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これは水です を読んだ
読んだ本
感想
本書では、初期設定という自分に埋め込まれたものを変えるという選択を提示している。
初期設定のまま過ごす(例えばカネやモノを崇拝する)ということがどういうことなのか知った上で、初期設定を変える選択をしないということは、死人と同じであると言っている(と少なくともp.61-p.63を読んだ私は感じた)。
初期設定で過ごすというのは、生物としては当然の反応だと思う。
黙っていても雑草は無尽蔵に生い茂るし、となりの家の更に成長の早い謎の植物はわが家の敷地のことなど関係なく侵食してくる。
種の成長はその存在自身に埋め込まれており、その結果として他の種の成長や外部環境との力関係によって動的平衡を保っている。
隣人の植物が脅威的なスピードで成長してわが家の敷地内に侵食するのを見て、自然のエコシステムというのは巨視的かつ長いタイムスケールで育まれたもので、局所的に見ると弱肉強食だし慈悲もない。などと感じながら、雑草取りをしたのであった。
— nmemoto (@nmemoto) July 7, 2024
例えば、最近あった都知事選(2024年7月7日投票日)に対しても、様々な事象に対して特に意見が飛び交っているように見えたが、ほとんどがその人の初期設定に根ざしているものと思われる。そして、選挙活動そのもので人の初期設定をうまく利用されてハックされている側面もある。
自分で考えて結論を出しているように思っていても、実際には人の初期設定から演繹的に導かれたものかもしれない。
このことを本書では、以下のように表現していた。
人々やカネや権力の群がるいわゆる「現実の世界」は恐怖と軽蔑、屈託と渇望そして自己崇拝を、炉に焚くからこそ滑らかに回っているのですから。
ただ初期設定は、無意識なので魚にとっての水のように意識することが難しい。
意識するには学んでいくしかない。
この初期設定を手直しする作業にはいったいどれほどの実学が必要なのか
筆者が初期設定を変え続けた帰結としての自由というものを提示してくれている。
ほんとうに大切な自由というものは
よく目を光らせ、しっかりとした自意識を保ち
規律を守り、努力を怠らず
真に他人を思いやることができて
そのために一身を投げうち
飽かず積み重ね
無数のとるにたりない、ささやかな行いを
色気とはほど遠いところで、
毎日つづけることです
初期設定を変えるという選択が如何に大変なものか、筆者はとてもシリアスに考えていることを読んでいて感じた。
私としては、日々の生活と読書の中で学び、昨日よりマシな自分でいることを目標としたい。
2024年7月15日追記
初期設定のままでいることを死と同じ状態であることとしていたため、読んでいて苦しく感じていた。
でも、必ずしもそうでない。肯定してよい初期設定もそれぞれあるはず。
そういう自分を認識した上でこの本を読むのが良いと思った。
真に受けて数日過ごしてしまったが、とてもつらい気持ちになっていた。
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