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#6【7年と15冊】中学生からつけてる日記を振り返ってみたら面白かった話

どうもこんにちは、スポーツ学生のスポベジと申します!最近note一新したばっかりで、大学生の日常、学んだこと、読んだ本、面白いと思ったことをまとめてます!

今回は、きっと誰も興味ないことなんですけど、わたしは7年前からずっと日記書き続けてきて、とうとう15冊目になりましたよって話なんですね。とうとうってとうとうとかないんですけどね。15冊べつに目指してたわけじゃないのでね。わたしの年齢で7年間日記を書き続けてる人はあんまりいないんじゃないかなと、ちょっとは面白いんじゃないかなと思いましたので、まあとにかく気づいたら7年経ってて15冊日記があったので、振り返って今思うことでも書いておこうかなということです。


一冊目の表紙

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なんかいきなり絵が描いてある?と思って考えたら、

多分「ニッキ」なんですよね・・八ツ橋の・・。日記だけに・・。

なめとる。

中1の夏7/21から日付はスタートして、しばらくは当時やってたダンスの愚痴と、友達の愚痴と噂話ばっかりでした。いやあ中学生っぽいなあ・・。3ページに一回は誰かのことぼろっくそに書いてた。。怖い。

まあでもこうしてノート相手にしっかり毒吐くかわりに、学校では平気を保ってたんだと思います。モヤモヤしたら言わずに書く。自分なりのストレス発散だったんだろうな。

2冊目には、同じテニス部の子とけんかした後らしい、かわいい仲直りのようすが書いてありました。↓

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うちはカチンときて、その後しゃべらず、部活はおわって帰った。

その日のうちにTELきて なかなおりした。

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友「もしもし 仲直りしたい?」

私「したい」

友「じゃあ先にあやまって」

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私「ヤダ」

友「何で、ゆって」

私「じゃ、そのあとちゃんとゆってよ」

友「うん」

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私「ごめんね」

友「いいよ」「ごめんね」

私「いいよ」「バイバイ」

友「バイバイ」

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・・・・っていう。

なんやねんこれ!カップルか!

さんざん友達に対して怒ってたのに、仲直りしたい?なんて半ば上から目線でいわれて素直に「したい」って言っちゃうんだもんなあ。もっと抵抗しろ!いいたいこと言ってやれ!と今なら思っちゃいますけど。

まあ、その日のうちに気にして電話くれた友達も素直でいい子ですね。かわいいもんです。自分のこと「うち」と呼んじゃうあたりも中学生っぽいですね。


他にも、テニスの試合におばあちゃんが見に来てくれたのに、自分はレギュラーじゃなかったからおばあちゃんにがんばってるとこを見せれなくて悲しかった、とか、ユニバのジュラシックパークのジェットコースターで、初めて笑顔で写真に写れていい思い出になった、とか。

純粋で正直な気持ちが伝わってきてつい微笑んでしまいます。


それにしてもいろんなことが書いてある。中1のわたしにとって日記はただその日あったことを記録するだけのものじゃなく、ストレスを解放する場所であり、その日思ったことや考えたことを整理する場所でもあったんだね。

いろんなことを考えるのが趣味みたいなわたしですが、日記を書き始めて、毎日一人でゆっくり考える習慣がついたことがその始まりかもしれません。


4冊目では中2になってるみたいです。中2のわたしは色々一人で考えてるうちに、こじらせてきているようです・・

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「学校ではどうしよう。世界をみんなに見られたりするわけにいかない。こっそり、自分だけ楽しく、人より楽しく生きたい。

----中略----

変脳世界は自分のもの。自分が王。てか自分しかいない。すきなものをつくって すきなことをして すきなものをつかって すきなところにいる。すきなところで開けて、いざってとき出られる。どこでもいつでも入れる、使える、超便利有能妄想世界、変脳世界

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・・・。はあああ・・。

許してください。中2ってみんなこんなもんなんですよ・・多分・・。

変脳世界って。。呆れますけど、これにはちょっと心当たりがあって。昔やってた「電脳コイル」ってアニメが大好きだったんですよ。ハラケンとかヤサコとかが出てくるやつです。それのもじりだろうなあ。

「超便利有能妄想世界」!?!? な、なんて!?

きっと中2のわたしにとって日記というものは、ストレス発散、考えの整理の場であると同時に、妄想手帳でもあったんですねえ。この頃には、妄想は増えてますが、そのぶん人の悪口とかは減って、心穏やかに生きてたみたいです。こじらせてるけど。


6冊目では中3になったみたいです。どんなふうに成長してるかな・・って1ページ目に何かが・・

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「詰間乱背世はつまらんぜよ

あるところに、須部輪三(すべ・りんぞう)という少年がいた。輪三には、詰間乱背世(つま・らんぜよ)という、そそっかしく、めんどくさいいじけ方をする友人がいた・・・」

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いやああああああああ

クソほど面白くなさそうな小説を書いている!!

これなら中2のほうがマシだった!!ネーミングセンスのかけらもない!!登場人物の名前からわかる中身のなさ!!そして謎の絵!!


・・一年過ぎたからといって、成長してるとも限らないんですね人間って。中3のわたしは日記に慣れてきてこんな使い方までし始めたんですね。


あーあとから日記見てると面白いなあ。あまりにも未熟で恥ずかしくなるけど。。

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大学に入って一年目、論理学という講義をとったんです。そこで「記憶は変わるし捻じ曲げられるし、無いものも新しくつくられる」って聞きました。想起する、つまり「思い出す」行為を何回もしていると、少しずつその記憶の形が変わっていくのだそうです。「あのときはまだまだだったなあ」とか、昔の自分と比べて「ぼくはずいぶん成長した」という人がいますけど、人間には昔の自分を過小評価することで現在の自分は進歩していると錯覚する癖があって、実際は自分が思ってるより昔となんら変わってなかったりするんです。こういうの、ナントカ効果っていうんですけど忘れちゃいました。

何が言いたいかというと、昔の自分を正確に思い出そうとしても、無理ですよということです。思い出した記憶はどこかでねじ曲がって、混ざって、全く違うものになっています。だから日記を読み返していると、覚えてることと違うところがあったりして「あのとき、自分そうやって考えてたんだ」って驚くことがあります。成長どころか過去の自分のほうがしっかりしていて、こちらが学ぶことさえあります。

自分がどう考えてその選択をしたのか、あのときどんな思いでいたのかっていうのは当時の自分にしかわからないんですよね。だから日記は面白いんです。本人しか知らないことを、真実そのまま書いてくれてあるから。

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そろそろ高校生です。もう何冊目なのかもわからないけど。

書いてあることは大体が部活と勉強のこと。いつのまにかけんかした友達の愚痴かくスポベジはいなくなってました。大人になったんだね・・(:_;)

ちなみに高校のときは勉強面では下の上ぐらいで、まあ落ちこぼれの部類でしたので、3年間通して勉強の悩みが一定のペースで書かれています。部活も、楽しくてしょうがないと思ったらプラトーがきて、心が荒れたときもあったみたいです。

(プラトーとは「スポーツを始めてある程度まで上達してきた頃に、一旦上達が停滞する時期」のことです。これをふんばって乗り越えるとさらにメキメキ上達します。ちなみにスランプは「すでにレベルの高い選手が一時的に成果をあげられなくなる時期」のことを言います。)

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おーおー。って感じですね。w

わたしが日記を書くときは、全部文字ってわけでもなくて、こんな感じでぐちゃぐちゃ書いてるだけのときもよくありました。毎日必ず日記をつけてたわけでもなく、1日2回書くときもあれば何カ月も書かないときもありました。一回で20ページ書くときもあれば、2文字のときもありました。そんなもんです。ガチッと決めないで、書きたいと思ったときに書く。そうしていくと、日記がどんどん居心地のいい場所になります。ルールなんか作っていないけど、あえて言うとすれば、ムリして書かないことです。たとえば、高一の前半は高校生活に慣れるのに手いっぱいで忙しかったんでしょう、一切記述がありません。


高一の後半からは、初めて出来た恋人のことで頭がいっぱいだったみたいです。最初の頃は特に、相手を怒らせたくない、傷つけたくない、嫌われたくない!って思いすぎて大分ウジウジしてる・・。そんなところも応援したくなります。自分だけど。

部活と勉強ですでに頭はいっぱいだったのに、そんな新たな悩みの種を拾って毎日たいへん!になった日記のなかのわたしは、しかし、溢れる思いや考えを日記に受け止めてもらいながら、必ず答えを見つけていったんです。

いやな思いの正体を探り、問題を洗い出し、解決のために今すべきことは何かというところまで考える。その場を与えてくれる存在こそが、日記でした。


日記を書くっていうことは、「自分と向き合う」ということだと常々思っているんです。いま自分はなにをしたいのか、明日からどうやって生きていけばいいのか、何を基準に判断し、選択していけばいいのか、これらを知るには、自分と向き合ってじっくり考える時間が必要です。

わたしはそれを意図して日記をつけ始めたわけじゃないけど、日記をかくことで、同世代の誰よりも長い間自分と向き合ってきました。自分の指針を再確認し続けているんです。だからブレずにいられます。自分のことをわかっているからです。


心理学の先生が言ってました。大学生は「モラトリアム」と呼ばれ、体は大人だけど「社会的な義務」を猶予されている期間なのだと。だから今のうちに、自分で選択できるようにならなきゃいけないんだと。自分で選ぶには自分の心の声を聴く必要がある。聴こえるようになるには、自分と向き合い、自分なりの価値基準を持っておかないとならない。


今、15冊目の日記はA6の小さなノートです。今まではその辺のテキトーな大学ノートや方眼を使ってました。そういうのも、あまり決めたくないんです。

日記はときにストレスの発散場所になったり、心の整理に使われたり、またときには妄想手帳になったり手作り小説になったりしました。メモ帳みたいになったときも、お絵かき帳になったときも、スケジュール表になったときもありました。そのときによって都合のいい使い方をしてるけれど、変わらないのは、「自分だけの部屋」になってくれていたことです。そこで、誰よりも自分自身と会話してきました。

それだけじゃない。蓄積された日記は、いつでも13歳から20歳のわたしに戻らせてくれるタイムマシンです。普通にしてたらどんどん流れていっちゃうものが、7年経ってもここにあるんです。今でも読み返すと不思議な気持ちになります。


まあ、そういうことで、結局こんなに語っちゃって恥ずかしいんですけど、長くてすみませんなんですけど、日記で7年15冊振り返ってみたら色々考えさせられたなあっていうそういう。みんな日記書くときはお母さんにウッカリ見られないように気を付けて!!!っていう。

そういう話です!スポーツ大好き大学生スポベジでした!ありがとうございました!他の記事もみてください!



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