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七十二候にまつわるエッセイ

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季節の小分類である七十二候をきっかけにしたエッセイを、ほぼ毎週週末に更新しています。
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#二十四節気

第四十九候 鴻雁来 (こうがんきたる)

雁(かり)が飛ぶ。この地に風を連れてくる。 鳥は風に乗り、風を運ぶ。私たちもまた、眼を向…

第四十八候 水始涸(みずはじめてかるる)

10月のこの頃、真鴨や軽鴨といった馴染み深い鴨だけでなく、鈴鴨や川秋沙(カワアイサ)、巫女…

第四十七候 蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)

秋分。やっと、秋風を感じられるようになってきた。 時候は、蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさ…

第四十五候 玄鳥去(つばめさる)

この夏巣立った燕たちが南方への長い旅に出るこの時節に、思索の射程を延ばすことについて考え…

第四十四候 鶺鴒鳴(せきれいなく)

今年の京都は夏が長い。いっときふと涼しくなったかと思ったが、また、夏顔負けの日々が帰って…

第四十二候 禾乃登(こくものすなわちみのる)

晩夏の風、百舌、再会に着想した詩、3首。 風薙ぎに草葉も陰も目を細め穂波を眺みついつしか…

第四十一候 天地始粛(てんちはじめてさむし)

天地始粛(てんちはじめてさむし)。静粛の粛には、静まる、弱まるという語義があるそうだ。まだまだ、暑さが弱まったとはいえない気候ではあるが、朝晩の風や虫の声には僅かに秋の気配を感じる。 下鴨ロンドの庭でも、草木に水やりをしていると虫の声が聴こえる。少しく涼しい日には植物たちが、内側から膨らむような緑を陽に向かって伸ばそうとしているのを、見て、取って、感じるときがある。 今週末は、この頃の常として野分(のわき)が来ると言われている。終に、残炎(ざんえん)を粛する大風となるだろ

第四十候 綿柎開(わたのはなしべひらく)

今年はじめて、京都五山送り火の点火を見た。小さな赤い灯が滔々(とうとう)と明かるい大の字…

第三十八候 寒蝉鳴(ひぐらしなく)

蝉の寿命は短い。 短い? それでは私たちはどうなのか。 わたしは、ひとのいのちも夏のかげ…

第三十七候 涼風至(すずかぜいたる)

立秋を過ぎた。まだまだ暑いが、それでも朝晩には秋の香りを仄かに感ずる。 育てている植物た…

第三十五候 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)

夏はその生命の溌剌(はつらつ)さの中に、どこか死を匂わせる、と誰かが言っていた。 この印…

第三十四候 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)

大きな蝉の声で目が覚めた。 昔から、意図的でない大きな音が苦手で、車や電車の音が近くで聞…