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働くことへの愚痴、あるいは習慣を創るこころみの話

こんばんは。
なんともう5月。あっという間に溶けるような、春でした

現場監督(と、私は自分を呼んでいる)の仕事に変わってから、1週間が早いです。スケジュールと戦っているからでしょうか。


冬の振り返り

1月、2月、3月は苦手なので、1日1日を、石臼でゆっくりとすりつぶすように、ジリジリぷつぷつと過ごしました。
祝日もなくなり、稼働日が増えたので家にいる時間も減りました。

カレンダーの小さなマスに、祈るようにバッテンをつけながら夕方を迎える日々です。
「こわい…」と呟きながら電車に乗り、「こわい…」と呟きながら駅から家へと歩くのです。

スマホのお天気予報では、日の出日の入りの時刻を毎日眺め、それが冬至を過ぎた私をかろうじて奮い立たせました。

しかし、仕事について考えると、急にスピード感が増し、飛ぶように時間は過ぎています。

時間というものは、摩訶不思議です。伸び縮みする物理的な生き物なのです。

揺り戻った社会

朝は5時に起きるために、夜は9時半に寝るように努めています。努めているだけなので、つい10時を回ったりしています。

勤務時間が早まったことに伴い、以前より1時間早く家を出なければなりません。
早まったのは半時間なのに、家を出る時間は1時間早まるという、なんか損した気分です。
早朝ダイヤの兼ね合いなので、致し方ありませんが。

歳をとってから、早く起きることそれ自体は苦じゃなくなってるのですが、どんなコンディションでも会社に行かなければいけない、という揺り戻しに苦しんでいます。
「これからどんどんリモートが加速して、働き方が変わっていく。もう元には戻れない」と断言したビジネス系インフルエンサー、そしてスピリチュアリスト。あなたたちは何も悪くないけど、「電車とオフィス街見てや!強めの平成に戻ってるやんけ!!」と言いたい。
朝は8時過ぎに、夜は21時に連絡してくる某大手広告代理店が、日本の現況を物語っています。

電車の中の習慣

ものすごーく疲れている時や眠れなかった日は、車内で寝られるのですが、電車で寝てしまうと、駅に着いて立ち上がる時に、ものすごい疲労感と立ちくらみが起きます。
寝ている間に低血糖を起こすからだと思います。

なので、1時間の電車の間は、なるべく起きているようにしています。
仕事の技術書や資格試験の本を読んで張り切ってる時期もあったのですが、どうにも続けられません。
楽で、頭を使わずいられるようなものばかり見てしまいます。

Instagramなら、ユニクロ試着のストーリーズとか、海外や韓国の刺繍動画とか、
サイベリアンとかラグドールとか長毛種の猫が、わがままボディをブルンブルンさせて動き回るリールとか。

あとは、Kindle Unlimitedで借りた本やマンガを読んでいます。
ちょっと小さな悩みがあったら、それに言及してくれそうな本は一冊は見つかるので、まるで個人蔵の図書館みたいですね。
(いろんな分野をなんでも公平公正に読めるわけではないし、玉石混交なので、あくまで個人セレクト感がある。)

健康で文化的な最低限度の生活したい

と、言うわけで、平日、私が家で覚醒していられる時間は、足して合わせて約2時間です。
起きてからの約20分と、増減しますが、帰ってからの1時間半。残業あると減ります。

なんもできねぇのです。
家事もできなくて、本当に、帰宅、即風呂、寝る!のタイムアタックです。
睡眠時間を減らすと体調がすこぶる悪くなるので、その選択はしません。

それが週5日。
これが私の望んだ生活なのか?と、不可解な気持ちになります。
厚生労働省が言うてる、家庭生活と、仕事のバランスて。夢物語すぎやしないだろうか。

ふとすると、テレワークを消滅させた昭和の亡霊に憎しみすら感じてしまい、ハッとしては、「違う、これは私の問題だ」と思い直すなど、アホみたいな堂々巡りをしています。

実際、ここで「テレワないとか草。マジ土の時代。辞めるわ。条件のいいとこ行くわ。」とするのは、私の場合に限っては、そうじゃない気がしてます。
私は私の未解決の何かをまだ内に抱えています。
たぶん職場を変えたところで、次の職場でも、似た課題と理不尽が、形を変えて立ち現れてくるのは経験上分かっとるんです。

強いて外側に責任を求めるなら、「社会は、体力がある人を基準にデザインされすぎてる」、ということです。
体力がない人でも快適に働ける、そんな社会デザインもあったらいいのになぁと、思います。

ただし20代の頃の私は、「体力あって健康体」側の人間だったので、「体力なかったりハンディキャップがある」側がフルコミットできない分を身を削ってフォローしていました。
私は120%ぶちこんでいるのに、80%の労力と責任の仕事しかしてない先輩より給料が低いのは納得いかない!と、すごく憤っていました。
歳をとって先輩の歳に追いついたことで、「100%が出したくても出せない」ことがよくわかりました。

今すぐには動けない狭い選択肢の中で、抵抗するみたいに、なんか人間らしいことがしたいと思いました。
「健康で文化的な、最低限度の生活」がしたいと思いました。

この職場や住処を自分で選んでるのだから、時間の生み出し方は自己責任なので、何らかの方法で満足できるようにするしかありません。
最優先は睡眠で、7〜8時間は死守します。その上で余った時間です。

習慣を創るこころみ

通勤中に読んだ本の一冊がこちら。

井上新八さん著、『続ける思考』です。

習慣が人生をつくるとはよく言われますが、その「習慣」というものを、私は重く真面目に考えすぎていたな、と目から鱗でした。

ソシャゲのデイリークエストや、あつ森の推しに毎日プレゼント、も習慣に数えていいんだ!
じゃあ私のソシャゲも習慣だし、それが毎日できてるなら他のこともできそう!と思いました。

そこで毎日、針仕事か刺繍にまつわることをワンアクションだけでもしよう、と思い立ちました。
(仕事関連の勉強のほうはまあ、仕事でやってるからいいや、と投げてます。)

何冊もの本を買って、作りたいものが色々あるのに、一つも進められない、始められない。そんな状況にイライラしていました。

しかし、「続ける」ことのハードルを思い切り下げたら、イライラするどころか、1日の満足感がすごい。

どのくらいハードル下げているかというと。
もし、刺繍をしたカップスリーブを使っているとしたら。
・布を選んだだけで今日はOK。
・決められた番号の糸を用意しただけでOK。
・糸切っただけでOK。
・針に糸通しただけでOK。
・一針でもOK。
と、かなり分解します。これが1日のタスクでもいいとしてます。進められる日はもっとやるけど。
これなら、体調悪くても、続けられます。

「自分で決めたことをやれてる」のと、「少しずつでも進めば出来上がっていく」そして最終、「完成させられた」という経験ができて、
自己肯定感が高まった気がします。

点滴穿石じゃないですけど、目に見えない一歩でもいつかゴールに辿り着くなら、この1日がどこかにつながって、
いつか自分で図案を描いて自分の作品を作れるようになるんじゃないかと、希望すら抱きます。

ちょうど臨時収入が入ったので、これは、継続的な学習のチャンスが来たんじゃないのかな、と思っています。
民間の資格取れる講座が二つあるけど、どっちがいいのかなあ、と考えているところです。

以上、冬から春にかけての、愚痴と日記でした!

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