#11 母ちゃん大切に。

中学生のとき、反抗期すごかったんですよ。自分でいうけど。もう世界中の大人が敵に見えて、学校の先生とも1mmも心通わせられなくて、お母さんにもたくさん当たった。親なのに自分のこと全然理解してない!ってずっと思ってた。

ひどいことたくさん言ったし、少しのミスも責めたし、お手伝いしなかったし、ママの一言一言に無性にムカッときたりして、突っかかりまくった。洗濯やごはんいつもやってもらってんのにありがとうの一言も言わなかった。

でも、ママは絶対言い返してこんかったし、怒らんかったし、フルタイムで働きながら家事も全部ひとりでやってんのに文句言ったことなかったから、わからんかった。どんなに自分がひどいことしてたかわからんかった。ママがどんなに辛かったかわからんかった。ママがしてることがどんなにすごいことか、わからんかった。本当にごめん。


小さい頃から、洗濯、ごみ出し、皿洗い、風呂掃除、トイレ掃除、買い物、全部ママだった。パパもママも同じ時間働いてんのに、いつもママだった。でもママは「手伝ってよ」とか「なんでわたしばっかり」とか言わなかった。だからそれが普通だと思ってたし、感謝するべきことだってすら知らなかった。家でもママが働いてるのが当たり前だった。

中学のときまでお手伝いはほぼしたことなかった。たまに廃品回収のときに新聞縛って外に出すのをやったり、母の日に料理つくったりするだけ。ほんとにほぼゼロだった。でもやらなきゃとも思いもしなかった。それどころか、たった一回皿洗いしといてくれん?もう行かなきゃいけないから、って言われただけで舌打ちしたりため息ついたりなんなら断ったりして、あーーもう書いてて情けなくなるけど、そんな感じだった。自分のことでいっぱいだった。


高校はいって、反抗期はちょっと落ち着いた。ちょっとだけね。ユーチューブが主流になってきて、動画数も増えてきて、「スカッとする話」みたいなアニメーションの動画のチャンネルを見かけたときがあった。完全他人事で最初はみてたけど、そんなかで、「奥さんは健気に家事も仕事もしてるのに全く手伝わない夫が制裁を受ける」系の動画があったのよね。そんなんがいくつもあった。


そういうのを見ていくうちに価値観が徐々に変わってきた。あれ?自分がしてることってこれと同じなんじゃ?って。よく考えたら、冷静に考えたらだよ、家族6人が一緒に暮らしてて、お母さんって存在はトップクラスで忙しいのに、家事全部やって子供からは喧嘩売られて、ひどいことも言われて、ちょっとミスしただけで責められて、こんなん自殺案件じゃん。わたしがあなたなら、とっくに子育て諦めてるかもって。


大学生になって、恋人の家によく泊まったりするようになって、洗濯も料理も皿洗いも掃除も一通り経験した。

そこで初めて気づいた。これ感謝すべきことだ。これ当たり前じゃない。これ、すごいことだって。

わたしがほんとに馬鹿なのかもしれないけど、ママがわたしと同じ人間だって前提すら、初めて気づいたんだよ。他んちの同級生が「母親と喧嘩した」とか「母親にめっちゃ怒られた」っていってた中学の時点で、うちの親の尊さきづくべきやった。喧嘩になったことも、怒られたこともなかったから。

気づくと同時に、言ってよ、とも思った。

わからんかった。ママが言い返してこんし、怒らんから、自分、ママが人間だって忘れてたよ。ママには何言ってもいいと思ってたよ。そんなわけないよね、人間だもん。ママの泣いてるとこ見たことないけど、もしかして、わたしのいないとこで泣いてたりしたの?わたしひどいこと言ってママのこと泣かせてたん?言い返して、怒って、泣いてくれればよかったよ。ほんと、自分が情けない。今までどれだけの仕打ちを育ててくれたあなたにしてきたのか。

家事も辛いし、みんな暮らしてんのに自分だけやるのおかしいよねって。もっと手伝えチビども、って言ってよ。わからんくて、こんなバカなことずっと続けてた。後悔しかない。


それに気づいたときから、これからはママに優しくしようって決めて、できる家事はやるようになった。ママには悪態つかんって決めた。そもそもそんないちいちムカッとするような反抗期はとっくに終わってた。だからこれからは今までの分取り返すように優しく優しくするって決めた。たくさん笑ってほしいから笑わせるために色々した。自分も笑顔でいるようにした。

でも、もう遅かった。


この記事書いてるのはそもそもそのせいなんだよね。懺悔みたいなもん。

去年ぐらいだったかな。下に年の離れた兄弟がいるんだけど、やっぱり遅くに生まれたまだ中学生の兄弟がかわいいらしくて、ママは特にかわいがってた。上にも兄弟がいるんだけど、そいつがママにある日言った。「○○のことすごいかわいがるよね、うちらはそんな風にされたことないのに。」もちろん冗談でヤキモチみたいな感じで言った言葉だったと思うんだけど、ママは答えた。「○○は反抗期ないけどスポベジはすごかったから可愛がり方に差が出るのは当然。」

わたしより○○のほうが好きなのは当たり前。

なぜかすごく心に残ってる。こういうことって覚えてるもんなんだね。あのとき、わたしはもう平等に愛されてないんだなって知った。

ずっと前の会話だけど、今でもはっきり覚えてて、そのときからもう心では捨てられたような気持ちになってたのかもしれん。


これもすごい心に残ってるんだけど、小さい頃、まだ保育園に通ってた頃、家の洗面所で、ママにわたしのこと好き?って聞いたことがある。好きって言ってくれた。そのあと、二重あごのものすっごい変顔して、声も変な声にして、その状態でわたしがこんな顔で、こんな声で生まれてきても好きだった?って聞いたんだよね。そしたら、どんな姿で生まれてきたってスポベジのこと大好きだって言ってくれたんよね。

ずっと覚えてるんだよね。保育園生時代のわたしでさえ、当時嬉しくて泣きそうになってこらえた。

そっからなのかな。母親の愛は無条件だと潜在意識から思い込んでた。だから、去年そうやって愛に序列つけられたときは、ショックだったのと同時に、そうだよな、ごめんなさい、って妙に納得したし、お母ちゃんだって人間なんだ、って強く再認識したもんだ。


いま気づいたってもう遅い。嫌われたもんはしょうがない。それだけのことをした。戻って謝りたい。こんな嫌な子供でごめんなさい。嫌ならそんときいっぱい叱って言い返してほしかったし、わたしの言葉で傷ついたなら遠慮なく泣いてほしかったな、なんて、身勝手なことは思うけどね。

自分が許せないし、でも嫌ってくれてよかったというか、よくはないけ当然の反応というか、自業自得ですね。自分の不始末で、二度と母親の一番にはなれなくなった。

いまは色々な問題がかさなって、同じ家に住んでるものの、母親との関係はよくない。いまはとにかく、家を離れて一人暮らししたいって思いが強いかな。


子供の心は乾く前のセメントだって言われる。落としたものの形がそのまま跡になって残る。

でも、大人だってそうだと思う。

これからもこの切なさは跡になって残りそう。


関係がよくなくたって、母親のことは大切だし、大好きだ。でも、母親にはぜひ、わたしのいないとこで幸せになってほしい。世界にひとりしかいないわたしのお母さんだから、誰よりも幸せになって、わたしのことなんか忘れて、将来幸せになってほしい。

まあ、こんな勝手なこと言っといて、学費も親に払ってもらってるぺーぺーなんですけどね。

お母さんへ。たくさんごめんなさい。

院試合格後の生活費になります!