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英会話について③リアルタイムは怖い


部屋が揺れている。
机の上のグラスに入ったカフェオレがたぷんたぷんと波を立て、「あ、あふれるかな?」と思うぎりぎりのところで止まった。
最近地震が多いな…と思いながら震源地を検索し、被害が大きくないことを確かめてから仕事に戻る。
こんな風景もすっかり日常になりつつある。地震が頻発しているなかで、同じ様な感情を持っている人も多いのではないかと思う。


その数時間後、定刻になったのでパソコンを立ち上げて英会話のレッスンを開始する。その日の講師はもう三度目で、他愛もない話をリラックスしてできる関係性になっていた。すると、その日は早々に「地震があったんだって?大丈夫?」と言われた。
日本人を相手に毎日レッスンをしている英会話講師たちは、時折生徒よりもリアルタイムの日本のニュースに詳しかったりする(その都度チェックしているのだろう)。地震があったことをすっかり忘れていた私は、「そうそう、そうだった」と答えた。「え、忘れてたの?」と聞かれるのでうんと頷くと、「どうして~!?」とけらけら笑っている。
「本当に、日本に住んでいる人は地震に慣れ過ぎているよね」
そうね、もう何度も起きているから慣れるしかないのかもね、と話しながら、ふと「今、この瞬間に信じられないくらい大きな地震が来たらどうなるのだろう?」と思う。

画面の向こうに、激しく揺れる部屋と、戸惑う表情を見て、何を思うだろうか。その時、相手はどんな言葉をかけるだろうか。激しく揺れる向こうの画面に向かって、一体何をできるだろうか。いや、おそらく慌てながら、ひたすら見続けるしかないのだろう。まるでテレビを見るみたいに。どんなに親しくなっても、何かがあったらこちら側からは何もできない。いくら親しくしゃべっていても、間には確実に距離があるのだということを、実質的にも、心理的な意味でもじわじわと実感する。



レッスンの時、「今そっちは何時?」と聞くのが好きだ。
講師のいる国はわかっているので、あらかじめ時差を知っていることは多い。それでも、私は毎回この質問をしたくなる。それは、「今は夜だよ。そっちは昼?」「これからブランチの時間だよ」「外から夕食のいいにおいがしているよ」など、その人の今の実感、身を置いている時間感覚を知ることができるからだ。この質問をして、画面の向こうを想像することはつまり、今、確かにこの地球上のどこかには夜が訪れていて、歌が流れていて、ごはんの用意をしている人がいて、雨はしんしんと降っていて、太陽はまぶしく光っている…と思えるということだ。自分の目の届かない場所にもきちんと世界があって、それはこの瞬間にも、続いているのだと信じられることだ。



実を言うといまは英会話を休会していて、もうすぐ再開しようかと思っている。今年の初めに予定が立て込んでいたので時間を取れないことを見越して、少し休むことにしたのだ。また落ち着いたら始めよう…そう思っていたら、大きな戦争が始まってしまった。

画面の向こう側に太陽や歌があるということは、向こう側に同じく紛争や災害もあるということだ。その事実を目の前にして、やはり今までなかった不安を覚える。
それでも、知らなければいけないと思う。この社会の中、ほかの国に住む人々はどう思っているのか。何を考えているのか。たとえ画面越しに見ることしかできなくても、それさえも放棄してはいけないと思う。
だから今日も画面を開く。そうして、立ち尽くしながら、世界のことを少しずつ知っていこうと思う。



(あなたも生きてた日の日記⑫:英会話について③)