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お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ

どんな人でも得意なことや不得意なことを持っているでしょう?

「俺はアレをするのが得意だ」「私はこれができる」その得意なこと「だけ」を仕事にしていればいいという時代が、かつてはあったと思います。

でも、自分の仕事をきちんとやるためには他の人と組んで何かをする仕組みをつくらないと、本当の意味での完成にはとどかせることのできない時期になってきたように思います。

逆にいえば、他の人とうまく組んでいく仕組みをつくらないといつのまにか自分の仕事がなくなってしまいかねない、そういう時代なのでしょう。

会社員の人も、職人さんも、もちろん商売をしている人も。努力をして、コツコツやっていれば絶対に大丈夫なんていうものがなくなってきて、「じゃあ、どうすればいいんだろう?」と、いろいろな人が少しずつ模索をはじめている時期だとぼくは思います。 〜本書まえがきより〜

まず本のタイトル〜お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ〜を書店でみつけた時に思わず“ドキっ!”まさに自分のことだなと。

さっそく読み進めていくと“お金儲けのヒントは本の中にはない。”とキッパリ。

お金の起源は貝や豆や石(地域通貨)から始まって、そこから金や銀のコインに代わり、それを貯蓄する場所として銀行が誕生。持ち運びの手間をなくすために預金者にコインの預かり証を発行したのが現在使われている紙幣のルーツとなりました。最近話題のビットコインはもはや物理的な価値は存在せず、信用のみが価値となりお金ですらデジタル化。ちなみに楽天のEdy(元はSONYが開発した)はユーロ(E)、ドル(d)、円(Y)に変わる地域通過をめざすという心意気で開発されたとかされないとか。

お金の神様と呼ばれていた邱永漢氏は、“今は、何かをしたいと思ってない人は、何もできない”、“お金持ちになりたかったら、お金を儲けるより、お金を容れる器を大きくする努力をしたほうがいい”と、どうやらいくらお金を儲けると考える前に、何がしたくてそのためにいくら必要なのかという考え方が自然なんだなぁと再確認。

“小さなネジだけど、もともと大切な仕事をする喜びだとか、大きなネジでがっちりしめておくことだとか、過剰に目立つだけではない、そういう喜びもあるということを若い人たちが知りたくなってきている時期じゃないかなぁと糸井さん。「俺はこれに生きがいをかんじているんだよなぁ」という感覚が人によってばらければばらけるほどきっと社会は豊かになっていくと。ノーダウト!

永漢氏は”事業は果樹園。コメは一年でできてしまうけれど、果樹園はもっと時間がかかる。今はスピードの経済といわれている時代にあえて果樹園をやるのは、他がやらないからこそ、「絶対に果樹園がいいんだ」と信じるほうが大切と説いています。

お金は何かをするための手段だったはずがいつのまにかお金を稼ぐがゴールになってしまった感は否めませんが、この本はお金はすべての物と物、もしくは人と人、あるいは人と物をつなぐ接点であるとあらためて教えてくれます。

“金と出世は災いのもと”とは江戸っ子の考え方ですが、身の丈にあったお金と時間を使えるようになりたいナ。そう、“朝は夜より賢い”と言って、夜にクヨクヨと寝ないで考えるよりも早く寝て朝になってから考えたほうが実りがあるそうです。

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