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パニックの原因 考察その3 偽りと強がり#33

あのときのが出てきたのかなと思うこと。

悲しい出来事

小学生4年生から祖父母(母にとって義両親)と同居で7人家族。父は単身赴任、祖父母はどちらも病気を抱えており、入退院を繰り返していました。祖母は脳梗塞で半身不随になり要介護。母は祖父母どちらもの病院通いや介護を余儀なくされていました。(その上、よくある嫁姑の関係で母はよく祖母からいびられていました。)そんな中、ウサツキが高校生の時、母は高血圧によるくも膜下出血により、突然亡くなりました。倒れてから一度も意識が戻ることなく。もう、事故にあったような気持ちでした。母とは友達のような関係で、喪失感は半端なかったです。

明るく元気に前向きにを装う

塞ぎ込んでいる間もなく、毎日の食事や掃除など、母がしていたすべての家事を残された家族でしなければならず、叔母たちがしばらくは様子を見にきてくれていたものの、祖父母の分も含め、食事当番を子供たちでまわしていました。当然ながら、父の凹みようはすごく、兄も母との関係は良かったものの、長い反抗期があったゆえか、かなり凹んでいました。私も当然何もしたくないくらいの気持ちでしたが、このままではみんなダメになってしまうと思い、妹と一緒に明るく頑張ろう!と、とにかく笑顔で前向いて行こう!!とみんなのお尻を叩くような形で元気でいました。元気づけなきゃとか、なんて励まそうかとか気を遣われるのが嫌で、学校にも3日間だけ休み、あとは普通に平気な顔して過ごしました。家族の前でも絶対に泣かないようにしていました。

祖母と叔母の会話への反応

毎日が一杯いっぱいになりながらも元気に過ごしていたある日、祖母の部屋から叔母と話す声が聞こえてきたので、あ、叔母さん来てるんだと挨拶に行こうとしたときに耳に入ったのは、「お母さんが亡くなったのに全然平気やねんなぁ。薄情なもんや。」。え??私の必死さはただの薄情者呼ばわりになっちゃうんだ…。多分、泣いてばかりいたとしても、いつまでも泣いてるなんてと言われていたと思います。ただ、もう、ガッカリで。でも、もっとガッカリなのは、その時にバッと扉を開けて、悲しくないわけないやんか!!って叫びたい気持ちだったのに、祖母たちの気を悪くさせるのも嫌で、ぐっとこらえて何も聞いてないフリして部屋に入ったこと。どうして、私、怒らなかったんだ。

偽りの姿

なんでもっと自分の感情に正直になれなかったんだろう。今になって思うのは、もっとちゃんと泣けばよかったな、もっと暴れたらよかったな、と。ちゃんとしなきゃいけない、なんとかしなくちゃいけないという呪縛からか、自分の感情に蓋をしてしまっていました。母が亡くなる直前ですら、仲の良かったお隣のおばさんがなりふり構わず名前を呼び続ける中、私は乱れちゃいけない、と冷静さを失わないよう堪えていた。何やってたんだろうと今でも思う。誰に対してその演技をみせていたんだろう。

ありのままでいいのに

結局、蓋をしたり、見ないフリをしてきたことはなくなってしまうわけじゃなく、どんどん積もり積もって何らかの形で現れるんでしょうね。たまたまパニックさんとしてやってきただけで、胃潰瘍や脱毛症の人もいるんだろうなと思います。きちんと自分と向き合って、ちゃんと吐き出す場所を作ることが大切です。甘えるときは甘える。人として生きていくには、ときには誰かにもたれることも必要なんでしょう。

今出来ているの?

分かっていても、今から簡単に考えを変えられるわけもなく、怪しい毎日です。でも、大学に入ってからはいろんな人と出会って、甘えていいよ、ちゃんとしなくてもいいよと教えてもらいました。ただ、相変わらず、家族の前では未だに強がっています。もちろん、夫や子供たちへはある程度ありのままでいられますが、父や兄、妹(祖父母は母が亡くなった数年後に亡くなりました。)に対して、ウサツキが感情のままに接すると、多分、ウサツキの家族はバラバラになるでしょう。今までのパイプ役は母でした。母がいない今、どこかに飛んでいきそうな三つの風船を一生懸命握っているのはウサツキ。それぞれがちゃんと話し合ってくれたらいいのに、毎度ここに挟まれて疲弊する。もうパニックさんには会いたくないから、なんとかしなきゃと思いながら時間が経つ。誰も傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。

あぁっ!考察、暗いわっ!!

うじうじ考えても仕方ないことなんて山ほどあります。解決できないなら、その重さ以上の発散方法を考えるしかない!そうだ!感情の吐き出し方はひとつじゃない!!できないことに対して不満を並べるより、今できることの検討をする。仕事も人生もコロナも同じ。まずは目の前の仕事を終わらせて、プリンでも作ろっと。


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