人生最後の食事は‥
人生最後の食事は何が良い、なんて話をする事があるだろう。お母さんが作ったお味噌汁や、寿司やステーキ、ケーキやハンバーガー、様々な意見が飛び交う中、イキり散らかした私は「えーっ、何かな、オイルサーディンとかでいいよ。」と答えているのだが、本当は、本当のところは、やはりざるそば、天麩羅ざる蕎麦、これを言いたいのだけれど、私の中の私に逆らえずに、人生最後、興味無いね、オイルサーディン、それでいいよ、なんて言って、今更本当は物凄く天ざるが好きなんだ、と言えずにいる。あー好きだ。王様の耳はロバの耳、王様の耳はロバの耳。
高校生の頃、友人と二人で「ざる蕎麦愛好会」なるものを発足した。活動内容は、日本各地の様々な蕎麦を堪能すべく現地に赴くなんて高尚な物ではなく、週に1〜2回程、始業前に集合してコンビニエンスストアでざる蕎麦を購入し、学校の近所の公園で食べると言う、ただそれだけの集まりであった。アルバイトの給料が入った日には、とろろ蕎麦を購入してやったわ。セレブぅ。何度か活動する内に会話も無くなり、そもそも何故こんなに朝早くからざる蕎麦を食べないといけないのか、という理由により解散した。
それ以来、ざる蕎麦について話し合う事すら嫌悪感を抱いていたのだが、やがて時が経ち、お互い社会人になってから「ざる蕎麦愛好会」を復活させるか、なんて話で盛り上がり、そこは社会人、コンビニエンスストアではなく蕎麦屋に行きまくったろ、と、様々な蕎麦を堪能した。その中でも、私が今でも忘れられずにいるのは、雨の日の京都で食べた京野菜の天ざるだ。食べ物はなるべく写真を撮るようにしているのだが、ざる蕎麦に関しては好き過ぎて、撮る事自体を忘れてしまい、手元に何も残っておらず、訳の分からない天麩羅の写真になってしまったが、そこはご愛嬌ってやつでひとつよろしくお願いします。それはまぁ良いとして、京野菜の天ざる、私は忘れない。何が美味しかった? 菜の花? こらこら、焦るな焦るな、リラックスリラックス。
触覚、聴覚、視覚、嗅覚、味覚、その全てを満たしてこそ、料理と呼べるに値する。それに満たない物を私は「餌」と呼ぶ事にしている。誰に言う訳でも無いがね。天麩羅の口当たり、街を洗い流しているかのような大粒の雨音、薄暗い店内と老夫婦、質素な盛り付け、遠い昔に嗅いだような木造建築の香り、そば粉の香り、丁寧にひかれた出汁の味、野菜の甘さ、その全てが折り重なったあの日の京野菜の天ざるは、料理であった。料理を味わえる日は数少ない。だから大切にしたいのである。食事は娯楽だ。ただ栄養を取りたいだけならサプリメント飲んで暮らしてりゃいい。
これだけ言ってるが、それでも誰かに人生最後は何食べたい? と質問されたなら私は、オイルサーディンと答える。
本当は天麩羅ざる蕎麦が大好きなんだけれど、私の中の私が許してくれないので、このままで良いと思っている。
↓ 新作動画を観ながらオイルサーディンでも‥
ではまた。
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