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中編ミステリ『脳髄の檻に眠るのは誰』第9話

Prove Yourself


「なっ、何?」

 口の利き方を注意した小柄なほうの警官が、取り止めのない少女の発言にギョッと身を竦めた。あまりに一方的な自白に、警部補ら一同二の句も継げない。

「ちゃーんと憶えたか? つーか何わざとらしく驚いてんだ。物盗りの仕業でもねえ、嬢ちゃんどものアリバイは〈北西〉のアホが立証しちまいやがった、後に残るのは俺だけだろうが。違うか、ああん?」

 忌々しく顔を歪め、〈イーストウッド〉と名乗った少女は床に唾を吐く真似をした。

……」

 なだらかな肩を微かに震わせ、衿来がそうひとりごちた。

「そういうこった」

 睨め殺すような眼光はそのままに、〈イーストウッド〉は品のない笑い声を上げた。〈北西〉の高慢な笑みが可愛らしく思えるほど、それは実に嫌らしい、聞く者を不快にさせるためだけに発せられた、野卑な笑いだった。

「ありえない。何よ、何なのよ、ねえ何なの」

 焦点を失った眼を虚ろに開き、生きた心地もなく橘華が呟く。

「し、ほ、ちゃん……詩歩、ちゃん」

 朔楽の囁きは、沈重な周囲の空気に押し潰されんばかりだ。

「てめえらこそ何なんだよ。たかがモブ風情の〈詩歩〉にゃ馴々しくしてやがったくせに、俺様が出てきた途端、掌返して化け物扱いか。もっと丁重に接しろや。こちとら〈北西〉のアホよかもっと上位の人格なんだぜ。人前に出れるチャンスだって、ザコいアホどもが支配力強すぎるせいで滅多になかった。それを、こうしてわざわざてめえらの前に出てきてやったんだ、レアキャラ出現だ、もちっとありがたく思えやコラ」

 口汚く捲し立てた〈イーストウッド〉は、号泣寸前の朔楽の近くへつかつか歩み寄ったかと思うと、手前のコーヒーカップを持ち上げ、既にぬるくなった液体の残りを一呑みし、まずいまずいクソまずい! と顔を歪めた。

「おい、誰でもいい、俺に熱いコーヒー淹れてこい。眼が醒めるようなとびっきり熱いやつな。それとも何か、犯人如きに差し入れるコーヒーはねえとでもぬかすか? 人権侵害待ったなしか。ざけんなクソが」

 言い放つと同時に足許に叩きつけたコーヒーカップが、臓腑を締めつけるような緊張感溢れる金属音と共に、床の上に二つに転がった。
 堪えに堪えていた朔楽の我慢が、遂に限界を越えた。火が点いたようにワッと泣き出し、衿来の肩に縋って幼児の如く泣きじゃくった。

「うるせえぞおい!」

 ドスの利いた一喝も、衿来の腕の中で激しく噎び泣く朔楽を黙らせるには及ばない。

「ガキかてめえは。飲み物横取りされたのが、そんなに悔しいか、ああ? この業つくばりが。コーヒーでも何でも、とっととてめえで淹れてきやがれ。つーか俺にもコーヒー」

 朔楽の小さな頭部を胸に抱き締め、衿来は何も考えられないといったふうに嘆息した。
 二番目の人格だけでも持て余していたのに、更に上位の人格にまでのこのこ出てこられては、もう難儀どころの話ではない。しかもこの第三の人格、前の二人が具えていた理知を見事に欠いた、飛び切りのならず者らしかった。

「君、先程の台詞、あれ、本当ですか」

 狼狽に声を上擦らせ、吃りがちに警部補が尋ねた。

「まーだ信じられねえのか。呑み込み悪いなイケメンのくせに。むしろイケメンだからか。図に乗りやがって。いいかイケメン、てめえも〈北西〉の気障ったらしい説明聞いてたろが。位が下の人格はな、上にまだ人格がいても気づきもしねえんだよ。だから俺様が最上級なの。いっちゃん上。ナンバーワーン。伝説のチャンプよ。トップ・オブ・ザ・ポップス。どうだ判ったか。蛆の湧いた脳ミソで理解できたか。それともお手上げか。ホールド・アップ?」

 おどけて身をくねらせ、最上級人格を自称する〈イーストウッド〉は部屋中の人々をヒヒヒと嘲笑った。

「貴様、さっきから口が過ぎるぞ」

 頭に血を上らせた警官が、言いたい放題の少女を取り押さえようと足を踏み出したが、目的は果たされなかった。彼の胸許を、現場の最高責任者が伸ばした手で止めたのだ。

「待ちなさい」
「いや、ですが、しかし」
「いいから」

 今にも掴みかからんとする警官をどうにか宥め、警部補は相対する口の悪い少女を凝視した。多少落ち着きを取り戻した警部補の顔には、狼狽の代わりに浅からぬ興奮の色が浮かんでいた。

「君は、私の質問を取り違えているようです。君が三重人格者かどうかは、どうでもいいといえば語弊がありますが、今は置いておきます。私が確かめたいのは、です」
「ああ? 何だ、そっちかよ」

 表情を腐らせ、〈イーストウッド〉は割れたカップの破片を爪先で蹴り飛ばした。テーブルの脚部にぶつかった白い破片が、跳ね返った拍子に朔楽の足首に当たる。衿来の腕の中で身を縮めていた彼女の背中が、またも大きく震えた。

「あの姉ちゃんを殺したのは、間違いなくこの俺。けどな、ありゃ完全にってやつだ」

 犯人自身の口から、思わぬ証言が出た。

「正当防衛?」
「そうさ。あの姉ちゃんが、必死にのよ。殺らなきゃ殺られる、そう思ってな。つい殺しちまった」

 信じがたい状況説明に、捜査員と衿来が声を合わせて、

「嘘だ……」
「嘘よ……」
「じゃかしい! 文句あんのかコラァ!」

 〈イーストウッド〉が返す刀で啖呵を切る。胃袋を衝き揺るがす大音声に、朔楽の嗚咽がいや増しに調子を上げた。

「てめえらはな、あんな場面に出くわしたことねえから、ベラベラ好き勝手喋れんだ。あの姉ちゃん、ふっくらした頬パンパンに引き攣らして、真っ青のすげえ顔してこっち睨んでたんだぜ。ほんの少しでも抵抗緩めてたら、そこのキッチンでおっ死んでたのは俺のほうだ。天国への階段昇っちまうとこだったわ。あんな勢いで襲われたら、仏陀だってお陀仏だ。ニルヴァーナ一直線だ。猟銃でズドンだ。硝煙とティーンスピリットの匂いがプンプンするぜ」

 警部補に顔を近づけ、〈イーストウッド〉は口の端を禍々しく歪めてみせた。

「幸いこっちの腕力がちょいとばかし上回ってたおかげで、包丁の切っ先がうまい具合に姉ちゃんの首筋切り裂いたのさ。ああやって他人を傷つけたのは、あれが初めて。堪らんね、皮膚突き破ってぶっとい血管を刃先が切断するときの、あの感触ときたら。脳汁ドバりまくりよ。相手の腕から急に力抜けてな、傷口からピューピュー血が吹き出すの。ヘヘヘ、生まれてこの方、あんなスペクタクル見たことねえや。でもって、俺様すぐに飛び退いたから、返り血は両手にちょびっとついただけ。これでも潔癖症の部類に入る綺麗好きだからよ、シンクで粗方洗い落としたよ。あんま血の臭い好きじゃねえしな、ヒヒヒ」

 嬉々として語る〈イーストウッド〉の陶酔した声色と、少女然とした出立ちのギャップは、数分前まで詩歩の身体を支配していた〈北西〉の比ではなかった。

「で、それから君は、どうしたのです」

 背筋を撫で続ける冷たいものを必死にやり過ごし、しっかり両脚を踏ん張り、警部補は続きを促した。

「どうしたもこうしたもあるか。部屋戻って寝たよ。大量虐殺なんてガラじゃねえし。次に眼ェ覚ましたときは、〈北西〉のアホも〈詩歩〉のボケも、もう起きてやがったからな。出番はなしだ」

 それを聞いた警部補が、露骨に拍子抜けした吐息を洩らす。

「ただな、二階に上がったら、そこの嬢ちゃんども、えらい甘い声吐いて、何やらお楽しみの最中だったようだがな。隣の部屋で二人仲好くさ。案外、明け方までよろしくやってたんじゃねえのかい」

 警部補が言うに躊躇っていたことを、第三者の気楽さからか、厚顔な〈イーストウッド〉がずけずけと言い放った。

「ひどい、何てこと言うのよ」

 啜り泣きに変わった朔楽を掻き抱きながら、衿来は眼前の敵を憎らしげに見返す。

「本当のこと言って何が悪い。てめえらの盛った雌猫みてえなよがり声、壁一枚隔てたこっちにゃ筒抜けなんだよ。ソプラノとアルトの官能二重奏ってか。フレンチ・キスかっての。聞かれたくなきゃ、もちっと声抑えやがれ」
「…………!」

 最早言葉にすらならなかった。悲嘆に暮れる衿来から反抗的な様子は見る見る解かれ、後には憂愁に沈む翳りだけが残った。
 うら若き少女らのぶつかり合いと、その憐れな末路を眼にし、警部補の浮ついた意識は反対に冷静さを取り戻しつつあった。

「では、現場に落ちていた睡眠薬は、やはり君のものだったのですね」

 興奮がすっかり醒めると、相手への質問も他人行儀で事務的な口調に変じていた。

「おうともよ。壜も錠剤も〈詩歩〉のだ。薬に頼るなんざ、てめえの自立心がなってねえ証拠さ。つーか、どうせ使うなら、もっと強力な一発で熟睡できるやつにしろってんだ。あんな錠剤、一粒や二粒飲んだところで、こちとら頭が痛くなるだけなんだからよ」

 暴走しがちな回答に、警部補は慌てて方向修正を加える。

「壜の表面を拭ったり、外に捨てたりしたのも、君の仕業ですか」
「知らねえよ。んなこと」

 素っ気ない応答だった。

「壜の蓋をどこかに隠したのは」
「だから知らねえっつってんだろ。てめえらの仕事だろ、それ捜すのはよ」

 〈イーストウッド〉の苛々した態度は、どうも白を切っているわけではなさそうだ。事実を歪曲する意図が感じられない。

「ですが、別の人格が表に出ていても、君はその人格の行動や、周りの状況を把握できるんですよね?」
「いちいち訊くんじゃねえ。〈北西〉のドアホがそうぬかしてたろうが」

 〈北西〉の言動を把握していなければ出てこないその返答に、警部補は文字通り首を捻った。
 これからは詩歩に宿った人格たちの発言に、虚偽はないと仮定して考えを進めることにする。多重人格そのものへの懐疑も、この際棚上げする。
 〈詩歩〉は〈北西〉〈イーストウッド〉双方の存在を知らず、〈北西〉も〈イーストウッド〉の存在や犯行に気づいていなかった。
 警部補の心にその説が浮かんだのも、全く自然の成り行きだった。
 犯人である〈イーストウッド〉にも知りえない事実。しかし、〈詩歩〉と〈北西〉に関わる凡てをその眼で見取ることが可能だと、〈イーストウッド〉はつい今し方肯定したばかりではないか。そんな〈イーストウッド〉でさえもが知りえない事実とは、つまり。
 新たな興奮が不可逆的に込み上げてくるのを、警部補はどうすることもできなかった。

「レンドルミン、睡眠薬の保有者は間違いなく詩歩さんであるのに、壜の状態や蓋の所在を全く知らないと君は言います。また、そちらにいる〈五人組〉の皆さんは、彼女が寝不足で悩んでいたことは知っていましたが、薬のことは誰一人知りませんでした」
「回りくでえ言い方はやめろ。てめえ何が言いてえ。はっきり言え」

 挑みかかるように語気を荒げ、〈イーストウッド〉はパジャマのポケットに尊大に両手を突っ込んだ。

「いや待て。なんつーか、聞きてえような聞きたくねえような。何かとんでもねえイヤな予感がする」

 乾ききった唇を徐に舐めると、〈イーストウッド〉から片時も眼を離すことなく、警部補は、

「つまり、こういうことです。現場のキッチンカウンターに錠剤を落とし、空壜と蓋を処分した可能性のある人物は、殺害された増鏡摩耶さん本人か、あるいは」

 〈イーストウッド〉の呼吸が、不意に静かになった。二つの拳を収めたポケットの布地がわなわなと顫動しているのが、誰の眼にも明らかだった。

。そのいずれかしか、ないのですよ」



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