迎える。真鴨は今も渡り鳥だ。軽鴨は、かつては渡り

          第四十八候 水始涸(みずはじめてかるる)

          第四十七候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

          秋分。やっと、秋風を感じられるようになってきた。 時候は、蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)。古来、虫の一種として扱われてきた蛇や蛙も含め、たくさんの虫たちが冬に向けた準備を始める頃。 秋というと、彼岸花や金木犀など、懐古の情を起こす花たちのことが思い浮かぶ。彼岸と此岸、あの世とこの世。金色の花と柔らかく甘い香り、想起される記憶たち。 わたしの中には、かつて彼と語らった記憶がある。その記憶には秋の情がある。「あなた自身は、いったい何を考えているのか」「お為ごかしをして何

          第四十七候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

          第四十五候 玄鳥去(つばめさる)

          この夏巣立った燕たちが南方への長い旅に出るこの時節に、思索の射程を延ばすことについて考えている。 木作りの机や椅子、褪せた扉、土作りの器、硝子工芸、奥行きのある絵画や写真、空間を形作る演奏など、自分がひとの手を感じるものに言いようのない感慨を感じるのは何故なのだろう。思うに、それらひとつひとつに、途轍もない記憶と思いの射程があるからではないか。暖かい、もしくは熾烈な、もしくは寂寥とした記憶の積層を、そこに感じるからではないのだろうか。 記憶や、ひとを心配する思い、祈りなど

          第四十五候 玄鳥去(つばめさる)

          第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)

          今年の京都は夏が長い。いっときふと涼しくなったかと思ったが、また、夏顔負けの日々が帰ってきた。 暦上は、白露の次候。朝晩、露が降り、朝陽を浴びて白く見える頃。けれどまだまだそんなことはない、というのが実感だ。 秋を感じられるものといったら、朝晩の空の清澄さ、先日庭で出会った百舌(モズ)、皓々とした月明かり、だろうか。 百舌は秋から冬にかけて、寒さを逃れ、山の麓へ下りる鳥。七十二候のひとつになっている鶺鴒(セキレイ)も、かつては季節に応じて移動する鳥だったそうだ。今は、特

          第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)

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          詩や散文のポストカード5種(2024文学フリマ大阪出店)

          詩や散文のポストカード5種(2024文学フリマ大阪出店)

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          第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる)

          晩夏の風、百舌、再会に着想した詩、3首。 風薙ぎに草葉も陰も目を細め穂波を眺みついつしか月待ち 畳座す吾の眼の端に降り立ちて遠く遥かす百舌の背姿 いつか見し植物園の京芙蓉(ふよう)再会の縁(えにし)また咲くころに ーーーーー 第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる) 9月2日〜9月7日頃 稲の実る時期 ーーーーー 参考文献・資料: 山下 景子, 『二十四節気と七十二候の季節手帖』, 成美堂出版, 2013年. https://www.seibidoshuppa

          第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる)

          今週日曜日9/8に下鴨ロンドの有志で文学フリマ大阪に出店します。 私は、詩のポストカードを販売します。もしお時間ある方はぜひお越しください〜。 日時:9/8(日) 12:00〜17:00 場所:OMMビル(天満橋駅) 出店者名:下鴨ロンド ブースNo:せ-46

          今週日曜日9/8に下鴨ロンドの有志で文学フリマ大阪に出店します。 私は、詩のポストカードを販売します。もしお時間ある方はぜひお越しください〜。 日時:9/8(日) 12:00〜17:00 場所:OMMビル(天満橋駅) 出店者名:下鴨ロンド ブースNo:せ-46

          『新月の子どもたち』第一章〜第三章_第1回生きるためのファンタジー読書会

          人文系私設図書館ルチャリブロ司書、青木海青子さんの「生きるためのファンタジーの会」に触発され、児童文学やファンタジー小説を読む読書会を始めた。今回はその第一回、『新月の子どもたち』の三章までを扱った。 ※一部ネタバレを含みます。まだ未読の方はご注意ください。 トロイガルドの囚人レインとシグ舞台は、トロイガルドという世界と現実世界を章ごとに行き来する。 トロイガルドでは囚人たちは毎日点呼を取られる。「お前は誰だ」と聞かれ名前を答え、「そうだ、お前は〜〜だ。そして、お前は死

          『新月の子どもたち』第一章〜第三章_第1回生きるためのファンタジー読書会

          『左右を哲学する』第二部〜最後まで_第5回哲学読書会

          まだまだ夏の香りの残る今月初旬、第5回目となる哲学読書会を行った。範囲は『左右を哲学する』第二部〜最後まで。 今回の参加者は3名。『左右を哲学する』第二部は、対話形式だったこともあり、理解の難しい部分も多かった。なので、普段あまりしないことだが、1文1文読んで精読していく、という方法を取った。 「数的」の定義p162以降の成田正人さんと清水さんの対話において、特に理解が難しいと感じたのは「数的」の定義だった。 Oさんの「数的に、とは、数学における指標のように、+1、-1

          『左右を哲学する』第二部〜最後まで_第5回哲学読書会