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#あり今2024 千穐楽を終えて


2回目千秋楽を観劇しました。
得られるものも多く、儚さも感じた舞台でした。
出演者の方々、スタッフの皆様。お疲れ様でした。

さて、今作を観劇して持ち帰るものは人それぞれだと思います。個人的には「演劇としての面白さ」と「ヒューマンドラマとしての面白さ」を軸に考えたいと思います。

img作品は自然科学

前々から感じていること。
演劇は基本フィクションゆえに、良くも悪くも現実に起こらないことが出来ます。だから造り手の思うような結末に向かうことができます。
ですが、img作品はそもそもの人物設定がしっかりしていて、その人物を絡めたことで物語が紡がれていく面白さがあるのです。

なんというか、Aという結論ありきのために用意された人物ではなくて、この人たちを解き放ったらAもBもCも考えられるよね。その中のAというストーリーをチョイスした。そんな感じがするのです。

これって、凄く自然科学的で面白いんですよね。

例えば、くるみという人間の設定がしっかりなされた上で、どれみと組み合わせる。きっと仲良くもするし、ぶつかるし、仲直りもする。ここにどういう仲の良さをだすか、どういうぶつかり方をするか、どういう仲直りをするか。が人物設定という自然の摂理を元に成り立っているから面白く、でもすごく納得のいく結末になるんだと思います。

逆に、くるみがいきなり大声で「ごめんね!」とか流暢に喋り始めたらおそらく「え?え?」となるでしょう。そういう結末もあるのかもしれないけど、そこを納得させるためには相当凝った設定が必要かなと思います。
ハンディキャップがいきなり無くなるって、重力がなくなるとかそれくらいのレベルなんですよね。でも、そういうシーンをやりたいからご都合主義的にくるみが変わってしまうと納得はいかないですよね。

納得は全てに優先する

余談ですが、私が大学の頃に卒業研究でやっていた粒子シミュレーションに感覚がすごくにていて、粒子にパラメーターを与えてあとは適当に散らばらせるとどんな結果が出るか。なんてことをやっていました。スタートを決めて、その結果を表現する。という意味では似ていますね。
逆に、自分の知りたい結果になるようにパラメーターをいじるのはNGと指摘されました。演劇も同じですかね。

img作品は、納得のいく行動があり腑に落ちるし、人物の考察が楽しいのだと思います。程よく行動する理由が説明できて、程よくノイズになっているので。

アクションやファンタジーのような派手さはないですが、実世界との照らし合わせが出来るリアルさではかなり高い部類の作品であったと思います。

ヒューマンドラマとして

あり今は何度となく、登場人物を挙げてその人への感情移入を繰り返すお客様が多かったと思います。私自身、同い年のカナ然り、似たような境遇の人がいる寿子や、自分には無い武器を持っているくるみなどは、板の上ではなくプライベートに戻ってからふと隣に居るんじゃないかとすら思えてくる人達でした。
それは前述の人物設定表が事細かに書かれているからで、その人の人となりをある程度理解出来るからではないでしょうか。
このある程度、というのは実際の人間と同じで分からない所がたくさんあるからです。でも、実際自分たちの近くにいる人は知ることはできますよね。(後述)

舞台との近さも相まって、そういうリアルな人間を感じることができるのもあり今の面白さだったのかもしれません。

人によってもアプローチは様々で
誰を支えたい、誰から元気を貰いたい(もらった)などがあると思います。これについてはまさに感想の多様性だと思いますし、正解はないのでどんどん言葉にすれば良いのだと思います。むしろ、この作品から受け取ったのは、そういう蓋をしていた気持ちを出すことで、どこかスッキリした気持ちになろう!ということではないでしょうか。

やった後悔は一瞬ですが、やらなかった後悔は一生なんて言いますからね。感想を書こうとか迷ってる人はぜひ、一筆書いてみてください。


観てからも本番

おそらく、今回感情移入したり、自分と照らし合わせたり、「この人の為にこうしてあげたい」と思った人は、近くに存在するんじゃないかなと思います。特に「この人の為に」は、私はすごく感じた。きっと皆様の身の回りにも、

何かをしてあげたい人

がいるんだと思います。
スペースで少し話させて頂きましたが、あり今を観て気持ちが高ぶっておしまい。というのはすごく勿体ないと思うのです。むしろ終わってから、その人の行動が変わって、何かきっかけを与えられたら「あり今っていう舞台を観たんだ」言えばいいと思います。

ある種今作は自己啓発本にも近い役割は果たしていると思います。人との関わり方、支え方、後悔の仕方、立ち直り方。私が見る限りは何人か、観劇後に行動が変わっていたのでその素質はあると思いますし、この作品から受け取ったことで自分や周りの人が幸せになるなら、それがビジネスシーンであったって使うべきだと思います。

それを恥ずかしいことと笑うなら、カナが銃で撃ち抜けばいいし、寿子のように「ごめんね、いい女で」とでもあしらえばいいし、しおりのように大きく凹んだ心をはね返せばいい。
遅いなんてことはないと思います。どれみは2年経って「ごめんね」が言えて、くるみが泣いて受け入れてくれました。人間って意外と暖かいです。

また、前述の人の不完全さについてですが
自分自身も、身の回りの人も「知らない自分」があります。
私はだいたい「ジョハリの窓」を考えてビジネスシーンでは人と接しています(プライベートてわもやれよと)

例えば、久美子の目線から千夏は「真面目で物静か」という側面しか見えていませんでした。でも内に秘めていた思いや、実は方言が出るところだったりという姿は見えていませんでした。
これ、自分で言うのもなんですが「真面目」ってカテゴライズされると辛いんですよね。やることなすことで踏み外したことをやると全部裏切ったと思われる怖さがあります。もちろん、内にしまい込む強さも必要なのでしょうが、千夏は爆発してボイコットしてしまった。
久美子がそこに大きく苦悩するシーンは描かれなかったですが、きっと自分の知らない千夏の姿を知り、後悔したはずです。
物語なので、この後悔は止められないです。が、これからを生きるなら止めることができます。それは、相手のことをもっと知ることです。相手が知らないことは逆に伝えてあげることです。

多分今回の秘密の窓は、忍、昴、寿子、裕司、敏朗あたりにはまだまだ沢山ありそうですね。

ジョハリの窓
千夏の「真面目」は解放の窓なので励ましには
ならなかったかも

大きなムーブメント

あり今ですごく感じたこと。それは人の行動力です。大阪、福岡、埼玉の3都市公演全てに行くという行動力(と資金力)は凄いと思いますが、予めチケットを買っていただけでは、それは作品の、座組の力ではありません。
ですが、公演が始まってからは様々は声掛けを見ました。追いチケ報告や役者や関係者からの「観た方がいい」というポスト。なんなら、座組にもimgにも全く関係ない役者さんが宣伝をしたり、前回公演に出演された西井幸人さんが泣きじゃくって体調不良を起こしてさらに追いチケする、もう訳分からない(褒め言葉)行動までする有り様でした。

こういう具体的な行動は、本当に見てて気持ちが良いものですし、本来の小演劇を支える力に近いと思います。
今作は、様々な物販もあれどコンテンツ売り(配信、支援チケットの返礼の読み合わせ等)も充実しています。おそらく、ランダムチェキとかを売れば沢山売れたかもしれませんが、そうではなく本来のチケットを売る、作品に纏わる物販を売る、DVDを売る、配信を売る、自分たちのファンを増やすことに従事されていたことも筋が通ります。

最近の演劇だと、どうしてもそのファンの人が良さを宣伝するのが形骸化していて「本当に凄いの?」と疑問符が浮かぶこともしばしばあります。もちろん、自分と感性が近い人、似ている人の感想は参考になりますが、自分が知らない人ばかりの舞台を観るきっかけになったのも内輪の宣伝をしていることに疑問を持ったためですから。

imgさんは基本的には固定メンバーがおらず、毎回驚くキャスティングをされます。今回も沢山宣伝されたり、スペースで話された方も今まで見たことないひとたちばかりでした。
縁もゆかりも無いはずだった団体の作品をここまで好きになって行動をする。というところにきっと、「この作品は内輪でなく面白い」と感じた人が多かったのでしょう。

まだ配信は観れるそうですので、1人でも多くの方に届きますように。

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