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誠意で動く未来

人を「待てる」か「待てない」か。
これって何がそんなに判断を左右させるのか。

とある時、

私は友達を8時間待ったことがある。
正直、この時全く持ってイライラもしなかったし、心配にもならなかった。

ただ、

逆に2時間、友達を待ったことがある。
この時、内心なんかあったのかとも心配になった反面、怒りもあった。

この「待てる」か「待てない」か。
自分の中でこの差って待つ時間じゃないってことは明らかに分かる。

じゃあ、何が違うんだろうか。

「待たされる」という行為には全く嫌な気持ちにはならない。
むしろ、「〇〇ぐらいに着く」これさえ分かっていたら、逆に一人の時間が無条件的に確立されるから遅れてくれることに対して、結構感謝することもある。

感謝すら、することがある待ち時間。
その時間に対しての差を考えた。

「待てる」か「待てない」の違い

<「待てる」か「待てない」の違い>
・連絡が常に取れる状況にする。
・取れなくなるなら、「何時ぐらいに一旦連絡入れます」の連絡をする。
・自分が決めた日時に責任を持つ。

完全に私の中での差は誠意だ。

もちろん、「この人なら遅れても大丈夫」と思わせてしまっている、その人に対しての自分の価値の低さは自分が築き上げたモノだから、それは自分が悪いという考えも一理あると思う。

けど、それだけではない。

相手の時間を奪ってるという考えが相手の脳裏に少しでもあるなら、上記で示した3つのことは人としてできて当然のことだと思ってる。

時には、寝坊して連絡が取れないって事も想定できる。
それは人だから誰にでもあるし、しょうがない。
その時は素直に噓をつかずに謝る。これも誠意だと思う。

身近な友達だからいいや、親だからいいやって自分との関係性の濃い人には緩い対応する。これは絶対に違う。

どんな関係性でも人は人。

自分が取る行動全て相手に誠意を持って行動するべきだと思う。
誠意を持って入れば、自分の思考や言動は必ず変わる。
相手のことを考えれる人間になれると思う。

過去の積み重ね

人間関係は過去の積み重ね。
それがこれからの未来の人間関係に繋がる。

人が繋がれば、自分がやりたいことなんて正直何でもできる。

やりたいことができる人間は誠意を持って行動できてる人だと思う。

相手が「待てる」か「待てない」か。
これは自分が過去にした、「誠意」次第。

適当な行動を続けると、そもそも自分の信頼をなくして、価値も下げる。

私は大切な「人」との絆を一瞬で崩す人間にはなりたくない。

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