あったかもしれない日記#2

こんなことがあったかもしれない。

有休を取って、美術館へと出かけた。
雇われ外国人が建築した洋館建築を利用した私設の美術館として、私たちの町ではつとに知られている。
敷地の中には設えのよい庭園があり、植栽の一本一本、枝葉にいたるまで丁寧な手入れが施されている。庭園の中にも彫刻がいくつか並んでいる。
この美術館に訪れると、必ず私は一つの青銅像を鑑賞する。

『いざこざ』と題されたその青銅像は庭園の北東側の隅、あずまやの傍らにぽつんと置かれている。
大きさは等身大の大人の背丈ほどだろうか。
大きく誇張された表現でしかめっつらを浮かべた僧形の人物と、それを取り巻くミニチュアサイズの動物たちによって構成されている。
動物たちの種類は様々で、アリゲーター、リス、ヤギ、水牛、タンチョウヅル、とまるで脈絡がない。配置も作者の遊び心が随所に散りばめられていて、僧の鎖骨の窪みに溜まった水でタンチョウヅルが水浴びしたり、、胸の辺りに茂った胸毛をまるで牧草のようにヤギが食いちぎっている。リスは耳朶の脇を駆け上って、頭頂部を目指しているようだ。
こんな細かな細工を施した青銅像を野外に展示していたら、磨耗や酸性雨でやがて動物たちが消えてしまうのでは、と引っ越した当初から憂えていたが、引っ越して十年近く経ったにも関わらず、像が損耗する様子は見られない。

ちなみに台座の大理石には題のみが彫りこまれていて、それ以外には何の情報も認められない。前に一度、学芸員らしき人物に作者やどのような意図のある像か尋ねたことがあるが、それら一切が不詳という回答だった。
何かの物語の一場面を切り取ったようにも思えるが、郷土の資料にそのような類例はないのだろうかと聞いても、郷土史は専門外ですのでというにべもない答えが返ってくるばかりだった。

謎があるというせいばかりでもないが、なぜか本館の中に入る前に、この庭園の『いざこざ』像を眺めてしまう。

今日も青銅像の周りをゆっくりと歩きつつ眺めていると、ふと違和感を覚えた。
とはいえ銅像は依然変わりなく、青黒い地肌を晒しているばかりだ。
もう一周、違和感を確かめるべく眺めていると、僧形の人物のうなじに、一本の長い柔毛が生えているのに気づいた。

青銅の肌の上に、明らかに風でなびいて、ゆらゆらと揺れている。

明らかに今まではなかったものだ。近寄って目で見ても、毛としてゆるぎないたたずまいをしている。
思わず、その毛に触れてしまう。触感は明らかに人間の体毛だった。ほくろの上からいやに長い毛が生えている人を見るが、そういった質感をしっかりとたずさえていた。

衝動的に、この毛はこの世に存在していてはいけないものだ、という直感が走る。その衝動を食い止めることに思い至ることさえなく、私は指先で弄んでいた毛を、一息に抜き取った。
ぷち、と小気味よい音を立てて毛が抜けた。

途端に、私は言いようのない後悔に襲われた。美術品を毀損してしまったというよりも、何かもっと、取り返しのつかないことをしてしまったような。

毛を引き抜いた時の反動で、左の手のひらが僧形の銅像の背中にあたる。そのまま体勢を立て直そうと銅像ごと押し返すと、確かな息遣いと体温がその背中から伝わってきて、私は「ひえ」と声をあげた。
なぜだ、手が銅像から離れない。片手に毛をつまんだまま、離れない片手を懸命に引き剥がそうとしたが、間接のひとつひとつにセメダインでも流し込まれたように、私の動作は緩慢になる。つまんだままの毛もなぜか離すことができない。

身動きがまともにとれなくなった途端、冬とは思えない植栽の緑の濃さに今更気がつく。まるで夏至のように陽が高い。
自分以外に人気のない庭園で、冷や汗をかきながら入り口を見る。

すると、黒い日傘を差した、四十なかばほどの背の低い中年男性が、汗をぬぐいながら、ひいひいふうと大げさに息をしながらこちらに向かってまっすぐ近づいてきた。
間にある灯篭のような石像や植え込みを無視して掻き分けながら、一直線にこちらへと歩調を変えずに近づいてくる。

中年男性の表情が見て取れるほどの距離になったとき、私は、もう駄目なんだな、と明瞭に理解した。

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