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素材選びから始まる手仕事の物語

リトアニアにきて、ついに買ってしまいました。かぎ針。


これまで、棒針でさまざまなものを編めていたし、かぎ針にまで手を出してしまうと止まらなくなってしまうような気もしていたので、あえて避け続けていたのですが、ついに先日「かぎ針ではないと編めないけどどうしても編みたいもの」が出来てしまい、今なら始められるかも?と思ったのでした。


さっそく、Vilnius市内でお気に入りの手芸屋さんのひとつへお邪魔。ここでは主に編み物用、裁縫用の糸・ボタンがずらりと並び、さまざまな種類の糸を扱っています。

中でも、リネン糸はリトアニア国内で紡績されたものを厳選して販売している、とのこと。こういうとき、やっぱり手仕事には素材選びが大切だなあ、と思うのです。


現代の暮らしの中では、本当にたくさんのモノに溢れてて、どこで・誰が・どのように作ったのかが不明瞭な(もしくはその主語そのものが存在しない、機械生産などの)モノがありふれています。衣服やアクセサリー、雑貨、家具など何でも安く手に入るようになり、誰もが同じ規格のモノを手に入れることができるようになったのは、確かに人間界における文明の大きな進歩といえるでしょう。

けれど、わたしはそういうモノと対峙したとき、彼らの声がまったく聞こえないな、といういうふうに感じられます。もちろん見た目も機能も普段使いには差し支えないのですが、それらを手にしたとき、肌に触れたときに、その物語を感じられないのです。だって大量生産の過程を経てやってきた彼らは、そもそもそういうストーリーを持っていないから。

なんかそれって、寂しいな、と思う。


そういう意味で、手仕事は作り手のことはもちろん、その素材選びや制作工程におけるまで、膨大な手間と労力をかけて、粛々と手を動かして作り上げる中で、モノがさまざまな物語を含んでいくのだと思います。

日本の民芸品もそうだけど、暮らしの中で使われる目的で作られたモノって、たとえその道のプロフェッショナルが作ったわけではなくとも、使う人の肌身にしっかりと寄り添うような実直さを感じられたり、どういう風に作られたのかな、と思いを馳せ、慈しみながら長く大切に使い続けることができるでしょう。


ここで大切なのが、やっぱり「素材」だと思うのです。現代では素材選びから作り方まで多様な選択肢があります。だから、いくら腕がよくっても手に取った時の肌触りに閉口してしまうような手仕事も、ときどきあります。わたしはそういう手仕事に出会うと、ああ残念、と肩を落としたくなります。

おそらくそういう手仕事が素材まで気にしない理由って、ビジネス目的あるいは趣味で作っていて、作った手仕事が使う側の暮らしに寄り添うところまでは想像しきれていないのかもしれない、と思ったりします。もちろん、人によって理由はさまざまだとは思いますが、わたしが思う手仕事の美しさって、形や技術に加え素材そのものが持つ美しさも含まれているんじゃないかな、と。


そもそも、素材だっていきなり素材として現れるのではなく、ここにも素材が素材として成り立つまでに様々な物語があるのです。植物なら芽生えてから成長、そして人の手によって収穫され素材として加工されるまでには、これまた膨大な時間と手間がかかっています。

この「人の手によって収穫」までは、空気や水、土壌の微生物をはじめあらゆる生き物たちなど、自然のすばらしい調和サイクルのもとに成り立ちます。つまり、わたしたち人間がこれらを「収穫」する時点で、自然の恵みを頂いていることになる。


だから、手仕事ってつまり、自然からつくられる物語を、人の手で語り継ぐことだと思うのです。人が自然の恵みを頂くことで新たな物語が生まれ、手仕事を進めていく中でも新たな物語が追加されていき、さらに暮らしの中で使われていくことで、時間と共にその物語はどんどんを深みを増していく。

これが、わたしの思う、手仕事の本当の素晴らしさ。


だから、このnoteのタイトルに戻ると、つまり手仕事は素材選びをしっかりする、というのが大切だと思います。

現代の暮らしの中でも手仕事自体はほんとうに気軽にできるものだと思うし、むしろ多くの人が各々の暮らしのためにも実践すべきだとも思うの。


最初の方で、なんだか現代文明が悪であるかのような書き方をしているようですが、わたしはこの「選択肢の多さ」は恩恵でもあると思っていて。

つまり、わたし自身の本来の理想では、自然素材を自らの手で育てたり、収穫して加工するところからやりたいのだけど、そこまでやるのはなかなか難しい!というのが現状です。いずれはやるつもりだけど、今はまだ、ね(でも一応言っておくと、本当に自分や家族の分だけ、ということならすぐに実践できるとは思います)。

なので、素材は手芸屋さんやマーケットなどで手に入れているのですが、買うときはラベルを確認したり、分からなければ店員さんに「これはどので作られているの?」「素材は何?」など、遠慮なく聞くようにしています。お店側の人も、その素材にこだわりがあればあるほど、喜んでたくさんお話してくれるからね。


ところで、日本で手芸屋さんへ行くと、ウールなどの毛糸ってだいたい1玉40~50グラム。100均で買うならともかく、手芸屋さんで買うとなれば種類を選べばそれなりにします。


ノルウェーにいたときにも、よく首都オスロの毛糸屋さん(というのが町にちょこちょこあります)で毛糸を買っていました。が、やっぱりさすが物価の高い国、50gで安くても300円くらいはしたような。

ノルウェー産ウールとか、オーガニックウール(って書いてあったけどどういうことかしら)はもっと1000円近くかかったりします。ただし、種類は日本よりずっと豊富。


けれど、リトアニアの場合はまず、ウールなら大きな単位(100グラム~)で売っていることが多い。もちろん普通の玉もありますが、量と値段を考えると、日本で買うよりもより安いし種類も豊富だと思います。

お店や糸の種類にもよりますが、わたしが好んで購入しているナチュラルなリトアニアンウールは、150gほどのかせでなんと2ユーロほど。これ、染色や下処理(洗い・干し草などのゴミ除去など)もされてはいないのですが、個人的にこれくらいナチュラルな方が好き。だって、編んでいる糸に干し草とかがくっ付いているのを見ると、なんだかほっこりする(取るけど)。


普通に町の手芸屋さんでも毛糸は充分手に入りますが、季節ごとに行われるお祭りなんかに行けば、もっとローカルな羊たちの毛糸が売られていることもしばしばあります。


今回購入したリネン糸も、リトアニア国内で紡績されたものだそうです。かぎ針を使って編み物をするのは小学生ぶりなので、うまくできるといいな。

また、出来たら報告します。

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