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どこだれ⑪ すべて見ていた山

ある神社を探していた。
その地域に昔住んでいたという人から、「べこ(牛)を祀っている神社があって、そこによく行ったもんだ」と教わって、実際に見たくなったのだ。地図上にはこの辺りだと表示されているが、それらしきものは見当たらない。すぐ近くに海を臨む土地で、風が吹くと潮の匂いが鼻をかすめる。うろうろしていると、道の途中にとつぜん鳥居が現れた。しかし、その先にはただ建物が並んでいるだけで、神社らしきものはない。一体何に向かって建てられた鳥居なのか。目線を横へうつすと、少し先の小高い山にあたった。もしかしたら山上に目当ての神社があるのかもしれない。成人の足で、ものの15分もあれば登り切れてしまいそうなその山に、行ってみようと入り口を探した。ところが、いくら探しても山頂に向かって開かれた道はなく、気づけば山のまわりをぐるりと一周してしまった。はて、この山はどこから登るのだろうか。山中には木々や草がぼうぼうと生えていて、中に道があるのか外からは確認できない。でも、地図はここに神社があると示している。もしくは、ここにかつてあった、ということなのだろうか。
顔を上げると、小さな水門があった。水の流れが川から海へと続いている。川と海の境目あたりにあるガードレールが、ぐにゃりと大きく曲がっていた。ところどころ赤茶色にさびている。道や周辺の建物は綺麗に直されている中、その姿だけが、13年前のあの日、ここにも津波が押し寄せたことを告げていた。

近くでカリカリカリ、と音がした。見ると2階建てのアパートの前にある駐車場で、男性が白線を引くために地面にしるしを付けているところだった。ここの管理人だろうか。話を聞けそうな人にめったに出会わなかったので、声をかけてみた。
「あの、すみません、この辺りに神社ってないですかね」。男性は顔を上げて「え?」と言った。「この辺りに昔からある神社を探していて、ご存じないですか」。その人は困ったような顔をして、「知らないねえ」と言った。そうですか、地図ではここに書いてあるんですが…と言おうとしたその時、目の端に赤いものが映った。見ると、それはアパートの隣の奥まったところに建っている鳥居だった。建物の影になっていてまったく気が付かなかった。男性にお礼を言って別れ、鳥居の方に歩いていく。
近くで見ると、成人男性なら頭を打ってしまうのではないかというこぢんまりとした鳥居で、しかし何とも言えない威厳があった。よく見る鮮やかな赤ではなく、血のように深い紅色していた。鳥居の先には山頂へ続く道があったが、だれかが踏みしめたであろう土の露出した部分は面影を留めるだけで、落ち葉が積もり、その上に足の長い草がひょんひょんとアーチをつくっていた。しばらく誰も通っていないことはすぐにわかった。奥に行くにつれて暗くなる道を見て一瞬迷ったが、一礼して鳥居をくぐり、登ることにした。経験上、発見してしまった道は引き返さず歩き切った方がいい。そこには何かしらその時しなければいけない発見があって、こういう時に人は「呼ばれる」という表現を使うのだと、最近やっと理解した。

道には落ち葉がわんさか溜まっていて、歩く度に足の上に乗って落ちた。歩き切ったら折り返し、また歩いては折り返しと、山の外側をくるくる回るように徐々に頂上へ向かっていく。歩を進める度に木々の背が高くなり、昼間のはずなのに随分暗い。さっきまで聴こえていた車の音は遠ざかって、ざくざくっという葉っぱを踏みしめる音だけが響いていた。人の気配が薄れていくのに比例し、なにか別の、植物や動物の気配が濃くなるのを感じる。足元に石が増えてきて視線を落とした時、目の前に何かの気配を感じてはっと顔を上げた。その光景を見て、飛び上がりそうなほど驚いた。
道の真ん中に、細く長い木が立っていた。
これまでにはない高さのその植物からは、無言の圧と、侵入者を拒む生き物の気迫を感じた。道の中央に堂々と立つ姿は、この山にとって、私は明らかに異物なのだと伝えていた。しばらく圧倒された後、それでも進みたい気持ちが大きく、思わず「すみません、お邪魔します」と言ってその横を通らせてもらう。
運動からか、緊張からか背中に汗を感じながら、最後の坂を上っていた、その時だった。視線を感じた方を見て、思わず息を飲んだ。
坂の上から、小さな狛犬がこちらを見ていた。その目と私の目が「合った」ことにも驚いたのだが、何より異様だったのは、その狛犬が地面に「寝ていた」ことだった。狛犬はどんと地面に倒れていて、しかしじっと参拝者の登ってくる方を見ていた。思わず手をあわせた。一体いつからこの状態なのだろう。
その神社のてっぺんに賽銭箱はなかった。木々の隙間から景色が向こうの方までよく見える。
すぐそこの海と、町と、とおくの山々。
その風景を見ながら、「あの日、ここからはすべて見えていたんだな」と思った。この山に駆け上った人はいただろうか。その人は助かっただろうか。この土地であった色々なことを、きっとこの狛犬は、山は、見てきたのだろう。そして今はひっそりと、人目につかずこうして沈黙を守っているのだろう。
この山と、町のことを思いながら祈り、静かに山を下りた。

その後歩いていると、もう一つの鳥居を見つけた。名称を見ると、それはまさに探していた神社だった。あれ。ここで不思議な感覚になった。だとしたら、さっき登ったあの神社は一体何だったんだろう…?

何かに「呼ばれた」としたなら、私はあそこで何を教わったのだろう。あれ以来ぐるぐる考えながら、こうして文字に残している。まずは忘れないために。そして、これを読んだ誰かにも一緒に覚えていてもらえるように。