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無名のオタクがミスiDに応募した話。


初めましての方も、そうでない方もこんにちは。
並野なのと申します。

初めに断っておきますが、私は無名で一般人のオタクです。

これまでのオタク遍歴を遡ると、ボーイズ・ラブに現を抜かした中学生時代を筆頭に、汗顔無地な黒歴史がちらちらと顔を覗かせておりますが、現在は主にとあるアイドルのオタクに落ち着いております。推しのために同じCDを数百枚買ったりしては悦に入るような、典型的なキモ・オタクです。

そんな私がなぜか現在、ミスiD2021というオーディションに参加しています。

https://twitter.com/nmn_nano/status/1275775293286825984

ミスiDとは、2012年からスタートした講談社主催の女性アイドルオーディションのことで、公式サイトによると、

ルックス重視のミスコンとは異なり、ルックスやジャンルに捉われず、新しい時代をサバイブしていく多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディションであり、生きづらい女の子たちの新しい居場所になることを目標とするプロジェクトです。

とのこと。

なぜ無名のキモ・オタクがこのミスコンを受けることになったのか、その経緯について、順を追ってお話していきたいと思います。長くなりますが、お付き合いいただけますと幸いです。

ミスiDとの出会い

ミスiDとの出会いはとても単純で、2013年度のコンテストにて初代グランプリを獲得された玉城ティナさんをSNS上で知ったことがきっかけです。

妖精さんみたいに可愛い女の子だな。本当に同じ世界線に存在しているのかな?って思ったことをほんのり覚えています。そんな素晴らしい女の子を見つけてくれたのが、ミスiDってミスコンなのか。ありがたいな。…それくらいのわりとあっさりした出会いでした。

しかしその後、ミスiDに対するイメージが激変します。
ミスiD2015で水野しずさんや祝茉莉さん、今川宇宙さん、緑川百々子さん等が見つかったあたりの頃です。

その頃、京都の学生だった私の生活は、まさに狂瀾怒涛の最中にありました。

細木〇子的にいう大殺界か?と思うほどのさまざまな不幸に見舞われた一方で、今の自分を形作る多くの出会いや経験をしたのもこの時期でした。

後述する今回のミスiDを他薦してくれた友人をはじめ、今後も付き合っていくことになる人間たちとの出会いがあったり、京都の元伝説的バンドマンが始めたカオスな飲み屋でアルバイトをしたり(たまに自己満足でコスプレ衣装を身に纏いながら時給900円で1本500円のハートランドの栓を開けていたことなどを思い出すとあまりのエモさに泣いてしまう)、大学の軽音部発祥のアイドルグループにスカウト?され、アイドル活動ごっこのようなことをしてみたり。

京都という立地も相まって、また重度の思い出補正も加わって、森見登美彦氏の小説さながらの日々を送っていた気さえしています。当時は厚顔無恥にも自分のことを”黒髪の乙女”であるとまで錯覚していたとか。(京都市左京区の”イタイ”女子学生あるある)

元々引きこもり気味の内気なオタクでしたが、この時期の私は沢山の負の事象から生じた莫大なエネルギーが外に向かって大爆発していたように感じます。(今考えると、一種の躁状態だったと思う。)

そんなとき私の興味をひときわ強く引いたものの一つが、水野しずさんはじめ、当時のミスiDで脚光を浴びた人々の存在でした。

決して今の社会で生きやすそうとは思えない、けれども自分の個性とか、好きとか、欲望とか、をめちゃくちゃにぶつけて、異様にまでキラキラと輝くいびつな宝石のような彼女たち。

当時の私は様々な挫折や喪失体験により、自分は世界でいちばん醜くて面白味のない人間だと思っていました。(そして今なおこの呪いから解けていなかったりする。一度かかったこの手の呪いは、とてもやっかいだ。)
そしてこの生きづらい世界と自分をとても憎んでいました。(いいぞいいぞ!"ミスiD"っぽくなってきたぞ!)

彼女たちの存在は、そんな私にとって、大袈裟かもしれないけど、一縷の希望のように映っていました。
こんなクソみたいな世の中で、不器用ながらも足掻きもがいて生きた爪痕を残す彼女たちは、とても美しくて、儚くて。どんな女の子も、生きてていいのかもしれない。生きてさえいれば、いまは何者でもないつまんない人間だけど、いつかこんな風に生きられる未来が、来るのかもしれない。


ーこのまま死んじゃうのは、嫌。




ミスiDに応募するっ!

その後も様々な障壁(省略)が私の前に立ちはだかりましたが、ミスiDに出ている女の子たちの存在に触れて、女の子の多様性とその可能性に勇気づけられて、ずっと死にたい死にたいって思っていた人生のどん底みたいな時期を何とかのりこえた私。

周囲にもミスiDに興味関心を持っている人間がそれなりにいて、私のいびつな経歴から、応募をすすめられることも少なくはありませんでした。

もしかしたら、『イミテーションガール』のPVに出ている女の子が存在する、私が想像する桃源郷みたいな世界に近づくことができるかもしれない、自分は変われるのかもしれない、って気持ちは心の中でかすめたけれど、自己肯定感0.00の私にとってはあまりにもハードルが高すぎて、募集要項を見るところまで辿り着くことはあったとしても決して実行に移すことはありませんでした。

月日は流れ。当日消印を求め24時間やっている郵便局までエントリーシートを持って全速力ダッシュをキメたり、提出期限の5秒前に卒業論文を提出したり(結局天才なので研究室で1番いい評価をもらった)、直前に初めてテキストを開きあまりの膨大さに泣きながらも資格試験を乗り越えたり。いつの間にか、気づいたら普通の社会人になっていました。

社会人になってからも、あまりの激務と上京に伴う環境の大きな変化に心身のバランスを崩して適応障害になって、数カ月の休職も経験しました。

いつもいつでも一筋縄で行かない、遠回りな私。
学生の時はまだ、もしかしたら何者かになれるかもって希望は持てたけれど、社会人になってそんな希望すらも抱けないようになりました。
年齢的にも、一発奮起してアイドルにでもなります!とも言える時期は過ぎ去り。あーあ、ミスiD出そうかなとか少しでも迷っちゃってた頃が懐かしい。

まさに後の祭り。夢見る頃、過ぎちゃった!

自分の足で立って生きていくことはできるようになったけど、私はこのまま、やりたいこともできないまま、”何者”にもなれないまま、終わっちゃうんだなきっと。って人生諦めモードでした。(そんな時に出会ったのが今熱烈にオタクをしているアイドルでもあって、この話はまた、いつか。)

飲み屋で隣になった人間から、「君は何をやっているひと?」って聞かれることが心底苦痛で、聞かれるたびに、「どうせ私は宇宙人でも異世界人、超能力者でもなければ、何者でもないただの人間です!」って心の中で叫んでいました。とんだひねくれもの!

そんな折、たまたまSNSで「今年もミスiDやります。」との投稿を目にしました。さらに今年のキャッチコピーは、「夢見る頃を、過ぎても」そして「私だけの物語」、らしい。

えええええっ!?私信?????!!!??

超絶自意識過剰だけど、ちょっと一瞬だけ、ほんのちょっとだけ、ほんとにそう思ってしまいました。
年齢的な節目も迎えて、夢見る頃を過ぎてしまったと半ば諦念の感情を抱いていたとともに、自分のしたいことを実行できていたり、何かに挑戦していたりする人間に対し悶々としたルサンチマンを抱いてしまって、主人公であるはずの自分の人生という物語が主人公不在のまま進行していっているような一種の虚無感をまさに感じていたからです。

でも、さすがに、ミスiD出しましたって恥ずかしすぎるよな…。
ただの地味なアイドルオタクが、アイドルへの憧れと勘違いした自意識を絡みまくったコードみたいにぐちゃぐちゃに拗らせて、”自我”を持ってしまったオタクになったと思われるのも嫌だし…。そもそも推しにミスiD出てることバレたら、もう恥ずかしすぎて、コロナ明けに会いにいくのも憚られるのでは…。

なんて、諦めるための文言が無限に、湧いてくる。

私信めいたテーマといい、絶対に今年出さなかったらなんとなく一生後悔するんだろうなって頭の片隅では分かっていたけど、やっぱりこれも別ベクトルに歪みまくった自意識が断固阻止してくるのでした。


そうこうして諦めようとした、その瞬間。

人生どん底期に出会って苦楽を共にした大好きな友人から、突然上記の画像が送られてきました。

他薦、しといたから。

!?!???!???

!?!?!???!???!?!?!

!?!?!??!?!!?!?!?!?!??!?!?!?!


「キミ、思考盗聴してる?」ってくらいに私の考えをいつも見透かしてくる友人氏。

「た、他薦だし…//// 自分で出したんじゃないんだからね・・・!////」
みみっちすぎる自尊心を保ちながら、そんなこんなでオタク女はミスiDに挑戦することになったのでした。




ミスiDに求めること

ミスiDに応募する、残念ながらここまでだったら誰でもできます。(応募するまで苦節●年かかったくせに)

特に今年はコロナの影響もあって、前代未聞の「応募者全員0次通過」というスタートで始まりました。(昨年までは「書類選考→カメラテストを通過した応募者」が、その年のミスiDセミファイナリストとして公式サイトに掲載されたが、2021 では「応募者全員」が、原則足切りなく公式サイトに掲載されている。)

出すこと自体がゴールでも何でもないので、じゃあ出したあと、私は一体どうなりたいのか。

正直な話、具体的な展望は自分でも分かっていません。

そんな状況でミスコンに出すこと自体、本来であれば大問題だと考えられますが、ミスiDはそういうことも含めて包括してくれる稀有なオーディションだと認識しています。

ただ、ミスiDに出ることで、やりたいことや表現したいことの土台を作り、これまでの”何者”でもない自己を変えたいと思っています。そして、自分を見つめなおし、これまでの紆余曲折してきた人生を肯定し自分のことを心から愛してあげるきっかけになればいいなとも思っています。

大変な遅筆ですが、文章を書いたり、イラストを描くことが好きなのでこれまで自分が熱を上げてインプットしてきた愛すべきものたちのこと(例えばアイドルだったり、ストリップやAVなどのエロスだったり、昭和レトロのことだったり)などを文章やイラストで表現し、そして多くの人に見てもらいたい。(ミニコミ誌とか作りたいです。InDesignを勉強中。)
また、ポートレートなどを通じて自己の世界観を表現したい。

またそれらを共感したり認めたりしてくれて、一緒に面白きものを作ってくれる共犯者的な人間を見つけたい。

加えて、いくつになっても夢見ていいんだってことを身をもって証明したい。

大変ざっくりしていますが、そういった展望を抱いています。


ミスiDに出ることで、ただのオタクの人生は果たして面白きものになるのか?!
宜しければ、この社会実験を最後まで見守っていただけますと幸いです。


ここまで読んで下さって、本当に有難うございました。
BIG LOVE…

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