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ぬいぐるみについて⑥ぬいぐるみ病院で気付いたこと



「ぬいぐるみ病院」を知ってるだろうか。
正式名称は「ぬいぐるみ健康法人 もふもふ会 ぬいぐるみ病院」で、その名の通りぬいぐるみのお直しをする機関のことだ。


そこには日々、様々な症状を抱えたぬいぐるみたちがやってくる。かわいがられて布の色が変わってしまったもの、布が擦り切れ、中の綿が出てしまっているもの、目や鼻が取れてしまったもの…。中には30歳以上(!)のぬいぐるみもおり、持ち主の人生を長期間支え続けているのだろうなあ…と感じさせる。


一見するとただのお直しの会社なのだが、ぬいぐるみ病院の特徴は、何といってもその「世界観の作り込み」にある。
ここでは、ぬいぐるみのことを「患者さま」と表現する。そして、布のよごれは「愛され色」、本体を洗うことを「お風呂エステ」と呼ぶ。中の綿を足したり入れ替えたりするのは「お綿の調整」と言うのだ。
そして、これらの治療を行うのは(決して)人間ではなく、ぬいぐるみなのだ。HPではかえるのぬいぐるみが「院長」として挨拶し、いのししのぬいぐるみが「ドクター」として治療を行う旨が記されている。そして、彼らは患者の「心のケア」まで行う。Twitterには、入院患者に付き添う看護師や、添い寝する看護師(繰り返すがぬいぐるみ)の様子が頻繁にアップされている。



ぬいぐるみアカウントを始める随分前から、ここの存在は知っていた。しかし、当初はどちらかと言うと「なんだかすごい世界があるなあ…」程度にしか思っていなかった。自分には関係のないものとして考えていたのだ。


そんな私が入院を考え始めたのは、ぬいぐるみのアカウントを作って3年目のことだった。記念写真の予定があり、その写真に一緒にぬいぐるみも写そうかということになったのだ。しかし、購入後色々なところに連れまわしたぬいぐるみは、いたみが目立つようになっていた。ふわふわの巻き毛は所々ほつれてからまり、起毛ではない顔にも、よくよく見ると細かいホコリの子どものようなものがついている。(最初はピンセットで取ってみたが、らちが明かなさ過ぎてやめた)。ピンクの鼻もなんだか鮮やかさを失っているようだし…。


そこで、突然ぬいぐるみ病院のことを思い出した。
調べてみると、人気のため順番待ちがあるようで、撮影日までに入院できるかは微妙だった。でも、まあ、もしも間に合えば綺麗にしてもらえばいいか…と思い、入院の申し込みメールを送った。



数か月後、忘れた頃に「ぬいぐるみ病院です!○○さん(ぬいぐるみの名前)の入院の準備が整いました!」というメールが届いた。おお、と少し戸惑いながら入院手続きをチェックすると、数枚つづりの立派な問診票がある。
問診票には、施術してほしい内容や、変えてほしくないポイント、ぬいぐるみの性格や年齢、一緒に過ごす中でのエピソードなどを書く欄がびっしりある。
また、施術にあたっての注意事項も優しい語り口ではあるが用紙いっぱいに記載されていた。中でもぬいぐるみの「お綿」については特に厳密な注意書きがあって、それはお綿の入れ替えで感触が変わってしまったり、座りが悪くなってしまったりする可能性があるからだそうだ。ぬいぐるみはお綿の量で表情が変わってしまうことなんてザラであり、もしも納得できなかった場合、一回までなら再施術が可能なのだという。


中でも驚いたのは、次の言葉だった。

「入院して診察を受けた後、いざ手術となった時にお気持ちの変化があり、治療をされずにご帰宅される場合、ご家族のお心を優先していただき、ご入院をキャンセルしていただくことができます」
「急に大切なお友達と離れたり、エステでいつもと香りが変わることで、まれにお心が不安になってしまわれることがございます。ご納得くださってからご入院いただきますようお願い申し上げます」


後半の文章は主に持ち主が子どもの場合の注意事項だけれど、何度読んでもとても丁寧な文だなあと思う。それと同時に、ぬいぐるみの背後にいる、持ち主に対する心の配慮がとても深い所まで考えられているのだなあと感心した。
ただ、この時点ではまだ「ここまでやるんだ…すごい世界…」と若干遠い所から見ていた感覚は否めない。


そんな心境に変化があったのは、実際にぬいぐるみを問診票と共に段ボール…もとい「お箱バス」に乗せて病院に送り出した後だった。


数日後、「○○さん(ぬいぐるみの名前)が病院に到着されました!」というメールが届いたのだ。そこには、病院の看護師(ぬいぐるみ)に見守られながら布団(ぬいぐるみ用)に横たわるいつものぬいぐるみの写真が添えられていた。続いて「到着されてすぐは、すこしドキドキされているご様子でしたが、背中をトントンとさせていただきながら「大丈夫ですよ」とお伝えしたところ、にこっとされていらっしゃいました^^」という言葉が続いている。
その言葉を読んで、今一度ぬいぐるみの写真を見る。そこに写っている表情は、なんだかいつもより緊張しているようにも見えるのだった。


その後も、エステ後や、お綿の交換など、各工程が終わるたびに逐一写真を添えたメールが届いた。そこには、問診票からひろったエピソードで編まれた言葉もあり、ついほっこりしてしまう。自分の大切にしているものを、他の誰かが大切にしてくれているのがわかるのだ。



ああ、こういうことかと思った。


メールが来るたびに、自分だけだったぬいぐるみとの関係が、どんどん広がっていくのがわかる。ぬいぐるみ病院という場所は、誰かの考えた「この子はこういう性格で、こういうことが得意で…」という物語を、まるっと肯定してくれるのだ。


一カ月入院して帰って来たぬいぐるみは、ふっくらとして、つやつやで、一回り大きくなって帰ってきた気がした。その技術もさることながら、何だかぬいぐるみの存在が一段格上げされたような思いがする。
そうか、自分が大切にしているものを、見知らぬ誰かにも大切にしてもらうことは、こんなにも心を豊かにするのか…。

ぬいぐるみ病院にぬいぐるみを入院させる人々は、こういう気持ちを味わいたくて利用しているのかもしれない。そう気づいた初入院だった。


(あなたも生きてた日の日記⑥ぬいぐるみ病院で気付いたこと)