小麦粉食べない1週間の話 その③(最終章)
おはようございます。
夏の終わりが始まってますね。
冷房つけて寝るのも、きっと今月いっぱいまでとなるでしょう。
でも地球熱されすぎでは〜?大丈夫かぁ〜?
そして、グルテンフリーの試験期間として一般的に言われる3週間が経過したので、そのまとめをば。
さわやかな日曜の明るい朝から、重苦しく暗い、体調の話となっておりますので、ご了承いただきたく。
この生活も板についてきたのと、小麦食べるのはまだ怖いので、開けた定期的な記録はこの記事までといたします。幕引きでござい。
3週目の概観
さて、小麦粉を断って3週間が経過しました。
2週目まではそこそこ元気に過ごしましたが、
なんと3週目、大きく体調が崩れました。
3週目は、以前の食事内容に戻す助走をつけようとして、甘いおやつ(野菜ジュース、ムース・プリン・ゼリー等の小麦粉の入っていないスイーツ、自家製の米粉お菓子、市販のメープルナッツなど。)も食べるようになっていました。
そんな中で、私的に二つの大きな体調変容ポイントが。
①以前食べられていたものを、体が受け付けなくなっている。
②小麦だけじゃなく、大麦もダメそう?そして反応がより過敏に、より激しく変化していた。
グルテンフリーで体も心も頭もスッキリ!
という話はよく聞きますし、わたくしもそうなるだろうという期待で3週間を待ちましたが、
結果として、より激しく、なんらかの食べ物に反応する体になっておりました。
①いつものメニュー食べられなくなってた件
職場の仲間とお店でランチ。
ところが、前まではなんの問題もなく食べられていた、小麦粉入ってないであろうメニューをセレクトしたのに、大きく体が反応するようになっていました。
これは胃に来ました。
小麦辞める前に悩んでいた、逆流感とそれによる喉のあたりのモンヤリとした重い痛み。
かなりショックでした。
まず、何に反応しているか話ならないことが怖い。
小麦が入っていたのか?それとも小麦以外の何かに反応したのか?
だとしたら何?
もう一度食べて、同じ体調不良を味わうのは嫌なので、検証ができません。
もしかして……
食べられないものが増えている疑惑と、少しの量でも、より過敏に反応するようになってしまっている疑惑。
元のように、またパスタやピザやうどんを食べる生活に戻ろう!という前向きな気持ちには、とてもなれませんでした。
もっとひどくなることは、目に見えています。
②もち麦バタフライエフェクト
おちおちお店でランチもできないし、
夏のワンルームの極小キッチンという衛生状況で作られた8時間越しの弁当なんて、とてもじゃないけど安心して食べられない、
結局コンビニを利用していました。
そこで選んだ、健康そうなもち麦がほんのちょびっと入ったメニューが後々大波乱を引き起こしました。
これは腸?大腸?にきました。
昼からずっとガスが溜まりつづけ腹鳴が続き、夜になるとめちゃ腹がいたくて、24時を回るまで治らず、薬を飲むまで寝つけませんでした。
どうやら小麦だけじゃなく、大麦もだめかもしれない。
となると、不耐や過敏どころか、麦アレルギーの疑いまで出てくる。
こわい。
オーツ麦とか、オートミールはいけるんかな?のちに人体実験してみます。
小麦粉を失って生活でも失ったもの
職場の仲間と楽しく雑談しながら美味しいお店のご飯を食べるというランチタイムを失いました。
私が輪の中に入ると、みんながそれに合わせざるを得ません。
ほとんど唯一の楽しみと言っていいランチの店選びに、水を差したくはありません。
「何かを食べられない人がいる」、というのは我々の世代では珍しいことで、あまり出くわさなかったことと思います。
どう頭で処理しても、気を遣うだろうし、楽しい気分が盛り下がってしまうものです。
人にはそれぞれダメなものがあるというのは当たり前ではありますが、「少量でもダメ」なひとよりも、「ダメなものへの耐性が強いので結論なんでも食べられる」人の数の方が圧倒的多数です。
同じ店で同じ卓でご飯を食べることができなくなったことが、とても悲しい。
あの体調のまま小麦あり生活はどのみち続けられなかったと思いますが、心身が良くなったかと言われれば、良くはなっていない。コムシコムサな感じです。
むしろ、許容できる限界をある程度知って、これからも続けなければいけない食事に、人生に、すごくすごく、ガッカリして、肩を落としたところです。
数歩先は闇、ではなくて、歩きづらい枯れ果てた乾燥地帯の道が地の果てまで続いている。つらい。
わたくしはどうやら、最終的になんでも食べられるようになり、みんなに気を遣わせず同じ食卓がかこめますように、という願いのもと取り組んでいたらしい。
かえって、それは無理な願いだと分かった、という3週間の取り組みの顛末でした。
結局のところは、「自分の健康さえ手に入れられれば」、と思っていたつもりでいて、「なんの心配もなく友と卓を囲むこと」を最も求めてたんだなぁ、と思い知りました。
小麦という素晴らしい、食べる楽しみの半分を失って、この先もまた体の不調と戦うためだけに生きるなんて、
わたくしはいったいどうして、わたくしという命をもらったのか?と、考えない日はないんです。
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