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機材について

機材をかなり整理しました。

leica M10 + M10M

写真に詳しくなる前、つまり機材に関する知見がとても狭かった頃、30万円のカメラを購入することすらドキドキしていた。「こんな良いカメラ使いこなせることができるのだろうか、、」自分に必要なものだろうかと悩んだ自分を懐かしく思う。

一眼レフを購入、そこから10年弱の期間は同じ機材を使って仕事もしたしプライベートでも常に持ち歩いていた。スペックは時代遅れになってしまうけど振り返ると十分だったように感じるし、当時はそんな高価なカメラ、素人は誰も持っていなかった。

僕はとても天邪鬼で人と違うスタイルにしか興味が湧きません。当時フルサイズ一眼レフを持ち歩くような人は周りに少なかったし、僕は強固なビジュアルに憧れていたのでバッテリーグリップをつけながら40mmパンケーキレンズを装着したりしながらカメラ自体のデザインも楽しんでいました。

ただその物体としてカッコ良いスタイルが仇に。外出の荷物が多いとカメラだけバックから弾かれてしまう。「今日はどうせ撮らないからいいか」とカメラを触れる機会が減ってしまっていった。怖いのは徐々に徐々にと。

ある時考えてしまった。ずっとそばにあったカメラとこのまま別れてしまっても良いのかな。。自分の写真に対する気持ちを自問自答することが多くなりました。

その当時親しかった友人がライカM9を使っていた。一緒にヨーロッパ旅行した際、酔っ払いカメラを落下。レンズのマウントが故障したけど、その都市のライカショップでお値打ちの中古レンズを購入。(今のプライスを考えるとかなり高価なレンズをお値打ちで購入してたので羨ましい)。まぁ正直お金はある成功人なので「ただ高いだけのカメラ。ブランド品だと思って使っているだけだな君は」なんて冗談を言いながら、僕は彼のカメラに全く興味も湧かなかった。

写真を続けれるのかどうなのかと考え込んでいる時、機材を一新したらどうなのかなぁと思った。それでも僕の気持ちがブーストしなかったら写真をやめる時なんだろうと。目新しく無くなった一眼レフ、高機能AF、小型化された最新のミラーレスが巷に並んでいたけどしっくりこなかった。そんな時ふとライカが頭をよぎってしまった。

一種の覚悟のような瞬間だったと思い出します。高価だけど1000万するわけではない。周りにカメラに100万も200万も捻出る人は存在しない。当時の知識では誰もが良いと絶賛するカメラ。リトマス試験紙のように僕の写真に対する覚悟が如実に出るカメラだと思った。

ライカを使って作品も撮るようになって、写真がたくさんの方に評価してもらえるようにもなった。もちろん天狗になったわけではない。逆にもっと自分を追い込むように写真に投資を続けました。

・展示は可能性があるならどこでもやる。
・壁がなくても良い。その場所でしかできない表現を模索する。
・作品制作費は妥協しない
・やってみたいプロダクトはとりあえず試作してみる
・新しい機材が出る「トライしよう」
・「この機材で海に入っている人は世界的に見て僕しかいないはず」
・「もっと高画素で写したい」
・「写真は良いはずだから、もっと知ってもらえることの施策を」
・とにかく活動は全力で続ける

そんな調子で攻めのアクションを続けます。勿論全て間違っていない欲だと思うし、機会に投資することは良いアクションだと思う。でも僕が写真を通してやりたいことって、機材を揃えることで実現できる訳でも、仮に知名度が上がって満たされる事でもないと思った。

手持ちの機材で被写体に対してとにかく執着すること。環境的に撮れなくなるまでずっと撮り続けるということ。

また機材が欲しくなるかもしれない。
きっとその時はその機材を使いこなせる自信がついた時でしょう。
カメラは1台あれば写真が撮れる。

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