波間のイエロー

町田そのこ 「夜空に泳ぐチョコレートグラミー』より

 今日、失恋した。趣味や話がとても合って、自分の生活を大切にしている、とても素敵な男の子。結果は、ありがとう、だけだった。わたしも、彼の恋人になれないならこのまま、いい友達のままでいたい、でも好きだよ、となんかよく訳の分からない、ある意味、言い逃げみたいな告白だった。でも、ずっと思ってたことをちゃんと本人に伝えられたので、満足はしてる。だけどなぜか涙は出てくるし、眠れないし、必死にLINEやインスタで連絡できる人を探してる。そんな夜に、どうせ眠れないならと手にとったのが、この本、『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』だった。

 この本は、すり鉢状の小さなベッドタウンで暮らす人々を主人公にした連作短編集だ。この中の、『波間のイエロー』が、今日の私のやるせない、行き場のない気持ちを救ってくれたから、紹介したい。

 主人公は、28歳の紗世。彼女は、「おんこ」の芙美さんが経営する喫茶「ブルーリボン」で働いている。「おんこ」というのは、男から女になる間の存在、みたいな感じである。女性ホルモンを打つとかではないが、芙美さんは女装をし、メイクをし、女性のような言葉遣いをする。なぜ芙美さんがそうなったかは本編を読んでもらうとして、物語はそんなブルーリボンに転がり込んだ、環さんを中心に展開する。環さんは会社の上司の不倫相手となり、その子を身籠ってしまったことから会社にいられなくなる。そして、彼女は元同じ職場で、自分のことを好きだと、かつて言った「芙美さん」を頼ってブルーリボンまで辿り着く。

 不器用ながらも、実は心の奥底にものすごい優しさを秘めている芙美さん、そんな芙美さんの愛を疑わずに、自分本意に振る舞う環さん、そんな環さんにイラつきつつも、見捨てることはできない紗世。そんな三人が紡ぐ物語に、気づいたら涙が溢れ出ていた。わたしの失恋なんぞは、環さんや芙美さん、紗世の境遇に比べればなんてことなく、彼女たちからはそんなことでクヨクヨするなと叱られてしまいそうだが、今日のわたしには、彼女たちの物語がとても強く響いたのだ。

 紗世さんのセリフに、印象深いものがあった。
  あの人の中にはまだ、あの時の想いはあるかな。
  今もわたしのことが好きかな。
  わたし、それが知りたいの。
  まだ、信じてたいの。
  自分がちゃんと誰かの特別で、素敵な人間だって。

 この物語に登場する人は皆、すり鉢状の小さな街の中で、精一杯生きている。彼ら、彼女らは、部外者から見たら、もっと大きな世界で、違う価値観で生きている人から見たら馬鹿げているような価値観や、信念に従って生きている。しかし、その価値観や信念は、この街で生きる彼ら、彼女らにとっては大切で、曲げられないものなのだ。環さんの、お腹にいる子供の父親と会って話したい、という気持ちだって、奥さんからしたらいい迷惑だろう。しかし、環さんは会いに行くのだ。

 この本の短編の主人公たちはみんな、小さな街で、ここでしか生きられない、ここで生きるという覚悟を決めて生きている。または、物語を通してその覚悟を決める。そんな生き方が、本作の中では、すり鉢状の小さな街で「泳ぐ」という表現をされている。ここでしか生きられないから、少しでも上手に「泳ぐ」ために模索し、工夫し、もがきながら生きていく。そんな登場人物たちに、いつの間にか励まされていた。自分がいる世界がちっぽけなことを自覚しながら、同時にここでしか生きられないことを自覚しつつ、苦しみながら生きている、そんな登場人物たちが今の自分に重なった。もっと大きい世界があることを知り、自分がこのちっぽけな世界で悩んでいることが瑣末なことだと知りながらも、そこから逃れることができない、そんな自分の状況と、本作はピッタリだった。

 大学生であるわたしはいつか、今悩んでいることがどうでもよくなるくらい、違う人生のステージに立ち、今の世界とはまた違うところで、同じように苦しみながら生きていくのだろう、そこでもおそらく、自分の世界がちっぽけであることを自覚しつつも、ここで生きていくしかない、と日々苦しみながら生きるのだろう。
わたしなりの泳ぎ方を模索しながら。


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