希死念慮の行方、あるいは青臭い断想

 自分の生き方に関して思い返すと、あるアニメのワンシーンが同時に思い出される。そうあれは、エヴァンゲリオンのワンシーンだ。見たのはもう10年以上も前で、なおかつ見返してもいないので、かなり不正確かもしれないが、大体次のようなシーンだった。

 エヴァンゲリオンに乗ることに対して気の進まないシンジ。しかしそれでもエヴァンゲリオンの操縦の訓練を黙々とこなす。その姿を見て、ミサトは関心し、シンジのその真面目さを称賛した。
 しかし隣にいたリツコは全く違う反応を見せた。どこか軽蔑と冷めた感情をこめて、「それがあの子の処世術なのよ」と言ったのだ。
 その後もシンジは、ポツポツと独り言を呟きながら、虚な目で訓練を続けていく…

 きっと多くの人がそうだったろうが、そのシーンを見た当時の私もこう思った、「これはまさに僕のことだ」と。


 急に自分語りが始まったのだが、なんだかそのようなことがしたくなった。ここ10年以上、私の存在は非常に不安定な状態にあった。平たく言えば、止むことのない希死念慮に襲われ続けていた。波があり、ずっと強度高くそれを感じていたのではなかったが、ずっとどこかでそのようなものに囚われていた。
 思春期の頃は特にキツかった。振り返るとそう思う。当時はそのような苦しみに対して、どうしようもないと感じていた。この苦しみはどうやっても消えないのではないかと思っていた。そして実際そうであった。
 唯一のやり過ごす方法は、そのような死の匂いのあるものに触れることだったように思う。そうすることで、この苦しみは解決できなくとも、少なくともそれを感じている人がいるという共感のようなもので痛みをやり過ごしていた。
 しかし、それでは痛みはどうしようもなかった。この痛みは自分にしか分からない痛みだからだ。他者の苦しみは、結局他者のもので、私は他者の苦しむ姿に自分の感情を投影していただけだからだ。
 私はそのような苦しみの閉塞感に襲われていた。他者には相談しなかった。いや、できなかった。きっと話をしても分からないだろうと諦めていたから。


 一度自分の状態があまり芳しくないとき、実家に引きこもっていたことがある。そんな私を見かねて、母が私にこう聞いてきた。「何がそんなに苦しいの?」と。
 きっと母は「友人関係」とか「将来の不安」とか具体的なことについての回答を求めていたのだろう。しかしそのようなものではなかった。いや、そのようなものもないではないが、そうではないのだ。希死念慮がどうしても拭えなかった。私は「具体的にはない」としか答えようがなかった。
 その苦しさをなんとかしたかったのだろう、母は次のように私を慰めようとした。「苦しいのはお前だけじゃない」と。そう、みんな苦しいのだ、苦しいのはお前だけではない。
 しかし私はその回答に二重の意味で苦しみを感じた。一つは、それではこの苦しみに出口がないのではないか、みんな苦しいのなら、その苦しみからはもう逃れられないではないかと。そしてもう一つ、私の苦しみはそれでも他者のものとは絶対に違うはずなのに、それを理解されないことであった。


 希死念慮を抱える中で私を生きながらえさえたのは、主に哲学だったと思う。正確には哲学書を読むことだった。
 私は平凡な才能のない人間なので、多くの哲学者の思想を渉猟することはできなかったし、ましてや自分の哲学を打ち立てるなんてことはできなかったが、それでもこれはと思う哲学書に関しては食らいついていった。そうしてなんとか生きていた。
 そうして生きながらえていくうち、私の希死念慮はふとなくなった。正確にはもう少し内的な変化の波はあったのだが、これはまた別の機会に書くとして、とにかく、前の自分が嘘のように希死念慮がなくなった。
 このように書くと、哲学が希死念慮に効く特効薬のようなものに読めるかもしれないが、そうではない。哲学書を読んでいても希死念慮は根本的には消えない。
 しかし読んでいる間は、あの観念の戯れの、それに取り組む誠実な態度に触れている間は、私の心は一時的に浄化された。また哲学は、感情と分離した静謐な言葉があることを教えてくれた。そのように考える道を開かせてくれた。ただそのような浄化や思考が直接苦しみを根絶してくれることはなかった。これは私の未熟さだが、感情の分離は私にはできなかった。過去を語るとどうしても苦しみの観念がついて回った。


 俗な言い方になるが、私の希死念慮を解決したのは時間だったのかもしれない。
 私は日常を、冒頭のシンジの処世術で生きぬていた。ただ言われたことを黙々とこなすだけ。何も能動的に解決しようとしない、青臭い思春期を、結構いい大人になるまで繰り返した。私の未熟さは大人になることを拒んでいた。いつまでも、思い悩むことから逃れなれなかった。
 そしてあるとき、私に質的な変化が起こった。希死念慮がふと消えてなくなったのだ。希死念慮への思考回路があまりに酷使された結果、ショートしてしまい、もうそこへアクセスできなくなった。そんな感じだ。
 別の言い方をすると、希死念慮はいまだに私の中にはある。私の真ん中に。しかしそこにもうアクセスする経路を私はもうなくしてしまったようだ。もうあの頃のように苦しみたくても苦しめない。


 なんだか、苦しみを失くしたことに対して、残念がるような書き方になった。ここは微妙なところだな。希死念慮が消えた瞬間、ある意味私は死んだのだ。私を駆動していたエンジンが消えたのだから。今思うと、希死念慮だけが私を動かしていた。睡眠欲・食欲・性欲等も私を動かしてはいたとは思うが、私を私たらしめていたのは希死念慮であった。だからそれを失った私は、ある意味抜け殻だった。
 しかしそれでも生存は続く。私は無意味の中を生きている。苦しんでいる最中も、人生の無意味に対して憂いていた。しかし今は憂うることもそれほど感じない。無意味の中に意味を見出す回路からもはみ出してしまった。苦しみからも排斥された私は、もうなんでもない。
 しかしそれはもちろん安らぎでもあった。今でも嫌なことはあるし、それを引きずることもある。しかしそれに連鎖して希死念慮が駆動することがなくなった。それはシンプルに嬉しいことだ。
 さらに社会的にもなれたと思う。根本的に社会に順応できたというよりは、表面的な社会的振る舞いをしても心が痛まなくなった。何も思わず社会的に振る舞えるようになった。もちろん、それでもいわゆる大人たちより未熟な気もするが、まぁ、自分基準で見れば上出来だ。


 希死念慮が消えたのなら、なんでそのことをわざわざ書くのか?別にもう自己セラピーとして書く必要もないような気もする。しかしまだ孤絶してどのような感情的な経路とも繋がっていない希死念慮は、まだ胸の中にある。空っぽの器。それを書いておこうと思う。あの断然した観念を。
 今これを書くのは青臭くて恥ずかしいが、今を逃すともう書くこともないとも思った。それは単なる気晴らしかもしれない。
 本当は、こんな説明的文章ではなくって、なんらかの別のアートフォームの形で表現できたらなとも思った。しかし僕にはその衝動はないらしい。ならば野暮ったい直截な言葉で表現するしかないのだろう。


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