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11月ハマったものの話

こんばんは。
むっちゃ忙しいです。
生活がガラリと変わりました。
数年ぶりに残業の日々を過ごしています。
11月中の記録として書いていたのに、もう12月の半ばになってしまう。

もうすぐ40代ですが、前職より辛い思いをなかなかしないので、このままで大丈夫だろうか? とふと心配になることがあります。

苦労しないと幸せになれないと思っているのでしょうか。
もしくは、苦しみと幸せの総量はイコールだとでも思っているのでしょうか。

そんなこと考えてるうちは、まだまだ余裕ということですね。
疲れが足りないのか、相変わらず電車の中で眠れません。ので、本や漫画を読んでいます。

先月ハマった心霊系は、めぼしいものは読み果たしてしまったので、別の分野に足を広げました。
それが片付け沼。

本記事は、11月にハマったこと=片づけ本の読書から思い起こされた片付け遍歴と、読んだ本の貼り付けです。

強いて言うなら片づけ指南書

11月は大きい買い物をしたせいか、例月のような強烈な物欲が生まれず、ハマりものがこれといってありませんでした。

ある一定額を自由に使うことによって、ブームが生まれたり生まれなかったりするらしい。だから毎月だいたい同じくらいの支出額なんですね。

2024年は、お金をかけなくても、毎月のブームを楽しめるようになりたいです。毎月一定額出ていくブーム代を貯金に回せるなら、普通のお部屋に住めるんじゃないですかね!

そして今月は、強いて言うなら、先述の通り「片付け本」にハマりました。

冒頭に申したとおり、最近忙しいんです。
片付いていた部屋も元の木阿弥、モップやブラーバが駆け回る床もありゃしない。自炊も全くできなくなって、コンビニおにぎりの日々。

おまけに、毎月の入れ替わり立ち替わりのマイブームのせいで、持ち物は増えゆく一方でした。

そこで、Kindle Unlimitedなどでお片付けや捨てる関係の本を読み始めました。

身に付かなかったミニマリズムとシンプリズム

さて、読んだ本の話の前に、
私の片付けにまつわる過去語りをお許しくださいますよう。

社会人になりたての昔は、ミニマリストが流行っていました。カッコよくて、形だけ真似しようとしました。手持ちの服を一掃したり。

しかし、腹落ちはしていませんでした。
納得してはいなかったけど、今よりは簡単にものを捨てていました。
20代の頃は、自分の生活やモノとかより、恋や男の子の方に夢中でしたから。自分の外部に楽しいことが多すぎて、持ち物に脳のリソース割いてる場合じゃなかったのです。

物が少ないと快適だけど、恋人とイオンモールやらアウトレットやらで余暇を過ごすことしかできなくなりました。
それが普通の過ごし方じゃん?と思うかもしれませんが、なんとなく満たされない思いを抱えていました。
しかも、余暇の過ごし方がショッピング施設なので、また新たに買っては捨ててを繰り返していました。

今のように、ものが捨てられなくなったのは、自然災害に遭ったことと、自他の病気、コロナの蔓延、遠方への引越がきっかけです。

あの時捨てた物が今もあったらな、と思うことが増えました。
また、取り急ぎ使って処分することも増えました。
持ち物を最低限にしていたり、ときめいたものだけ残していると、人や自分を守るためにさっと選べなくなったり、捨てるためのものを改めて買うハメになったりしました。

そして、最低限のものだけ持って引っ越した時の不便さ。
荷造りして実家に置いておいたモノを、親が勝手に解体して中身を取り出してしまい、新居に送って欲しい物がどこにあるのかわからなくなってしまったんです。
本当は持ってるのに、新しく買い直した物がたくさんあります。
(なお、先日実家に帰った際に見つけて送り直そうと家探ししたのですが、数年の月日が経ち、すっかり朽ちてしまっていました。)

これらの、モノに関する失敗の記憶みたいなものをきっかけに、元々強かったモノへの執着が、より強くなっていきました。
あとは、うっすらとした予感。世界自体が、今のように好きなだけ買って捨てることができなくなるような気がしています。枯渇する感じがするというか。

服も今やワンシーズンで着られないほどの量です。
特にウール製品と文房具に対する熱は強く、毎年コレクションしているほどです。「必要数以上持っている、偏愛しているもの」の数が増えました。

「ミニマリスト」はもう諦めてるし、「捨てる」系も今の心理状態ではできない。
「ときめき片付け」は私には役に立ちません。「全部ときめく!」と頭がまともに判断しなくなるからです。(そんなわけないのに。ガラクタいっぱいあるのに。)

さらに自分の好きを尋ねてみると、現代美術館のように余計なもののないシンプルな部屋より、YouTubeのインタビュー動画で目にする何かの作家さんの作業部屋のような、雑多な偏愛が詰め込まれた学者のような部屋の方に軍配があがります。

そうなってくると、いわゆる「推し活」して、「推しグッズ」を管理している人向けの片付け法とかが、私には親和性が高いということに気付きました。
イマココです。

モノ持ちのための片づけ指南書

ミニマリズム、シンプリズム、断捨離、その他、モノを捨てて物理的に空間を拡張するというパワープレイ、「力こそパワー」的な本は、世界的に流行っていた20代の頃にたくさん読んでいますので、(そして世の皆々様もかつて読んでいるでしょうから、)あまり触れません。少しは触れます。

・心の中がグチャグチャで捨てられないあなたへ ブルックス・パーマー

当時読んだことなかった本を、最近読んでみました。
とにかく捨てろ!な感じに気が急いて、胸が苦しくなってきました。
読み途中で下記の著者に移動しました。

・ドミニック・ローホー著作群

ミニマリスト憧れ期にたくさん買って、でも読んでいなかった著者の方です。

未読積読のものや、10数年の年月の間に追加された新刊などを読みました。
指南書や実用書ではなく、エッセイとして読んでいます。
こんな生活ができたら素敵だろうなぁ、と、思うための本です。

狭い部屋で、鍋用ひとくちIHコンロと、テフロンフライパン、琺瑯の小さなミルクパン、食パン一枚サイズの小さなトースターなどで生活する私には、縁遠い気がしてなりません。

・物持ちのための片付け本

捨てなくて良い、というのは優しい言葉ですね…。
なんだかホッとしてしまいました。

片付け本を読んでいると、”いつか使うつもりで取っておいているものは、いつになってもできない自分を毎度否定することになる悪いモノだ”のようなことをよく目にします。
べつに必要もなく、他人軸で焦って買ったモノなら、確かにそうかもしれませんが、好きなモノ・コレクションだったら、毎度見てもワクワクするんです。

「時間を忘れてこれに熱中する自分になるんだ!」、みたいなね。
「シーズン一回でもいい、この服好きだからまた着るんだ!」みたいなね。
だから捨てることはできないなあ、と思う自分には、良い本でした。

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