久々のメンタルクリニック、大安吉日のカレンダー


久しぶりの投稿が(そんなの誰も知ったこっちゃないが)

メンタルクリニック」が題材というなんとも急展開。

というのも、21年4月入社の新卒ちゃんである私、ある日突然すがるような気持ちでメンクリに電話をしまして、「適応障害 うつ状態」という診断を受けました。10か月前は「軽い抑うつ」と言われてたっけなぁ、とお薬手帳を眺めて思う。そう、入社前もちょっとメンタルをやられていた。

小学生ぐらいから、なんとなく生きづらさを感じていた。「あなたは幸せそうで羨ましい」と謎の逆恨みされることがほとんどで、体操服を便器に入れられたり、ファンシーなメモ帳に脅迫じみたことを書かれてバラまかれたりした。

多分私がいつも、ニコニコ笑ってたからだと思う。要するに能天気な奴だと思われて嫉まれてなめられた。中学2年生の時もおそらくそれが原因で目をつけられた。メールで悪口を言われたり、好きで描いてた絵をペンで黒く塗りつぶされたり。

でも私は何に対してもやり返したり泣いたり怒鳴ったりしなかった。心のどこかで諦めていた気がする。誰かをいじめたりするのはその子の心理状態の問題で(と思っている)、少しずつ学年が上がればいつの間にか無くなって、実は中学2年生の頃私に散々なことをした子とは、今では親友だったりする。若気の至りってやつか?いや、ダメなことですけどね。私は覚えてるが、向こうはやったことはあまり覚えていないだろう。そんなものだ。

そう、私は、当時はあまり深刻に悩んだりしていなかったけど、今思えばちょっとずつ心に傷をつけていた気がする。

大学受験に失敗して、浪人した。1年後志望校に無事合格して入学するも、燃え尽き症候群なのか1年ぐらい大学生活を楽しめず、このために入学したと言っても過言ではなかった1年間の交換留学の面接に緊張しすぎて落ち、入学前受けたTOEICのテストで浪人生の底力を発揮してしまったがために英語のクラスは帰国子女のクラスに入れられ、全く話せず挫折。入学式に知り合った女の子で出来た4人組のグループはマウント女の塊で辟易してさっそく距離を取る。

今でもご飯を食べる数人の友達と、時間だけはあったから散々やり尽くしたオタ活。私はこれだけでも大学に行って良かったと思っているが、社会はそうはいかないらしい。

就職活動に失敗して、浪人した。あんたもしかして浪人好きなの?と友達に言われる始末。んなわけあるかい!普通に嫌やわ!でも面接であからさまな嘘をついて、無理やり笑うのがどうしても耐えられなかったし、何よりも大学時代バイトリーダーでもサークルをまとめ上げた経験もゼミで何か成し遂げた経験も無い私には、「大学時代頑張ったこと」を書くのがマジでしんどかった。シンプルにネタがなかった。「あ、(世の中に言えるような何かを)頑張んなきゃいけなかったんだ」とその時思った。オタ活が功を奏して韓国語が話せるようになったこととか、月1で韓国行き過ぎて現地人の遊び方出来ることとか、日本語喋る韓国人の真似めちゃくちゃ上手いこととかESには求められない。(13年目K-POPオタクイムニダ)

グループ面接で違う意見を言って自爆するのは大体私だし、大手音楽会社でプレゼンしたら「もっとぶっ飛んだ意見がほしい!」とか訳の分からんことを言われ(結局その会社は大幅な人員整理をしたらしい)、自分の意見しか言わない平行線が続くグループディスカッションでみんなの意見の回し役に徹していたら「あなたも意見言った方が良いよ」と言われたり。いや、言ったところでみんなずっとあいこやねん。誰か折れろや!あと3分でまとめんねんぞ!

就活浪人中、私が何をしていたかといえば、国家公務員になるための勉強。突然の方向転換の理由は、「就活浪人する体裁が欲しかった」の1本のみ。就活のシステムにどうしても耐えられなくてどこにも入れませんでした。となると両親に見せる顔がなく、友達にも劣等感を感じてしまう。だから、だから?「国家公務員になります!」という夢を掲げた方が体裁が出来て良かったんですね。現にすごいとか、言ってもらえたしね。良くないよねー。分かってるんだけどさ、人間1人じゃ生きていけないのよね。

そんなこんなでノーマル文系人間であった自分がついに数学と向き合うことになり、憲法、国際法、経済学などなど、予備校と家を往復して毎日ウン時間も机に向かっていた。蘇る大学浪人生の頃の記憶。またつまずいて、また同じことしてるのか、と、勉強を始め1年半で心が折れ、親にも内緒でメンタルクリニックに向かいましたとさ。

それが10か月前のワタクシ。

人からよく「穏やかで優しい」と言ってもらえることが多かった私は、知らず知らずのうちに自分の心を傷つけ、自己肯定感が下がりまくっていて、近年は常に地面から3センチぐらい浮いているような感覚で暮らしている。

10か月前の飲みかけの薬を、10か月後、私はまた飲むことになるのだ。

この話はまた今度。