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何故、インテリアは流行らないのか

3ヶ月ぶりの更新。久しぶりだ、なんて書きたくなるが、世の中で俺のnoteの更新を久しぶりだなんて思う人間は俺だけなので書く必要はないのだが、俺含め、人は久々に何らかのプラットフォームを更新する時に「久しぶり」と言わざるを得ないのだ。だから俺も漏れなく記しておこう。久しぶり。


今回もインテリアに関して。

一人暮らしを始めてもうじき丸3年が経過しようとしているが、その頃の熱量のままか、むしろ知識が増えた分より増大に、インテリアに陶酔し続けている。
住環境を充実させる事はとても楽しいし、心地がよい。日中どう過ごそうと、1日の終わりには必ずこの空間へ帰結する事に途方もない安心感がある。交換神経から副交感神経へのクロスフェードを、視覚的に約束させられるような期待をも抱かせる。

そんな暮らしを続ける中で、ふと疑問を抱く。
明らかに住環境の充実とそれに付随した安心感を得られているのに対し、日中襲いかかるストレスが軽減されている感覚がない。いやそもそもストレスを一本のグラフのように、-100から100までの値を行き来しているようなものだと勝手に認識して過ごしていたが、その認識が誤りだったのだろうか?住環境の充実の目的が"癒し"や"リラックス"であるはずが、それぞれのストレスに結びつきがないのだとしたら、所詮インテリアは一つの娯楽でしかないのだろうか?

この問いに対して、きっとおそらく否定側にも肯定側にも、解答となるものやエビデンスだったりがネット上でもありふれて存在しているのだろうが、あえて(自らの中で)産み出た仮定に自らの知識の中で精査していきたいと思う。
最終的には「〜だからインテリアは流行らないのかもしれない、ならば…」とポジティブな所に持っていきたい。しばらく高卒のアホな妄弁に付き合って欲しい。


退屈とストレス

インテリア——住環境の充実は、癒しやリラックスといった感覚をもたらす事を目的とするというのは、SNSやCMなどの広告によって現代で生活する誰もが植え付けられている共通認識であろう。インテリアを一つの"趣味"だと一緒くたにするのであれば、同じく趣味として挙げられる旅行や買い物といったレジャーや、"衣食住"という、暮らしに欠かす事の出来ない大きなカテゴリにおいても、食はともかく、衣——ファッションに関しては、退屈を消化するという働きが(間接的に)期待できるのに対し、インテリアはむしろ、退屈を助長させるような働きを見せる。

退屈な状態を好む人というのは多くはないだろう。退屈である状態は一般的にはストレスだとされる。退屈から逃れる為に、人はスケジュール帳にびっしりと予定を入れたり、別に見たくもないテレビを流し見したりする。過度に退屈から逃れようとすれば、それによって新たなストレスが生まれてしまうだろうが、退屈への関係性として逃避という矢印の向きに変わりはない。それに対しインテリアは既にある退屈から逃避をするどころか、それを助長させようとする。癒しやリラックスという言葉から想起させるストレスフリーな精神状態を望むはずが、退屈という濁りがそこへの没頭を妨げようとする。

インテリアにカテゴライズされるいくつかの働きは、いわば"退屈に味付けをする"行為だと言える。退屈にいくら"味付け"を試みたところで、退屈には変わりない、というネガティブなものとも捉えられるし、"退屈の味が分かる"という、インテリアを通過した者でないと味わえない優越感のようなものに浸れるというポジティブな解釈も可能である。


自律神経とインテリアの相関

始めに書いた疑問にある"日中襲いかかるストレス"というのは、もちろん仕事から生るストレスを含むのだが、それだけではない。休日の昼間に容赦なく襲う退屈に対しても強くストレスを感じている。むしろ後者の漠然としたストレスに対し、よりインテリアの無力さに打ちひしがれるのだ。自分の場合は本を手にとってみたり、こんな文章を書いてみたりするが、やがて飽きてしまい、適当に目的地(主にインテリアショップや園芸店、海など)を決め車を走らせ、退屈が充満した空間から物理的にも逃避を図る。家でじっとしてられないし、折角の休みにも外に出ず、退屈に襲われるがままゴロゴロと過ごすことに延々と罪悪感を覚えるのだ。

インテリアというカテゴリの中にも退屈から逃避できるものはいくつか思い浮かぶ。例えば、観葉植物に水を与えたり世話をする時間。模様替えを計画し、それを実行し終えるまでの時間。DIYをする時間。…しかし前者は日中の活動時間と比べれば僅かな時間に過ぎず、後2つは毎日、毎週と繰り返すものでもない。インテリアという居住空間の中で退屈を凌げるものはいくらでもある。プロジェクターで映画を見るのもいいし、それこそ読書もあるし、料理をしてみてもいい。家族や恋人がいれば会話をするだけでも幾許かはやり過ごせる。ただ、これらはインテリアの充実の度合いに関わらず機能するものであり、インテリアの1カテゴリとして包括されるものではない。

ここからは素人知識であり、あくまで仮定での話であるが、「自律神経」の働きに当てはめて考えていくと自分なりに整理がついた。以下、説明していく。

自律神経は交感神経と副交感神経の2つに分かれ、それぞれがどういった働きをするか、というのはもはや誰もが認識していると思うが、インテリア——住環境の充実は、言わずもがな副交感神経の働きを助長させるものであり、それによって癒しやリラックスという感覚を得る事ができる。

しかし、自律神経には"適切なリズム"と"量"があり、それらが規定から外れてしまうと心身に支障をきたし、恒常性が失われてしまう。副交感神経は睡眠前の数時間で優位となり、次の起床時に合わせ下がっていく。仕事…つまり日中の交感神経が優位の時間が"正しく・適切な量で"配置された日であれば(実感するストレスの度合いはともかく)自律神経からの観点で見れば都合が良い。

問題は休日の副交感神経の"量"にある。仕事の日であれば日中の交感神経が優位となるべき時間に対し、家で過ごすばかりに副交感神経が優位となる時間で埋められてしまうと、リズムも量も(仕事の日と比べて)大幅に変化してしまう。副交感神経が過剰に優位となってしまえば、倦怠感や無気力といった症状が引き起こされる。

自身の体験の中でも思い当たる節があるが…例えば、日中にデパート内のベンチに腰を掛け虚空を見つめる謎のおじさん(大抵決まって"おじさん"である)は、退屈な日常の中で必死に交感神経を優位にさせようと自らをストレスへと放り、恒常性を保とうとしているのかもしれない。

始めに呈した"ストレスに結びつきはないのか"という疑問に対しては、
「交感神経から生るストレスと副交感神経から生るストレスは結びつきはあるが、発生源が違う。交感神経優位時に受けたストレスを副交感神経は和らげるし、反対に副交感神経優位時に感じたストレスは交感神経が優位になった時に解消される」と分析される。


"コロナ特需"以降のインテリア

ようやくタイトルに書いた「何故、インテリアは流行らないのか」というテーマに取り掛かっていく。

ここでいうインテリアは"韓国インテリア"などのインテリアのスタイルを指すものではなく、それら全てを包括した"インテリア(市場)全体"を指している。そんな大きなカテゴリで、かつ衣食住と呼ばれるように生活に欠かせないジャンルのものに流行なんてものがあるのか?という話だが、少なくとも2020年後期から2021年前期辺りの「コロナ特需」(以降は現在まで「おうち時間」という言葉で引き継がれる)は、市場売上を示したグラフなどの数的根拠から鑑みても、流行というタームが生じていたと言える。

「巣篭もり需要」という言葉もあり、コロナ禍の外出自粛期間などの影響から「おうち時間」を見直す世帯が増え、アパレルなど他の商材が売上を落とす一方、インテリア市場は売上を伸ばした。しかし徐々にコロナに関連した規制が緩和される流れと共に売上は減少し、一過性のものとなった、というのが、大向きに語られる内容である。

この"おうち時間を見直す"という言葉に引っかかる。"○○時間を見直す"という表現なら、一過性のものではなく、それは継続されるべきであろう。例えばマルの部分に"勉強"とか"通勤"とか入れてみるといい。人々は既に「おうち時間」をほぼほぼ精査し切ってしまったのだろうか?

自身の見解としては——コロナ禍に入り行動が制限され、それまで家の外で退屈からの逃避を図っていたものが実行できなくなり、それならと家の中で退屈から逃れる方法を人々は探っていくようになった。インテリアは基本、退屈を助長させるものだが、模様替えやDIYという行為は退屈から逃れる術となる。リモートワークという大義名分も加わり、消費行動へ拍車をかけるもそれが一段落すると、人々はインテリア"自体"は退屈を助長させるものだと、コロナ禍以前にもぼんやりとあったその印象を決定付けてしまった。おうち時間の見直しにと購入したプロジェクターでNetflixを見たり、レコードプレーヤーで音楽を聴いてみたりするが、行動制限が解除された途端、子供が公園に遊具を放って帰路につくかのように、人々はレジャーやショッピングという本来の退屈からの逃避行動へと"帰着"していった。

…おおよそ矢印の方向は間違っていないだろう。一言で表すなら"インテリアへの蛙化現象"みたいな事かと。知らんけど。


今後のインテリアの在り方

ここまででインテリアの流行が続かなかった事に対しての分析を示した。それらを踏まえ、ここからはインテリアを嗜好する人々が未来へポジティブな気持ちを抱けるような提案を、また自身の願望を記して終わりたい。

「インテリアは退屈を助長させるもので、副交感神経が優位となる助けをする。
抑圧から解放され交感神経ブームとなった現在も、いずれそれらは"日常"へと落ち着く。
退屈からの逃避行動に疲れた人々は、やがて数年前の、抑圧され退屈を強いられた日々を思い起こし、それに恋しさを浮かべる。
家で過ごす時間を再度見直そうと、精査し尽くしたと思われたその空間にまだ拡張性を感じ、住空間の拡充を考えるようになる。」——

環境的な要因もどうだろう。今この季節、まさに尋常ではない暑さに見舞われ、いくら行動制限が無くなったとはいえ外へ出る事に生命の危機すら感じる室外と比べ、家には日陰があって水も電気もある。更に空調の効いた部屋で窓辺にあるラウンジチェアに腰掛け、風で靡く観葉植物の葉に目をやりながら、手に持った本に退屈を感じ、眠気に誘われるまま眠りこける。…なんて穏やかな時間だろう。退屈とは即ち贅沢を獲得した事の証左でもある。

と、そんな感じで消費者側の心理としては"おうち時間への潜在的興味の持続""気象・環境的要因による住環境への依存、それによる住環境への興味・関心の増幅"は今後期待出来なくもないんじゃないかと。

それに対する販売側の健全的な努力の方向としては、より"癒し"や"リラックス"といった副交感神経優位へと移行する手伝いの働きをするという部分へのアピールを強め、むしろ交感神経優位へと繋がるプロジェクターだったりへの動線を断ち、休息する空間であるという、ある意味原点的なイメージへと回帰させる、というのがいいかもしれない。

いま文を書いていて浮かんだのが「ホテルライク」という言葉だ。ホテルライクというのはどういった空間を指すのか?物が少なく・扉の対面に窓があり、動線上にベッドが配置され・高低差のある照明が並び、ラウンジチェアやソファが置いてあり、全体的に"間"があって広々とした空間、というような感じだろうか。こういった要素を賃貸マンションだったりで再現された部屋の写真にホテルライクなんていう文字を見たりするが、こういった空間に憧れを抱く人は少なくない。近い雰囲気として「ミニマリスト」というのも数年前には熱狂的に見られた。

ホテルを…あくまで要素的に抽出して、それを嫌いだという人はほとんどいないのではないだろうか。一般的にホテルに泊まる、という行為は非日常的なイベントだという事も相まって、そんな空間で暮らす事に憧れるというのは、インテリアという、青写真を描きづらいものの中では(再現する事に)リスクが少ないという利点もある。しかし上記のような要素をパッと浮かべたり、そもそもどれが要素でどれによってこの空間たらしめているのかと分析する事は、インテリアに興味がある人間や販売側の人間が思っている以上に(消費者側は)大分ハードルが高いと感じているという事をまず認識する必要がある。

もう一つ、販売側の努力として必要なのが、いかに家具を容易に捨てられるシステムを構築できるか、というのがある。どういう事かというと、例えば上記のホテルライクな部屋を作りたいと思い、何のアイテムが必要だろうと考えた後に、今手持ちの家具でどうしても理想にそぐわない物があるという状況に、それを手放すのに費やす精神的負荷と理想の部屋が作れないという精神的負荷を天秤にかけた時、前者の方が勝ると判断する人が少なくない…特に都心部に住んでいて車を持たない人たちにとっては、という話である。単に家庭ごみとして捨てられたり、フリマサイトなどで容易に出品・発送が行えるアパレルと比べるのなら、懸念する点の少なさ故に消費者の手に取るスピードは段違いであろう。

消費者側のトライ&エラーを誘発させる事は、今後人口が減少していくなかで市場規模を維持しようとするのであれば必然的な課題となる。SDGs的な観点で言えば捨てる→買うのサイクルの促進はふさわしくないだろうが、例えばそれまでインテリアに興味を持たない人間が、少しだけインテリアに興味が出てきたという状況からいきなりACTUSで花瓶を買うなんてのはまず無い。誰だって始めはニトリでティッシュケースを購入したり、無印でアロマディフューザーを買ったりするのだ。アパレル畑で例えるなら、ユニクロを飛ばしていきなりYAECAで服を買うか?という話である。そこからどう"ACTUS"の位置まで持って行くか、というのは消費者側がトライで購入した物が時間を経てエラーだったと思わせられるような"憧れ"を誘発させるコンテンツの拡充も必要だ。それはSNSやYoutube、雑誌やオウンドメディアなどが担うであろう。自身の体験から言えば、それはブランドが前面に出た内容よりも、消費者側の視点に近い、血の通った内容ほど影響を受けやすい。それこそACTUSがYoutubeに上げている動画は、そこのバランス感の良さを感じる。


6000文字。誰が読むねん!

全然関係ないが、昨年のW杯をきっかけに今年の始めくらいから欧州…主にイギリスのサッカーリーグを観戦する事が趣味となった(ちなみに28歳にしてイギリスとイングランドが同じ国だという事を初めて知った。習った?)。頭の中は常にサッカーが6割、インテリアが2割でそれ以外が2割という具合で大分ハマっている。文化部なのに。オタクなのに。

それ故に今回の内容は自身のインテリア観をメタ的に一旦まとめてみようという試みでもあった。無駄に書き上げるのに1ヶ月くらいかかった。始めに"一人暮らしを始めてもうじき丸3年が経過しようとしているが〜"とあるが、書いているうちに丸3年経過してしまった。イエーイ!
いい加減もっと実直でそのまんま役に立つようなインテリアのTipsみたいな記事を書けたらいいすね〜。終わり。

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