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どこだれ④去り際のあいさつの美しい人


いつからだろう、自分でもわからないのだけど、気がつくとやっている癖がある。
それは、一緒にいた誰かと別れる時、その人の姿が見えなくなるまで後ろ姿を見送るというものだ。駅の改札や、分かれ道や、建物の曲がり角などで「じゃあ、また」と手を振って別れた後、すぐに歩き出すのではなく、相手の歩いてゆく後ろ姿を見送る。大概の場合相手は気づいていない。そのままスマホを見たり、あるいは人ごみに紛れてすぐに姿が見えなくなったりする。しかし、たまにこちらをくるっと振り返る時があり、その際はむこうも少し驚いた顔を見せ、お互いに若干恥ずかしくなって笑い合い、手を振って別れる。こういう別れ方がたまにある。

当初は、ほんの出来心だったと思う。「自分と別れた後に、相手がすぐに切り替えていたら悲しいかもなあ」という気がして、何となくこの見送り方を始めて今日に至る。
しかし最近、自分の中でこの別れ方が思ったよりも重要な意味を持ってきていると気づいた。それは、日常があっけなく崩れることがあり、次にまた同じように会えるかどうかが危うい事実を、意識し始めたからだと思う。どうかまた会えますように、その時まで相手がしんどい思いをせずにいられますように、そんなことを思いながら背中を見送る。もしかしたら、自分なりの「祈り」みたいなものなのかもしれない。

別れ際に「祈り」という言葉が浮かんでくるようになったのは、そう思えるような経験があったからだ。昨年は、色々な土地でよくよくお話を聞かせてもらった。そのほとんどが初対面なのだけど、特に別れ際が印象深かった出会いがある。

それは、かつて津波が到達した町で、神社を探している時のことだった。地図に記されている場所まで来ても、それらしきものが見当たらない。どうしようかなと振り返ると、小高い山があった。もしかしたらこの上にあるかもしれないと思うがどこから登っていいのやら、めぼしい入口がない。困り果てていると、たまたま手押し車を押して歩く女性が傍を通った。目が合ったので話しかけてみる。
「あの、この辺りに神社はありませんか?」「ああ、それなら確か、この山の上にあるよ」「どっちから行けばいいですかね」「うーんと、確か右の方に回ると鳥居があった気がするんだけど…」。女性はしばらく考えた後、「もう越してしばらく経つから、すっかり忘れてしまったね」と言った。聞けば、地震の時までこの土地に住んでいたものの、引っ越してからは全く来られなかったそうだ。「ここ10年で本当に何もかも変わってね、大変だった」という彼女は、自身も病気で通院しながら、家で夫の介護も行ったという。今は夫が施設に入っていて、だからこうして久しぶりに昔住んでいた場所まで買い物に来たのだそうだ。周辺のことを質問する私に、自分が嫁いで来た50年ほど前から、現在までの歴史を教えてくれた。神社の祭の時には近所の家を集金に回ったこと。自分は隣の集落出身だからいつまでも女性たちの輪に入れなかったこと。景色はすっかり変わってしまったけど、久しぶりに歩いたらやっぱりどこか落ち着くこと。それはもはや土地と結びついた人生の話だった。
色々話してもらった後、「ありがとね。なんだか、すっかり私の話をしてしまったね」とその人は笑い、「こうして話しすることなんか全然なかったから。今日は色々思い出せたよ」と何度もお礼を言った。いえいえこちらこそ、と頭を下げると、「それじゃ、神社はこっちだと思うよ」と山の道を指して言う。「本当にありがとうございました。気を付けてくださいね」と伝えると、最後に思いがけない言葉が返って来た。

「また会いましょうね」。

そうして坂を上がっていく女性の背中を、ずっと見ていた。私は通りすがりのよそ者で、女性ももうここには住んでいない。その二人が、今後会うことなんてきっとない。そのことを、彼女もよくよくわかっているだろう。その上で交わす「また会いましょう」という言葉には不思議な響きがあった。一緒に過ごしたいまの時間だけでなくて、お互いに「その後の時間」が続いていくことを信じているような、その時間込みで、きっとまた会えるように生きていきましょう、という静かなエールがそこにあった。これはまるっきり祈りだなと、その時確かに思ったのだった。

私は今日もただ無言で相手の背中を見ているだけで、美しい挨拶はできていない。しかし、いつか自分も、彼女のように去り際の挨拶が美しい人になりたいと思っている。