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全てを生き切る

少し気を抜くと、あっという間に時間は流れ去ってしまう。
書いて、改めてゾッとした。
「流れ去る時間」とは命そのもの。
例えば食器を洗っていて、たまに水道を止めないことがある。蛇口から排水口へただ流れていくだけの湯水。二度と上水へ戻すことはできない。
時間も同じなのに。手で触れられないから実感が湧かないのだ。
時間は命。
生きている間だけ意味を持つもの。生きている肉体を持つものだけに与えられたもの。時間、命。
残りがどれほどあるのか見えない。
ただ朝と夜を繰返しカレンダーがめくられていき、月日が過ぎていることを理解していると、自分で思い込んでいる。
残りの見えない部分を気にしても何も得られない。息をして動いている限りにおいて、この時間をどう使うのか。ただそれだけに注意をはらいたい。
使わなければ勿体ない。
蛇口から排水口へただ流れていくのをそのままにするような、そんな過ごし方はしたくない。
残りがわからないのは、人生を完成させなくてもいいからだろう。完成や完了に大した意味はないからだろう。やり遂げることも一番の重要事項ではないのだろう。
やっぱり、その途中に意味がある。そうとしか思えない。
満たされた気分で居られたか、心地よく居られたか、優しい気持ちで居られたか、感謝の念を抱けたか。これらのことが最も重要なのだろう。
死がいつやって来るのか知ることが叶わないのは、終わりのことなど気にしなくてもいいからだ。
いつまでに何をどうするかということは全て、社会との約束ごとであって、その範囲で完結していけばいい。和やかに穏やかに、思いやりの心とありがたいという気持ちを持つ。
これさえあれば、一瞬たりともこぼさずに全てを生き切ることができる。

やってみたいことが「やってみる」に出来る仕組みが増えてきています。 わくわくは特別なことではなくて、平常になりつつあります。 あと一歩。 あと半歩かも知れません。 あなたが背中を押してくれるなら。誰かの半歩が他の誰かの背中を押します。 連鎖の中で歩んでいきたいです。